第30話 アルマクの根源

筋電図検査や血液検査、髄液検査、MRI検査、神経伝導検査など難しい名称が並ぶ検査を受けた結果、美緑に言い渡された病名は、

『ギラン・バレー症候群』。

四肢の筋力低下、脱力感やしびれ、痛みなどの症状が、左右対称に現れる。顔面神経麻痺や嚥下障害といった脳神経障害、頻脈、起立性低血圧などの自律神経障害が起こることもある。

重症例では麻痺が進んで歩行障害を起こしたり、人工呼吸器を要する呼吸困難を生じたりすることもある。急速に症状が進行する事が特徴の病気だそうだ。

美緑は、聞いた事の無い言葉ばかりで全然耳に入ってこない。ご時世もあり、面会できるのは親族の1人のみ。ユキちゃんから連絡を貰った星夜は言葉が出なかった。聞く限りだと、基本的には命に別状は無いそうだ。しかし、今後の病状の進行次第では、最悪の場合に麻痺や歩行困難等の後遺症が残る可能性はある。

アルマクは、美緑の離脱により、当然活動は出来なくなった。


数日経って、美緑と直接連絡が取れるようになり、この頃には面会も出来るようになった。

面会の了承がもらえる事がわかって直ぐに星夜は美緑に会いに行った。看護師さんに病室を案内してもらい、部屋の前についた星夜は少し立ち止まり深呼吸をした。どんな顔をして会うのが正解か、この時ばかりは星夜にもわからなかったのだ。ドアを開けた病室の中に美緑の姿は無かった。

「あれっいない。」

振り返ると看護師さんが、

「ひょっとしたらリハビリ中かもしれませんね。こちらへどうぞ。」

案内されたリハビリ施設にユキちゃんの姿があり、その向こうにはリハビリ中の美緑の姿が見えた。

このギラン・バレー症候群は、筋力低下、感覚障害の他に、疲労感、不安、抑うつなどの症状も見られることがあり、今後の生活に影響を及ぼす危険性がある。体の可動域の確保や弱っていく筋力増強のトレーニング等も必要になる為、リハビリ中の美緑の表情も険しい。

「星夜くん来てくれたんだね。ありがとう。最初はご飯を食べるのが自力で難しい状態だったから、少しづつ良くなっている気がするよ。」ユキちゃんがここ数日の美緑の様子を教えてくれた。星夜はユキちゃんの言葉に耳を傾けながら、視線は美緑に向いている。

「美緑頑張ってるね。部屋に行ったらいないから、てっきり髪型直してるのかと思ったよ。」星夜がそう言うと星夜の左側でユキちゃんは、「ああなんかわかる。見た目とか整えそうだよね。」

と屈託なく笑っていた。この状況下での返し方とかを見ても、つくづくこの子は器が大きいなと星夜は感じるのだった。しばらくその場で美緑の様子を見ていると、

「そうそう、そういえば美緑がとても良い曲が出来たって言ってたよ。作詞は星夜くんがしたんだよね。」

ふとそんな事を話してくれた。美緑は既に目を通してくれていたんだと知った星夜は、

「作詞の感想どうだった?」

とユキちゃんに聞いたが、

「それがまだ見せてくれないの。2人でこの曲を歌っている姿を見せたいんだって。男ってそういうところ面倒くさいよね。」

と言っていた。

「そうだね。」

そう答えた星夜の右頬には涙が流れていた。


ユキちゃんが側に居てくれるので安心した星夜は、美緑のところにはあえてたまにしか顔を出さず、黙々と慣れない曲作りに没頭していた。

時折、トモちゃんにもアドバイスをもらいつつ、ひたすらそれだけに時間を割いていた。

星夜はあくまで、アルマクの未来を考えて、自分に出来る事をしようと思ったのだ。美緑も頑張っている。いつかまた活動を開始出来るようになったら、実はもう1曲隠し球があると報告しようと考えた。必死な美緑には少し申し訳ないが、こう言う時の過ごし方でより絆が深まるチャンスと捉えた星夜は、この時本気で音楽と向き合うようになるのだった。

星夜は、音楽の経験がまだまだ乏しいが、物語や様々な世界観を生み出す事が得意だ。たいして深く考えなくても、アイディアは滝のように流れてくる。直ぐ降りてきたものに深みを加えていくのがアルマクでの星夜の役目なのだろう。

『良い曲を作りたい』

という発想ではなく、美緑を感動させたい。

そう考えていた作詞の世界観は既に決まっていた。作曲に関しては、やはり頭を悩ませた。

と言うのも、出てこないのではなく出てきすぎるのだ。数曲のデモを作り、最終的にはミディアムバラードの曲調に決めた。


月日は流れ、すっかり肌寒くなってきた冬の始まり。懸命にリハビリを頑張ってきた美緑には、いつもの見慣れた透き通るような朝の光も、風に揺れて飛ぶ花の香りも届かない。

右手の麻痺が消えない。

途方に暮れてしまうと、人はその場から動けなくなるものだ。病気の症状の中には、うつが出る可能性も伝えられていた。髭が伸び、少し痩せている。自分への期待感が強かったのかもしれない。この頃の美緑には、とにかく1日の終わりが遠く感じられた。特に夜は長い。長い夜は怖くて苦しくて生きた心地がしない事がある。そんな毎日が続けば、もはや正常な判断は出来なくなる。幸いユキちゃんが居てくれる。だが時に、それさえも苦しく感じる事があるのだ。そんな美緑の様子を聞いていた星夜は、毎週美緑に会いにきた。時には2日に1回程のペースの時もあった。

星夜は会社を辞めてから派遣で週5勤務しながら、『主夫』になったのだ。妻が代わりに正社員として働いてくれている。結婚前は、バリバリ働いていた事もあり、今では妻が家計を支えてくれている。子供の迎えや洗濯、食事の準備等がある為、長い時間ずっとはいられないが、ユキちゃんとも連絡をとりながら、美緑がなるべく独りにならない様にしていた。星夜には美緑の『感覚』がわかるのだ。

話したい気分の時に話したい事を誰かに話す。

この機会を積み重ねていく事が、うつ病で苦しんでいた時の星夜をケアしてくれた要因の1つにあった。たまには外の空気を吸いに一緒に近所を散歩したりもした。あまり余計なお節介は必要ない。と言うかそれは正直ウザい。側に居て寄り添ってくれるだけで良いのだ。

『大丈夫だよ。』

と言ってもらえると落ちつく。ユキちゃんには見せられる部分と星夜には見せられる部分がある。用途に合わせて使い分けてくれれば良い。美緑は誠実で真面目だが、元々楽観的なところもある。星夜にはわかっていた。

ちゃんとまた、美緑と音楽を共にする日が来る。

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