第十二話 数多なる「花嫁修業」

「……なんですと?」


 柱の陰で捕まえたプレストに、私は告白した。きっとこのことは、大問題になる。

「今、なんと……?」

 ほら。プレストの顔がどんどん険しくなる。そりゃ、そんな顔になる気持ちはわかるよ? 今更そんなこと言いますか! って内容だもんね。だけど、よく考えてごらんなさいよ。私はただの、侍女だったの!


「ダンスが踊れません」

 屈辱だ。二度も口にしなければいけないとは。


「踊れ……ない?」

「そうです」

「全然?」

「全然」

「夜会でのダンスは必須ですぞ!」

「だからどうしようって相談してるんじゃないですかっ!」

 廊下の片隅でコソコソと話す私たち。プレストは額に手を当てると、

「ステファン様にご相談なさってください」

 と突き放した。


「それは嫌! せめて“ダンスがうまくない”くらいのところまで到達してからならまだしも、私は“まったく踊れない”なんですよっ? 公爵令嬢がダンス知らないなんてありえないでしょっ? 私の正体バレちゃいますよっ」

「……それは、確かに」


 貴族と庶民ではその生活内容が全く異なる。爵位を持つものでなければ学校には行かないし、辺境の場合は自宅学習もするが、家庭教師がつくのが当たり前。それに対し庶民は幼いころから仕事を覚えることが当然で、商売人の子であれば親から読み書きや計算を教わることもあるが、そうでなければ簡単な読み書きに計算くらいしかできないのだ。


 私の場合、前世の記憶があるおかげで計算には困らない。読み書きも、基礎さえわかれば、そこから先は記憶を頼りに自己学習である程度身に着けることができた。


 ただ……。


 貴族令嬢ならではの、テーブルマナーやダンスなどは、学ぶ機会がない。特にダンスなどは、目で見ただけで覚えられるものではない。実際に体を動かして、体に叩き込まなければいけないだろう。あんな靴履いてドレス着て踊るの、不可能に近い気がする……。


「あ、プレスト様、こちらにいらしたのですね!」

 廊下を走ってやってきたのは侍女頭のサシェ。少しばかり体格のいい彼女は、額に汗して肩で息をしていた。


「なんだね、屋敷内をそんな風に走るなど」

 執事長であるプレストが注意すると、額の汗をぬぐいサシェが目を吊り上げた。

「そんなことよりっ、ルナール公爵家から使者が参りました。誰もそのようなお話伺っておりませんでしたので、驚いてしまって!」

「ルナール家からっ?」

 私も思わず声を上げる。ルナール公爵とは何度か書簡でやり取りをしたけど、誰かが直接ここに来るなど聞いていないのだから。


「一体どなたが?」

 プレストも緊張の面持ちで訊ねた。

「オリヴィア様の侍女が行方不明のままになっているからと、代わりの者を寄越したんじゃないかと思ったのですが……いらしたのは男性なのです」

 サシェが頬に手を当て首を傾げた。

「男性……?」

 プレストが私を見た。だけど私にも思い当たる人物はいない。私は小さく首を振った。


「とにかく、会いましょう」

 プレストが襟を正し、静かに歩き出す。私も慌ててその後を追った。



 応接室に通されたというその人物を見た時、私は声を上げそうになった。


「突然の訪問、失礼いたします」

 胸に手を当て優雅に頭を下げるその人を、私は知っていた。


「私はルナール公爵の命でこちらに参りました、アンディ・ベイルと申します」


 アンディ・ベイル。ベイル伯爵家の令息で、よくルナール家に出入りしていた人物だ。オリヴィアとは幼馴染で、私も何度も顔を合わせている。気さくで話し上手、といえば聞こえはいいけれど、女誑しで自由人。屋敷の侍女にも平気で手を出すいけ好かない男。なんでルナール公爵はそんな人を?


「オリヴィア様、お久しぶりでございます」

 呼ばれ、ハッとする。彼は私がオリヴィアじゃないとわかっているはずなのに、顔色一つ変えることなく頭を下げている。……まぁ、そうか。ルナール公爵からの派遣ってことは、事情も知ってるわけね。でも、なんで?


「お久しぶりです、アンディ様」

 私も知らぬふりで挨拶を返す。


「私はマクミリア公爵家の執事長を務めております、プレスト・クロフォードと申します。事前にお話をいただいておりませんでしたので、行き届かぬ対応となりましたこと、お詫び申し上げます」

 深々と頭を下げる。

「とんでもない! いきなり押し掛けたのはこちらの方ですのでお気遣いなく。ルナール公爵からの書簡はここに」

 そう言って懐から出した書簡をプレストに渡す。

「これは、です、プレストさん」

 意味深な笑みを浮かべるアンディ。プレストは手にした書簡を「失礼します」と広げた。


「……なるほど」

 一通り読み終え、眉を寄せた。


「それからこれが、マクミリア公爵様宛、こっちがステファン様宛となり、同じような内容で書かれていると思います。冒頭部分以外は」

 クス、と笑いを漏らす。

「サシェ、アンディ様にお茶を」

 プレストが言うと、サシェは頭を下げ部屋を後にした。これは、人払いだ。


「あの、一体なにが書いてあったのですか?」

 不安になり訊ねると、アンディがソファにドカッと腰を下ろした。

「いやぁ、ビックリしたよ。久しぶりに会うオリヴィアがまさか君だなんて」

 何とも嫌な言い方。


「あの……どういうことなのですか?」

 不安になりプレストを見ると、ルナール公爵からの書簡を私に差し出した。書簡を手にし、中を確認する。アンディが「冒頭部分」と言ったのは、私が本当のオリヴィアではないことを知っている数少ない共犯者へ、といった内容だ。この屋敷ではプレストだけが、事情を知る唯一の人間であるということを、私はルナール公爵に知らせてある。その上で、今回の一件を黙って受け入れていることへの感謝が綴られていた。


 そしてアンディのことは、こう書かれていた。


『オリヴィアの家庭教師であったアンディ・ベイルを、正式な結婚までの間オリヴィアの近くに置き、学ぶ時間を作りたい』


 つまり、ただの侍女であった私がボロを出さないよう、最低限の教育を詰め込みたい、ということで送り付けてきたのだろう。ある意味、賢明な判断かもしれないと思った。


「そういうわけで、よろしくお願いしますね、オリヴィア様!」

 パチンと片目を瞑って見せるアンディを前に、私はなんだか不安な気持ちになっていた。


 おかしなことにならないといいのだけど……。

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