第三話 数多なる「八つ当たり」
「なんなんだ、この女はっ」
しこたま酒をかっくらった挙句、自分に抱きつき、そのまま寝てしまうという、公爵令嬢らしからぬ行動をとる私を前に、困惑するステファン。しかも私が最後に発した台詞は『顔がいいだけの男になどなびかない』だ。
「こんなに口の悪い女は初めてだ……」
アルコールに酔うのとは違う眩暈がステファンを襲う。そしてこの抱きついている生き物をどうすればいいのかわからない。女嫌いを前面に出しているのは伊達じゃない。こんなに間近に女性と触れ合ったことなど、一度もないのだ。
「愉快な令嬢だな!」
マクミリア公爵は楽しそうである。
「これでお前が身を固めてくれれば、我がマクミリア家も安泰ということだ」
グラスを掲げるマクミリア公爵を、ステファンが睨みつける。
「私はまだ、婚約を正式に決めたわけではありません」
「それは困る。ルナール家の娘を嫁にもらい、お前には王家との関わりを深め、新たな販路を開拓してもらわねば。……土地を取られてしまうぞ?」
「……は? どういう意味です?」
「国庫からの借金を返せそうもない。このままだと債務整理の一環として爵位返上だ」
「はぁぁぁぁ?」
ステファンがあんぐりと口を開ける。なにしろ初耳なのだ。
「もう後がない。うまくやれ、ステファン」
にんまり笑うと、さらに続けて
「ほれ、寝室に連れて行ってやれ。お前の婚約者であろう?」
なにかを含んだ物言いで促す。
ステファンは仕方なく抱きついている酔っ払いを抱き上げ、部屋へと向かった。
食堂から『誰も邪魔しないように!』という声が聞こえてくるのが聞こえた。
「なんなんだっ。どうなってるんだっ。父上も父上だっ」
ブツブツと文句を言いながら、オリヴィア用に用意していた部屋へと向かう。
寝室に入り、ベッドの上に半ば荷物を投げ下ろすかのように寝かせる。女嫌いのステファンがここまで密着したのは私が初めだったと、後に聞かされた。
「気に入らんっ」
イライラしているのか、つい悪態を突く。その悪態を、何故か私は聞き逃さなかった。
「気に入らん、れすってぇ?」
ベッドの上で半目を開き、喋り始める。
「気に入ららいのはわらしらって同じれすよぉ? どれだけ顔に自信がおありか知りませんけろ、あらたれぇ、少々心が狭いのれはありません? 女嫌い? はっ、わらしに言わせりゃ、顔らけ男らんて最低最悪じゃないれすかっ」
「なんだとっ?」
「わらしの友達は顔らけホストのせいれ、大変らったんれすよ。顔がいいかららんだってぇの! この、デレスケがぁ!」
今思えば、これは完全に酔っ払いのボヤキである。しかも酔ったせいで、前世の記憶がわんさと蘇り、現世と混同していたようだ。
「なっ、なんの話をしているんだっ。俺だって別に、好きでこの顔に生まれたんじゃない!」
ステファンもいつしか「俺」に変わり、言い返す。
「大体、俺にそんな口をきいてくる令嬢なんていないぞ!? 失礼だろう、この酔っ払いが!」
「はぁぁ? 酔っぱらっれらんか、なぁい! 失礼らのはそっちれしょう! 愛情もないくせに勝手り婚約らんか決めて、プリプリしらがらエスコートもしらいれ、挙句、顔がいい顔がいいっれ、そぉんらいい顔してますかぁ? まぁまぁぐらいれしょ?」
起き上がり、ステファンの胸ぐらを掴むと、グイっと引き寄せる。顔がくっつきそうなほど近寄り、まじまじと見遣る。ステファンが顔を赤らめた。
「うん、いいお顔しれますぅ。れも、性格がわっるぅぅい! きゃはは」
掴んでいた胸ぐらを放し、ベッドにひっくり返る。
「うわぁ、天井が回ってるぅ」
「こ、こんの、」
ステファンは今まで受けたことのない無礼な振る舞いに驚きながら、胸を押さえた。なんだかわからないが、心臓が早鐘を打っているのだ。
「ステファンさまはぁ~」
「はっ?」
「顔らけで言い寄られるのが嫌って言っれますけどぉ」
「なんだっ」
「顔らけでも、いいところがあるのはよかっられすねぇ」
「なんっ」
「私らんてぇ、平凡でなぁんにもなくて、誰からも注目らんか浴びないしぃ」
段々と、声が小さくなる。
「ころまま、だぁれにもなぁんにも思われらいまま、平凡に年を取っれ終わるんれすよぉ?転生、意味ないれしょ……。まぁ、それはそれでたろしいれすけろ。けへっ」
「あ? なんだ? なんの話を」
「おやすみらさい……」
「は? え? お前、寝る気かっ?」
私は、言いたいことだけ一方的に吐き出し、とても気分がよかった。久しぶりに口にしたお酒の美味しさも手伝って、睡魔に身を委ねたのだ。
「……な、なんなんだ、こいつはっ」
女は皆、自分の見た目や爵位ばかりを気にかけているものと思っていた。結婚などしたくもないと思うのは、愛のない結婚をした挙句、壊れてしまった両親を見てきたこともある。この縁談も、我慢ならない相手なら断ってしまえばいいと簡単に思っていた。
しかし、いざ蓋を開けてみれば、今までに出会ったことのないようなおかしな令嬢と、更には、父から告げられた衝撃の事実。縁談を断るという選択肢が遠のくのを、心の隅で感じていた。
目の前ですやすやと眠る女の寝顔を見ながら、どうにも落ち着かない気持ちになるステファンだった。
◇
その頃、執事長プレスト・クロフォードは頭をフル回転させていた。
侍女を名乗る女を、勢いでオリヴィアに仕立て上げてしまった。いいやしかし、ステファンはこの縁談に乗り気ではなく、「数日共に過ごして追い返すこともできる」と言っていた。だからこその、その場しのぎだ。
あんなに酒癖の悪い令嬢などいるわけがない! ステファンとて、あのような相手を婚約者として認めるような愚かな真似は、絶対にしないはずだ。そうだ。このまま一夜で婚約破棄という流れになるかもしれない! ルナール家は偽物を送り込んでいるのだから、婚約破棄をされたとて文句は言えまい。なんだか全部うまくいきそうな気がしていた。
プレストは、オリヴィアにと用意された部屋からステファンが出てくるのを待った。あの分では、甘い夜になどならないだろうというプレストの読みは当たっていたようだ。ステファンはすぐに部屋から出てきた。
「ステファン様」
そっと声を掛ける。
心持ち顔が赤いようだが、それはマチル酒のせいだろうと思い込む。
「少し、お話が」
ステファンを執務室へ連れ出し、本題を切り出す。
「あのような令嬢との婚約はやめるべきです。ステファン様が乗り気でなかった理由、先ほどの食事の様子を見て私も理解いたしました。早速ルナール家に断りの文を飛ばしましょう! 今夜中に!」
そう、前のめりに告げた。
しかし、すんなり頷くと思われたステファンが、どういうわけか首を振らないのである。
「……確かに、初日にあのような振る舞いをする令嬢など見たことも聞いたこともない。……だが、ルナール公爵家は王宮との関りも深く、マクミリア家にとって利が大きいのも確か。結婚など、所詮は形ばかりのものだ。どうせいつかは身を固めなければならないのだし……父の意向も……あるのでな」
深刻な顔でそう言うのだ。とんでもないことだった。
「いや、しかしステファン様っ!」
慌て出すプレスト。このままでは、偽物だとわかっていながら婚約を進めることになってしまう。なんとしてでも、やめさせねばならない。執事長の名に懸けて!
「ああああ、実はステファン様にお話ししたいことがっ!」
「さっきからなんなのだ?」
「まことに申し上げにくいのですが……おっ、オリヴィア嬢には心に決めた方がいらっしゃるようでして」
これだけを拾えば、真実である。現に本物のオリヴィアは心に決めた男と逃げてしまったのだから。問題は、ステファンがオリヴィアだと思っているあの女が、オリヴィアではないということなのだが。
「なんだと?」
「オリヴィア様には将来を共にしたい殿方がいらっしゃるようです。しかし今回の婚約話を断り切れず……。彼女は今、酷く傷つき、自分の身の上を嘆いておいでだ。先程のやけ酒も、そういうことではないかと」
いい感じにこじつける。
「だから彼女はわざと、私に対してあのような罵詈雑言を……?」
(よし! そうだ! やめましょう!)
心の中で盛大に応援するプレスト。
「しかし、家同士の結婚に愛など必要ないだろう。問題ない」
ガクッ
プレストが肩を落とす。
「婚約証書記名の儀は五日後だ。それまでに大きな問題がなければ、予定通りに進めるぞ」
「しかしっ」
「これは決定事項だ。いいな?」
ステファンが釘を刺す。
プレストはそれ以上なにも言えなくなってしまうのであった。
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