第8話 - 放課後と視線と火花と


放課後の部室棟前は、いつもより空気が重かった。

理由は簡単だ――天城莉音と桃沢来理、この二人が同じ場所に立っているからだ。


俺は、廊下を曲がった瞬間に、その場面に遭遇してしまった。

天城は腕を組み、少し上から睨みつけるような表情。

来理は相変わらず、礼儀正しく、だが柔らかな笑みを浮かべている。


「佐伯先輩、お疲れ様です」

先に声をかけてきたのは来理だった。

その落ち着いたトーンと笑顔は、確かに人を安心させるが……今は少しだけ、緊張感が混じっている。


「……あんた、また佐伯に用?」

天城が、まるで縄張りを守る猫みたいな口調で言う。

「ええ、少し相談がありまして」

来理は微笑んだまま答える。敬語を崩さず、まるで挑発を正面から受け止めるように。


天城は小さく舌打ちした。

「ふーん。あたしが話してる時に割り込むとか、いい度胸ね」

「でも、佐伯先輩は誰と話すか自由ですよ?」

来理は首を傾げながらも、目の奥は笑っていなかった。


俺は二人の間に割って入る。

「お、おい……別にケンカするつもりなら、ここじゃなくても」

「ケンカじゃないわよ」

「ケンカじゃありません」

――言葉は同じでも、声色には棘と氷が混ざっていた。


沈黙が一瞬流れ、窓の外から西日が差し込む。

天城の髪が光に透け、来理の制服の白が夕日に染まる。

見た目は穏やかだが、この空間の温度は確実に上がっている。


「……佐伯先輩」

来理がこちらをまっすぐ見て言う。

「この前の件ですが、もう少しお時間をいただけますか?」

「前の件?」と天城が食いつく。

「別に、莉音さんには関係ないことです」

来理の柔らかい笑みが、逆に天城の神経を逆なでする。


「関係あるに決まってんでしょ。あたしの……いや、あんたのライバルなんだから」

天城は言いながら一歩前に出る。

来理も引かない。


――やばい、このままだと本当に火花が散る。

俺は慌てて、わざと声を大きくする。

「ほら、帰るぞ二人とも!夕日が沈む前にな!」

天城は不満げに視線を逸らし、来理は静かに会釈して歩き出す。


残された俺の頭には、一つだけ確信が残っていた。

この二人、今後ますます面倒な関係になりそうだ。


来理が歩き出したその瞬間――

「ちょっと」

低く短い声で天城が呼び止めた。


来理は足を止め、振り返る。

「……何でしょう、天城さん」

敬語。笑顔。けれど、その奥にある緊張感は俺にもわかる。


「さっきから、なんでそんなに佐伯に構うわけ?」

「理由を言わないといけませんか?」

来理の声色は変わらない。けど、その一言が天城の眉をピクリと動かす。


「同じクラスの子から聞いたのよ。あんた、この前も佐伯に相談してたって」

「はい。佐伯先輩は、信頼できる先輩ですから」

……信頼できる、ね。

俺は少しばかりくすぐったくなるが、天城の表情は逆に曇る。


「ふーん。じゃあ、あたしが話してる時は遠慮してくれない?」

「遠慮はしません。同級生だからって、天城さんに許可をもらう必要はありませんよね?」

来理は一歩も引かない。


二人は同じ1年生。

クラスは違うらしいが、部活や廊下ですれ違うことは多いらしい。

ただ、こうして俺を挟んで話すのは初めてに近い。

だからこそ、互いの警戒心がむき出しになる。


「ねえ佐伯」

天城が俺の方を向く。

「なんで黙ってんのよ。何か言いなさいよ」

「お、おれ?いや……別に、俺は二人が仲悪くなる必要はないと思うし……」

「仲が悪い?違いますよ」

来理が割り込むように言った。

「ただ、私は佐伯先輩と普通に話したいだけです」

「普通に?その“普通”があたしには気に入らないのよ」

天城の声が一段低くなる。


一瞬、部室棟前の空気が張り詰める。

俺は慌てて鞄を持ち直し、無理やり話題を変える。


「ほら、もう暗くなる。二人とも帰るぞ」

来理は小さく会釈し、静かに歩き出す。

天城は俺を睨むように見てから、わざと大きな足音を立てて後をついてきた。


階段を降りながら、天城がぽつりとつぶやく。

「……あの子、なんか気に食わない」

「気に食わないって……同級生だろ?」

「だからよ。同級生のくせに、あんたに距離詰めすぎ」

「あんた」呼び。いつも通りだ。


だが、その声の奥にはほんの少し、焦りのようなものが混じっていた。

俺は何も返せず、ただ沈む夕日を見つめながら歩き続けた。


――こうして、天城と来理の関係は、初めから険悪だった。

そして、俺はその真ん中に立たされることになる。


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