柵と君と隣と
第6話 - 出会いと笑顔と隣人と
放課後、俺は向かいの住宅街の坂道を下っていた。
いつもの帰り道。風が少し冷たく、夕日が街並みをオレンジ色に染める。
その時、向かいの家の玄関先から声がかかった。
「ねえ、君、佐伯くんだよね?」
振り返ると、目の前にはいかにもお姉さん気質を放つ女性が立っていた。大人しい落ち着いた雰囲気で、柔らかい笑みを浮かべている。
「……え、あ、はい」
ぽかんと立ち尽くす俺に、彼女は手を差し出してきた。
「私は天城莉音の姉、天城桜子。よろしくね」
その笑顔に、思わずこちらも返すしかなかった。
「あ、はい、佐伯直哉です」
小さな自己紹介だけで、妙に緊張してしまう。
桜子は微笑みながら、少し身を乗り出して言った。
「そう、莉音のことはよく話に聞いてるよ」
……俺は心臓が跳ねた。まさか姉に名前を知ってもらってるとは思わなかった。
「それじゃあ、これからよろしくね」
桜子さんは軽く頭を下げ、玄関先から家の中へと戻っていく。
俺はしばらくその場に立ち尽くし、夕日を背にして考える。
――天城の姉に会うなんて、思ってもみなかった。
⸻
その直後、隣の家の庭から声がした。
「あ、佐伯さん、こんにちは!」
振り返ると、隣家の後輩、桃沢来理さんが立っていた。
来理さんは髪を軽く結い、微笑みを浮かべながらこちらを見つめる。
普段から天城に負けず当たり強めな彼女だ。
「……こんにちは」
俺が答えると、来理さんは少し首を傾げ、挑戦的な笑みを浮かべた。
「佐伯さん、いや、佐伯先輩!これからよろしくお願いします!隣人同士、仲良くしましょ!」
その笑顔の裏に、少しばかりの勝気さを感じる。
――天城だけじゃなく、来理さんも絡むのか。放課後の住宅街は、いつもより少し騒がしくなりそうだ。
⸻
帰り道、桜子との自己紹介を思い返す。
「天城のこと、よく聞いてるんだな……」
少し気恥ずかしい気もするが、安心感もあった。
天城の普段のツンツンや当たり強めの態度とは違う、家族としての優しさが伝わる。
そして、隣にライバルがいることも頭をよぎる。
来理さんの勝気さと天城のツンツン。
二人の間で、これからどんな日常が動いていくのか――
少し胸が高鳴るのを感じた。
窓と玄関先と隣家。
夕日が作る長い影の中で、新しい関係が少しずつ形を作り始めていた。
桜子さんが玄関へと消え、静かになった向かいの家の前で、俺はしばらく立ち尽くしていた。
大学生らしい落ち着きと柔らかい笑顔――天城の姉、桜子さんの印象は思ったよりも温かく、初対面で少し緊張した気持ちが和らぐ。
「ああ、やっと落ち着いた…」
心の中で小さく呟き、肩の力を抜こうとする。
その時、隣家の庭から声が聞こえた。
「佐伯先輩、私のこと忘れてませんか?」
振り返ると、来理さんが立っていた。髪を軽く結い、上品ながらも強気な雰囲気を漂わせている。
「え、あぁ。ごめん。ごめん。」
思わず言葉が詰まる。桜子さんとの出会いで気持ちが高ぶっていたところに、今度は来理さんの視線が刺さるように感じられた。
「佐伯先輩、今日はこちらにいらっしゃるんですか?」
来理さんは軽く首を傾げ、笑みを浮かべる。笑っているが、目の奥には勝気さと探り合いのような光がある。
「まあ、たまたま通りかかっただけだよ。」
少し背を伸ばして答える俺に、来理は小さく笑いながら歩み寄ってくる。
「そうですか……私、先輩ともっとお話ししてみたくて」
敬語だ。落ち着いた口調だが、言葉の端々に興味と挑戦心が含まれている。
俺は心の中で少し緊張する。ツンツン系の天城とはまた違う、理性的で計算高いタイプの女子だ。
「話すって、どんなことを?」
思わず訊ねると、来理さんは少し微笑を崩し、手を軽く振った。
「例えば、通学路や学校のこと、あと……先輩のことも少し、知りたいなって」
俺は咳をひとつして、少し顔を背ける。
「そ、そうですか……」
来理さんの視線は真っ直ぐで、嫌なほどこちらを見つめてくる。
その後、二人でゆっくり歩きながら話すことになった。
「佐伯先輩、放課後はよく誰かと帰るんですか?」
「いや、たまに久賀とだけかな」
「ふうん……久賀さん、先輩の側近なんですよね?」
「そうだよ」
「しっかりされてるんですね……頼もしい」
来理さんはしっかりとした敬語を使いながらも、自然に俺の側近の存在を確認してくる。
歩きながら、夕日が二人の影を長く伸ばす。
話すほどに、来理さんの笑顔にはどこか挑戦的な響きがあり、俺の心をくすぐる。
ツンツン系の天城とはまた違うベクトルで、距離感を詰めてくるのだ。
「佐伯先輩、私、先輩のこと、少し興味があります」
突然の言葉に、思わず立ち止まる。
「え……興味?」
「はい。少しずつ、先輩のことを知ってみたいんです」
来理さんは恥ずかしそうに目を逸らすこともなく、真っ直ぐに言い切る。
その真剣さに、心臓が少し跳ねた。
「……わかった」
俺は軽く頷く。言葉は少なめでも、彼女の挑戦を受け入れる気持ちがあった。
歩きながら、自然と会話は続く。互いの学校生活のこと、趣味のこと、ちょっとした日常の話題。
来理さんは敬語で丁寧に話すが、時折垣間見せる笑みや仕草で、内心の好奇心や好意が伝わってくる。
帰宅前、来理さんは一度立ち止まり、こちらを見た。
「それじゃあ、また、佐伯先輩」
軽く頭を下げ、手を振る。
その仕草に、俺は思わず笑みを返す。
「うん、またな」
桜子さんとの出会いで少し緊張がほぐれ、来理さんとの会話で新たな関係が生まれた午後。
窓と玄関先と隣家。
夕暮れの光の中で、佐伯直哉と二人の女子――天城の姉と隣人ライバル――の距離感は、静かに、しかし確実に動き出していた。
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