第2話 - 傘と視線と午後と


昨日の雨。

天城が傘を持たずに濡れていたあの瞬間、俺は思わず自分の傘を差し出した。

「ほら、使えよ」

素っ気ない反応の中で聞いた小さな声の「……ありがとう」が、今でも胸に残っていた。


翌朝、いつもの通学路で自転車を漕ぎながら、俺は昨日のことを思い返す。

あの短いやり取りで、天城の無表情の奥に、少しだけ人間味を感じた気がする。

それが妙に気になって、心のどこかでそわそわしていた。


学校に着く前、向かいの二階の窓を見る。

天城はいつも通り窓際に立っている。目が合うと、わずかに眉をひそめ、すぐに視線を外す。

でも、昨日より少しだけ、こちらを意識しているように見える。


授業が終わり、帰り道。

俺は校門を出ると、天城も同じ方向に歩いていた。

後輩として、教室も学年も違う。でも、不思議と昨日の傘のことがあるだけで、少し距離が近く感じる。


「……昨日は傘、ありがとう」

思わず声をかけられた。

俺は一瞬立ち止まり、天城はちらりと俺を見た。

「……別に、当然だろ。」

俺の返事はなんだか素っ気なくなっていた。でも、天城の目は少しだけ柔らかくなった気がした。


坂道を下る途中、俺は少し笑いながら心の中で思う。

こんなに意識する後輩も珍しい。

言葉は少ないけれど、昨日の傘のやり取りが、彼女の中で何かを変えたのかもしれない。


家に帰って窓を開けると、向かいの二階の窓も開いていた。

天城は本を読んでいるらしい。目は下に向けたまま、ちらりと俺を意識しているように見える。

窓と窓。沈黙と視線。

昨日の一瞬が、確実に俺たちの距離を少し縮めた――そう思うと、自然と笑みがこぼれた。


明日も、きっと小さなやり取りがあるだろう。

窓越しの距離はまだ遠いけれど、昨日の傘の記憶が、俺の心に少しずつ温かさを残している。


夕方、窓の外に夕日が差し込む時間帯。

向かいの二階の窓はまだ開いていて、天城は窓際でアイスを食べて立っている。

俺は窓越しに視線を送る。すると、天城もちらりとこちらを見た。

眉をひそめているけれど、昨日の傘のことを思い出しているのか、少しだけ気まずそうだ。


その雰囲気を和らがせるために俺は窓を開けて手を軽く振った。

天城は少し戸惑ったように視線を逸らし、でもすぐに目を合わせた。

その瞬間、昨日の「ありがとう」が頭をよぎり、胸がぎゅっとなる。


放課後、家へ帰るため自転車に乗る。

天城も同じ時間帯に家路につくのか、校門の方向に歩いているのが見えた。

教室は違う。クラスも違う。でも、昨日の傘でのやり取りが、微妙に二人の距離を近づけた気がする。


坂道を下る途中、ふと天城が後ろを振り返ったような気がした。

振り返るタイミングは偶然かもしれない。

それでも、心のどこかで期待してしまう自分がいる。


家に着き、窓を開けると、向かいの天城の窓もまだ開いていた。

本を読んでいるようで、目は下に向けている。

でも、さっきよりわずかに窓が広がっていて、俺を意識しているのがわかる。


窓と窓。沈黙と視線。

昨日の傘、今日の挨拶、小さな変化の積み重ねが、俺たちの関係を少しずつ形作っていく。

明日もきっと、あの窓越しに何か小さな変化があるだろう。

そう思うだけで、胸が少し温かくなる。


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