“かがし” 下げの夕暮れ
武江成緒
一、ススキの原
「
“かがし” が潰れてまうじゃろが!」
夕暮れにまだ立ちこめる蒸し暑さ、それをぴしりとはねのけるような大声が響く。
最初からがたがた震えてた拓夜のやつ、抱えてたもんを取り落としかけて、そこへ怒鳴り声あびせられて、足までガクガクしてやがる。
人間って、こういう時、ほんとに顔が青くなるんだな。それも、こんな暑いときでも。
って、んなこと思ってる場合じゃねえ。
「
拓夜は今年で “かがし” 下げは初めてじゃろが」
ナイス、
「今からそないにビビらせて……見てみぃ、こいつ、日ぃが沈んだらちゃんと歩いて帰れるかどうかも怪しいで」
ああダメだわ。こういうとこだ、闇兄は。
「闇兄、やめえや。そっちの言い方のほうがよっぽど拓夜のメンタルに悪いて。
ほれ、拓夜。 “かがし” 運ぶんは俺と闇兄だけでやるから。虫除けでも撒きながらついてこい」
実際、もうずっと前から、蚊だの
冥三郎じいは振り向きざまに俺らをにらむと、口んなかで
今どきの若いもんは根性が ―― みたいな年寄りの定番ワードだろう。そんなもん聞きたくもないし無視する。
チビの拓夜でも、三人力が二人に減ると、ビニールシートに包まれてナイロンロープで縛られた “かがし” の重さは、腕と肩、腰にずっしりかかってきた。
―― “かがし” の重さは、 “かがし” の
―― 悔しい、悲しい、情けない、恨めしい。と言うとるんじゃろ。
夜がおりてくる前に、村へいっしょに帰してくれえ、て泣いとるんじゃ。
一週間前、人生二度目の “かがし” 下げの担当に選ばれたとき、うちのババァがニヤニヤしてそう言ったあとで、ヒッヒッヒッヒッヒッヒッヒッ……って妖怪みたいに笑ってたのが、耳と目によみがえってくる。
あのババァ、いつかくたばった時が盆の前だったら、絶対 “かがし” に
そう心に決めながら、もう酸っぱい、えぐい臭いが、真夏の暑さで、もわぁ、ってのぼって来るのもかまわずに、腕でしっかり “かがし” をかかえて、ざわざわと鳴くススキの小道を歩いてゆく。
このあたりのススキの原はその昔、
だから時々、この原っぱでは人がバラバラにされて見つかることがあるんよ、オホホ、オホホホ ―― って、ババァとはまた別ベクトルの不気味な笑いをしてたジジィは。
俺がたしか小四のころに、自分がここでバラバラになって発見された。
須々木ナントカの祟りか、真夜中にすっ裸で出歩く趣味のほうが祟ったか。
駐在のおっさんは「怪異死」の三字で片づけ、町の警察署までそれを受諾しやがったせいで、原因は不明のままだが。
あれからってもの、このあたりを通るとときどき、ススキの上をガイコツが踊ってるのが俺には見えるようになったんだ。
服どころか皮や肉まで脱ぎ捨てたジジイなのか、バラバラにされた須々木ナントカか、それとも別の誰かなのか。
とにかくまあ、ススキの野原を川みたいに泳いだり、はねたりしてるガイコツなんて、見て気持ちのいいもんじゃねえ。初めて見たときは三日三晩、ゲロと下痢をいっぺんにたれ流しながら高熱だした。
今日はまだ見えてねえが油断はできねえ。なにしろ “かがし” 下げの夜だ。
はやいとこ、くそ、この “かがし” を、この、日が暮れるまでに、首輪につけて、下げて、この、帰ったら、冷凍庫にしまってあるブラッドベリー味のアイスを、いや、 “かがし” 下げの日は集会所の裏にはられたテントで一晩、忌み落としなんだ。ちくしょう、あのお香の匂い、いや、臭いときたら、えぐくて、イヤな甘酸っぱさがまじってて、むわっとしてて、まるでこの、いま抱えてるこいつから立ちのぼってくる……。
―― ひぃッ!
耳を突きさすような悲鳴に、汗ですべって “かがし” を落としそうになる。胸が冷えて、ケツのあたりがじゅっ、って痺れる。
なんだか知らんが、いきなり拓夜がでっかい声をあげやがった。
「でかい声だすな! “かがし” 柱じゃ!
見たことくらいあるじゃろが!」
冥じいの怒鳴り声に、今度は賛成したい気になりながら、拓夜をにらみつけてやったが。
拓夜のほうは、目の前に立ちふさがってる黒い影に、顔をさらにまっ青にしてガタガタ震えて、こっちに気づくどころじゃなかった。
目の前に立ってるのは、ぶっとい
上の方からは、柱とちょうど直角にべつの木材が横につき出て。身長計のバケモノみたいな奴だった。
あちこちごっつい金具で補強されてるのと、横木の先からこれまたごっつい鎖でぶら下げられてる鉄の輪っかの不気味さのせいで、よけいにバケモノじみて見える。
「いや、冥じい。こんなとこまで遊びに来るやつぁ滅多におらんし。
見慣れんうちは誰でもびびるわ。こんな
闇兄のフォローはやっぱり、フォローにならん言いぐさだったが、たしかにそれは的を得てる、ってやつだった。
この高さとこの頑丈さじゃ、でっかい大人の身体をひとつ、何日かはぶら下げておけるだろう。
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