団地の箒は夜に眠る

第16話 箒置き場、ただいま混乱中

「見えないもを〜見お〜と〜して〜♪ ほうれん草を〜奪いとった〜♪」


 さつきは買い物袋をぶらさげて、団地の通路をるんるん歩いていた。鼻歌のテンポに合わせて、袋から飛び出した長ネギがぴょんぴょん揺れる。

 今日はいい買い物ができた。夕飯の献立もばっちり。足取りも軽く――


 角を曲がった、その瞬間――。


「だから邪魔だって言ってるでしょ!」


 静寂を切り裂いて、いくつも怒号が生まれていた。

 さつきの背中がぴんと伸びる。


 駐輪場の横にある箒置き場の前で人だかり。

 竹箒はきちんと並んでいる。――まではいい。黒光りのカーボン箒がラックからはみ出し、二人乗りの横長モデルがずるりと通路をふさぎ、翼のついた三角定規みたいなやつがガタン、と片膝をついている。極めつけはジェット箒。置いているだけでぷしゅう、と薄い煙。


「爆&速っす! 遅い箒なんてデートで笑われますって!」

「笑われるのはあなたの置き方。団地で暮らすなら、まず羽根をたたむ礼儀を覚えなさい」


 マリナが腕を組んで眉間にシワを寄せている。

 その前に立ちはだかるのは、4人の魔法使いの若者たち。彼女が人差し指を立てると、全員の眉が同時にぴくり。


「回覧板を何周させれば理解できるの? 置き方、ぜんぶ間違っているわよね」

「だからさ、古いラックが悪いんだって!」若い魔法使いが舌打ち。「時代は推進力。細い竹じゃ空は切れないんすよ」

「空を切る前に、隣人の平穏を切ってんのよ」


 マリナはくすりとも笑わずに言う。


「香水は薄める、廊下は筋かに、箒は場所をとらない。団地でのマナー、三点」

「価値観が西暦っすね」

「マナーは元号で変わらないのよ」


 空気がピリピリ。

(見なかったことに、見なかったことに……)


 さつきは買い物袋を胸の前に抱え、そ〜〜っと壁づたいに移動した。壁の苔と同化するイメージ。いける。長ネギがのぞき過ぎてる? 戻れ、ネギ。


「ほら見てよ、このノズル。ちょーかっけーっしょ? 推進効率が――」

「その“効率”が隣の自転車が煤まみれになるの。かっこよさより暮らし。わかる?」


(わかる。すごくわかる。でも今は通り過ぎたい。お味噌が汗かいちゃう)


 そろり、そろり。

 が、ジェット箒が突然、ぷす、と大きめに咳き込み、風がエコバックの口をふくらませた。中からほうれん草がぽんっと脱走を試みる。


「ひっ」


 反射で掴む。セーフ。ふう。ほうれん草を抱えて立ち上がった、そのとき。


「――あら、さつきさん」


 背中に、すっと艶のある声。優しいけど、逃げ道をふさぐトーン。


「ちょうどいいところに。生活のプロの目、貸しなさい」

「え、えっ、い、いえ、わたしはその……レンソウが、あの、マシマシがいいなって……」

「家系トークは後。今は箒。ね、こっち」


 マリナの指先がくい、と合図する。若者たちの視線が一斉にこちらへ流れてくる。熱い。


(巻き込まれた。完全に。……がんばれ、わたし)


 小さく息を飲んで、さつきは一歩、輪の中へ踏み出した。

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