第3話 夢魔のお茶と、迷惑な話

 マリナの部屋は、生活の手触りで満ちている。

 使い込まれた木のテーブルにティーカップが二つ。壁には乾燥した植物が束ねて吊られ、隅には水晶玉と古びた魔法書が積まれていた。雑然、でも落ち着く。

 ――マリナさん、そのもの。


「さ、座って」


 言われるまま腰をおろすと、マリナの指先が白く灯る。茶葉がふわりと跳ね、湯がすっと寄ってくる。湯気が魔法みたいに花のかたちに開いた。いや、魔法だ。


「わあ……いい匂い」

「夢魔の葉よ。ほんの少しだけ、いい夢が見られるやつ」


 マリナが艶っぽく笑う。湯気越しに見る笑顔は、なぜだかものすごく説得力がある。


「ねえ、さつきさん。ここ数日、ちょっと無理してる顔」

「え、どうしてわかるんです?」

「まぶたの下が、SOS。もしかして――旦那さんとの夜の……」

「ち、違いますって!」


 反射で立ち上がりかけ、椅子が鳴る。ほっぺが熱いのは、きっと湯気のせい。


「ふふ、冗談。似合う反応で、何より」


 マリナは一口すする。カップがソーサーに触れて、ちいさく鳴った。


「本題。例の騒音のこと、よね?」


 図星だ。

 さつきはカップを両手で包み、こくりとうなずいた。


「やっぱり、聞こえますよね……『ゴリラ、アハッ、アハッ!』って」

「違う違う、『ガイア、ママッ、ママッ!』よ」

「あれ? 『セェット、ハァッ、ハァッ!』だったかも」

「……それはどうでもいいけど、静かじゃないのは確か」


 二人して、ふっと笑う。


「団地全体の問題よね」とマリナ。「上の階のドラゴニュートは不眠で不機嫌だし、保育スライムが泣くと、管理のコボルトがまた回覧板を回す。盛り上がるのは一人でも、揺れるのは全部の家なんだから」


 マリナの言い方は穏やかだが、言葉はきっぱり。生活を回す人の口調だ。


「どうしたら……」


 さつきが言いかけると、マリナは肩を小さくすくめ、目だけでいたずらっぽく笑った。


「さあね。でも、だいたい、こういうときは“誰かさん”がどうにかしてくれるのよね」

「誰かさん?」

「ほら。洗濯ばさみで結界を作るのが上手な、あの人」


 さつきは自分の指先を見る。さっきまで洗濯物を挟んでいた指。家事の天才じゃないけれど、守るのは得意かもしれない指。


 カップの縁から、あたたかい香りがもう一度、するりと立ちのぼる。

 この団地が好き。だから――放ってはおけない。

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