第19話


「ナイフをしまえ。」


しかしスーツの男はドビンの首に当てたナイフを引く気配がなかった。


「おい、店長。うんこコーヒーの採取方法、よく知らないだろ?」

「あんたたち、ヤクザか? チンピラじゃないなら、そのナイフをしまって話そうぜ」


ドビンの言葉が気に障ったのか、スーツの男は膝蹴りをドビンの腹に食らわせた。


「ぐっ。」


ドビンは短い悲鳴をあげ、腹を押さえた。



「キヨン、捕まえろ!」

スーツの男が坊主頭の男に命じると、男はドビンの後ろに回り込み、両肩を力いっぱい掴んだ。


「これからうんこコーヒーの栽培方法を説明するから、よく聞け。 まず象の餌にコーヒー豆を混ぜる。そうすると象がそれを食べる。そうだろ?」

「……」

「その後、餌をたくさん食べた象がうんこをする!そうすれば、中にコーヒー豆が混ざって出てくるだろ?それを一つ一つ丹念に拾い集めるんだ。うんこの塊をかき分けながらな。」

「……」

「だが、たまに悪賢い作業員が、豆をいくつか横取りして家に隠し、ある程度集まると売ることもある。」

「一体、何を言いたいんだ?」

「うんこの塊の中から宝石をすくい取るように、すくい取った女さ。」

「何?」

「お前、韓叡潾 (ハン・イェリン)の下で働いてるだろ?」

「何が言いたいんだ?はっきりと言え?」

「よく聞け。これ以上ハヨンに近づいたり、恋人の真似をしようとしたら、タイのコーヒー農園に送り込んで生涯うんこコーヒーでも売らせてやる。あるいは真ん中を使えなくして女に作り替えて売り飛ばすからな。わかったか?」


スーツ男は刀の刃の一方をドビンの頬に当て、ゆっくりと引いた。


「張 河永(チャンハヨン)お前みたいなやつが手を出しちゃいけない女なんだ。」


その瞬間、ドビンの表情はショックを受けたかのように歪んだ。


「お前たちは誰だ? 何様のつもりで俺に指図してんだ?」

「何? あれだけわかりやすく説明してやったのに、耳にイヤホンでも突っ込んでんのか?」


坊主頭の男が後ろからドビンの背中を肘で打ちつけた。

ドビンはその場に倒れ込み、苦悶の表情を浮かべながらスーツ男を見上げた。


「何見てんだよ!」


スーツ男は今度はドビンの頭を片足で持ち上げ、すぐそばに駐車されていた車の助手席のドアに押しつけた。


「後で必ず仕返ししてやる……今受けたこの侮辱をな。」

「は? 今になって何言ってんだよ。お前は、クソの中を掘り返して出てきたみっともねぇ労働者なんだよ。もう一度ハヨンの前に現れたら、クソか味噌か区別つかなくしてやる。分かったな?」


スーツ男が怒鳴り、同時にドビンの頭から足を離した。


「警告はしたぞ。」


そう言いながらスーツ男は、地面に落ちていたドビンのスマホを拾い上げ、手の中で軽く揺らした。


「おや、スマホが壊れちまったな。まいったな……まあ、髪の毛を飲み込んだときの補償と相殺ってことでいいか。なあ、店長。被害補償にもいろんな方法があるんだな。」

「じゃあ、これで取引は終わり。二度と会うこともないだろう。」


スーツ男と坊主頭は、ドビンを嘲笑しながら高級セダンに乗り込んで去っていった。


ドビンは痛みよりも、「ハヨン」という名前が彼らの口から出たことに強い動揺を覚えていた。

彼はしばらくその場に膝をついたまま動けずにいた。

近くのオフィステルの数軒の窓に灯りがつき、人々が興味深そうに窓から覗いているのが見えた。

ようやく気を取り直したものの、怒りの炎を抑えるのは容易ではなかった。

もしあのスーツの男が刃物を持っていなければ、あの二人を相手にするのは大したことではなかったはずだ。それだけの喧嘩慣れはある。

だが、問題はハヨンだった。

ハヨンと通話ができるまで、いや、あの二人の正体がはっきりするまでは、下手に動くわけにはいかなかった。

彼らの暴力は、顎や腹など、外傷が目立たない場所ばかりを狙っていた。

ただのチンピラではない。喧嘩のプロだった


「あいつらとハヨンは、いったいどういう関係なんだ?」

「クソの中から掘り出された宝石……?」


ドビンには、ハヨンがあんな連中と関わっているとはどうしても信じられなかった。

そういえば彼は、ハヨンについて「大学生で金持ちの娘らしい」という漠然とした印象しか持っていなかったことに気づく。


「まさか……彼女の父親が?」


しかし、それ以上に気になったのは


「クソの中から掘り出された宝石」――あの言葉だった。


ドビンは落ちていたスマホを拾い、画面に異常がないか確かめた。

だが、画面は真っ黒なままだった。

まるで中にあったすべてのデータが、闇の中に吸い込まれてしまったかのようだった。

ハヨンの連絡先も、ようやく受け取ったばかりだった。


ドビンは傷だらけの身体を引きずるようにして、急いで家へと向かった。

部屋に戻ると、彼はタブレットの電源を入れ、SNSを開いてハヨンのプロフィールを探した。

ラベンダーの花びらのアイコンが、彼を優しく迎えてくれるようだった。

しかし、彼女は忙しいのか、先ほど、送ったメッセージすらまだ既読になっていない。

彼は一瞬、ためらった。あのヤクザのような男たちのことを話すべきだろうか?

ナイフで脅されたことまで、伝えるべきなのか?


ドビン:ハヨンさん、無事に帰れた?

ドビン:今日、ついに夕焼けを一緒に見られたね。

ドビン:家族の集まりがあるって言ってたし、迷惑にならないようにこれで。時間あるときにまた連絡して。


メッセージは未読のままだったが、2時を過ぎたころ、ようやく返信が届いた。


ハヨン:ドビンさん、ごめん。久しぶりの家族の集まりで遅くなっちゃった。

ドビン:あっ、そうだったんだ。いい時間を過ごせたみたいだね。

ハヨン:うん、久しぶりに会う人たちだったから、カラオケにも行ってきたよ。ドビンさんはすぐ寝た?

ドビン:もちろんさ。でも…

ハヨン:でも…って、もしかして?

ドビン:携帯を落としちゃって、画面が完全に壊れた。

ハヨン:えっ、本当?どうしてそんなことに?

ドビン:うーん……


ドビンは、真実を伝えるべきか迷った。

あの暴力団のような二人の登場は、ただの混乱では済まされない出来事だった。


ハヨン:気をつけていればよかったのに。じゃあ電話も繋がらないね?

ドビン:たぶんね。

ハヨン:ああ、どうしよう……私、明日急に日本に行かなくちゃいけなくなったの。

ドビン:日本?急に?

ハヨン:うん。おじさんが急に結婚することになって、その相手が日本人なの。私たち家族も招待されたの。

ドビン:そんな急に決まるもの?


ハヨンが突然日本に行くのは、珍しいことではないのかもしれない。

だが、前触れもなく「明日出発」というのは、どう考えても不自然だ。


―私、疑い深いのよ。―


ふと、ハヨンがかつて言った言葉が蘇る。

自分が疑い深くなっているだけかもしれない……そう考えてみる。


でも――

いくら親しい間柄でも、数時間で旅行が決まり、翌日出発なんて、やはり不自然だ。


ハヨン:本当に急に決まったの。……もしかして、もう私に会いたくて仕方ないってこと?

ドビン:そう見える? ハヨンがそう言うなら、そうなんだろうね。


ドビンは、暴力団のことを話す機会を徐々に失っていった。

日本行きの話を聞くまでは伝えるつもりだったが、いざ彼女に疑念を抱いた瞬間、その反応が怖くなってしまったのだ。


ドビン:明日行くなら早く寝なきゃね。もう2時半だし。俺も新しい携帯を買わなきゃだから、今日はもう寝ようか。

ハヨン:え?あ、そう?

ドビン:いつ帰ってくるの?

ハヨン:3〜4日くらいかな。私がいない間に変なことしないでよ?

ドビン:何言ってるんだよ。

ハヨン:……

ドビン:じゃあ、明日また連絡しよう。

ハヨン:機嫌悪いんだね。……わかった。気をつける。

ドビン:うん。気をつけて行ってきて。

ハヨン:おやすみなさい。


二人の会話は、静かに終わった。


ドビンは眠れなかった。

ハヨンもまた、ドビンを思いながら、日本旅行の準備に追われて眠れぬ夜を過ごしていた




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