Algernon

「……ただいま。」

ひんやりとした空気が肌を刺す。六畳間で積み上がったダンボールに、私の声が虚しく打ち返された。秋の夕暮れは、こんなにも寂しかっただろうか。

つい一週間前まで、この家には温かい歌声が満ちていた。

幼い頃に両親が離婚してから、私とおばあちゃんはいつも一緒だった。家に帰ると、夕焼けで橙に染まった縁側には、決まっておばあちゃんが座っていて、猫を撫でながら私を待っていた。

「ゆうやーけこやけーで ひがくーれーて」

童謡『夕焼小焼』を口ずさむおばあちゃんの声は、いつもどこか楽しそうで、その歌声を聞くと、今日あった嫌なことも全部消えてしまうような気がした。いつも私はおばあちゃんの隣に座り、一緒にお茶を飲んだり、一日のできごとを話したりした。

空が暗くなると、おばあちゃんは必ず、一年中かけっぱなしの風鈴をチリンと鳴らした。それが、おしゃべりを切り上げてお風呂へ行く合図だった。

今日も、窓の外にはあの頃と同じ、綺麗で真っ赤な夕焼けが広がっている。でも、縁側におばあちゃんは居ないし、あの歌声も聞こえてこない。代わりに、撫でてくれる人を失った一匹の黒猫が、空に顔を向けて静かに座っている。

おばあちゃんの定位置だった場所に、そっと腰を下ろしてみた。片手で、黒猫を優しく撫でる。

「ゆうやーけ こやけーで ひがくーれーて」

少し震えた、音痴な歌声が口から漏れた。涙でぼやけた視界の中、それでも夕焼けは変わらず、橙色に空を染めている。私がいつかおばあちゃんになっても、この景色はきっと変わらないのだろう。

気づけば、黒猫はすっかり寝息を立てていた。

「うー、さむい。」

肌寒い晩秋の風が吹き、かけっぱなしの風鈴がチリンと鳴る。おばあちゃんが、お風呂に行く合図を送っているようだった。

「なんだ、おばあちゃん。ちゃんと、ここにいたんだね。」


ゆうやーけこやけーでひがくーれーて

やーまーのおてらーの かねがーなーる

おーててつーないで みなかえろ

かーらすーといーしょに かえりましょ

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Algernon @Mefumeto

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