#3「安請け合いでモンスターに吠えられる」
牢を出ても、行くあてなんてない。
金なし。宿なし。ツテなし。あるのはモップ一本。
――冷静に考えたら完全に詰んでる。
けど腹は待ってくれない。
とにかくメシ代を稼ぐしかない。
大通りをふらついていると、視界に石造りの大きな建物が飛び込んできた。
屈強そうな男たちが剣や鎧で武装し、次々と中へ入っていく。
入口の上の看板を見上げ――
「……読めん……」
通りがかりの商人がぼそっと言う。
「冒険者ギルドで依頼を…」
――冒険者ギルド。アニメで散々見たやつだ。
依頼を受けて報酬を得る、何でも屋の総本山。
金を稼ぐためなら、背に腹は代えられん。
モップを握り直し、そのまま中へ足を踏み入れた。
中は賑やかだった。
鎧のきしむ音、木の床を踏み鳴らす足音、笑い声と怒号。
片手のモップを持ち直し、まずは様子をうかがう――
あたりを見渡すと奥にクエストカウンターらしきものが見えた
カウンターの前に立つと、若い女性が笑顔を向けてきた。
「今日はどのようなご用件ですか?」
「……冒険者登録がしたいんだが…だが文字が読めん……」
「大丈夫ですよ。文字が読めない冒険者さんは多いですから」
柔らかな声に少しだけ肩の力が抜ける。
彼女は名前や職業を聞き取り、代わりに用紙へ記入してくれた。
「職業は……清掃員、でよろしいですか?」
「ああ、どこまでも清掃員で」
こうして俺は、冒険者恭真として異世界での新しい一歩を踏み出した。
案内されるままクエストボードの前に立つ。
この世界の依頼書は、文字が読めない者でもわかるように内容を示す図と各貨幣を示す数字が必ず描かれている。
剣と魔物の絵は討伐、森と草束は採取、樽とロープは荷運び。
図を見れば何となく分かる。
だが上段に並ぶ紙はどれも物騒で、報酬額もやたらと高い。
命をかけるような依頼を受ける気は毛頭ない。
視線を下へ移すと、水桶とほうきの絵――掃除だろうか。
…だが貨幣を示す数字は小さい。
俺はボードから離れ受付に戻った。
「……ほかに掃除のクエスト、ないか」
受付嬢は一瞬驚き、それから俺のモップを見て柔らかく笑った。
引き出しから一枚の紙を差し出す。
「ありますよ。町の下水路清掃の依頼です。危険はほとんどありません。報酬は銀貨一枚と銅貨五枚です。銀貨一枚で安宿に一泊できますし、銅貨五枚あれば温かいスープとパンが食べられます」
――屋根と飯。それだけあれば今日を生き延びられる。
「……それにする」
指定された下水路へ向かう。
裏通りを抜け、鼻をつく匂いが漂いはじめたあたりで現場に着いた。
細い運河のような水路が町を横切り、濁った水が流れ両脇に泥とゴミが山を成している。
ギルド支給の鉄製スコップを手に取る。
モップとは勝手が違うが、これもまた掃除道具だ。
「……刃の形が違えど、穢れを討つ使命は同じ」
俺はスコップを片腕で掲げ、もう片方の手で目を覆う。
「闇を祓う光はここに…」
魚売りの親父がなぜか眉をひそめて足早に通り過ぎる。
荷車を押す若者は、ぽかんとした表情をしてそのまま去っていった。
――ふっ慣れている。いつもの日常だ。
作業に取りかかる。
スコップで泥をすくい上げ、ゴミと一緒に桶へ放り込む。
固まった藻は刃でこそぎ落とし、ひねりを加えて剥がす。
現世で十五年鍛えた腰と腕は健在だ。
時間を忘れて手を動かし続けた。
気が付けば日は暮れ、水路は見違えるほどすっきりしていた。
「――浄化完了――」
振り返ると、見物していた子どもがぽつり。
「なんか……変なおじさん…」
聞こえないふりをして、ギルドへ戻る。
受付に依頼書を差し出すと、彼女は一通り確認して微笑んだ。
「お疲れさまでした。こちらが銀貨一枚と銅貨五枚になります」
机に置かれた銀貨がきらりと光る。
銅貨は少しすすけており、どこか生活の匂いがする。
俺は礼を言い、ギルドを出ると屋台へ向かった――飢えという名の敵を討つために。
香ばしい肉の匂いに釣られて、鉄串に刺さった焼き肉を一本。
さらに丸パンと野菜スープを追加する。
噛めば肉汁が口いっぱいに広がり、温かなスープが胃袋を優しく満たしていく。
安宿は木造二階。年季は入っているが、屋根と壁があるだけで十分だ。
片手のモップを壁に立てかけ、靴を脱いで布団へ体を沈める。
「……ふっ、今日はよく働いた。世界の穢れは…また…明日討つ……」
次の瞬間、意識は闇に溶けた。
翌朝。
腹も心も軽く、再びギルドへ。
クエストボードの下段に、教会の外観とほうきの絵。
報酬の数字は銀貨を示す2。
――教会の大掃除。
古い建物の埃、磨き甲斐のある床、光を取り戻すステンドグラス……想像しただけで右手がうずく。
俺はクエストボードから大急ぎで依頼書を引き抜いた。
一直線に受付へ。
「報酬は銀貨二枚です。隣村の教会で――」
「受ける!!」
勢いに押されて受付嬢が一瞬後ろに引き、まばたきする。
モップのふさが、なぜかふわっと膨らんだ気がした。
依頼書を懐にしまい、街道を歩く。
教会の大掃除を妄想する。埃を払い、窓を磨き、床をモップがけし、最後にピカピカの聖堂を見上げる――
あっはぁぁッ!! 至福ぅぅぅ。
その時だった。
風に混じって、獣の咆哮が大地を震わせるように響く。
反射で心臓が喉まで跳ね上がった。
足は命令なしで回れ右、勝手にトップギアに入っていた。
逃げた……俺は逃げた……モップを抱えて、全力で。
砂を巻き上げながら、音の届かない方角まで一直線――
「きゃあっっ!」
背後から悲鳴が聞こえた。
反射的に足が止まり、振り返る。
遠くで低く続く獣の遠吠えと、何かがぶつかる鈍い音。
女の声――まさか、モンスターに襲われているのか?
背中を冷たい汗が伝い、握るモップの柄がやけに重い。
膝は勝手に小刻みに震える。
もし、人が襲われているのなら――
おぼつかない足取りで、その声の方へ向かった。
やぶを抜けた瞬間、視界が開ける。
長い金髪に革の鎧を着た女が、剣を構え、狼型のモンスターと対峙していた。
俺は木の陰に身を沈め、ただ息をひそめて見つめる。
足はガクガクだが、目だけはその光景から離れなかった。
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