火星の砂

明松 夏

第1話 天才児

 液晶テレビの向こう側。


 そこでは火星が広がっていた。


 酸化鉄を含む赤い砂の上に、重厚な宇宙服を被った飛行士が五人立っている。


 一歩、また一歩踏み出していく彼らの後ろには、くっきりと足跡が残されていた。


 その時、僕は小学生ながらにして強く確信したのだ。


「次に未踏の地へ足跡を残すのは僕だ」と。





 時の流れとは早いもので、火星に人類が到達してから早七年。僕は高校生になった。


 この歳になれば否が応でも理解する。


 宇宙飛行士という夢の職業の門の狭さと、その仕事の難易度を。


 僕は学校から配られた進路希望の紙をじっと見つめながら、細く深い息を吐く。


「なあ、大学どこ行く?」


 ガガガ、と前の席の椅子が引かれ、僕の視界に顔が一つ映り込む。


「んーまあ、無難に近くの私立でいいかな」


「えっ、マジ⁉︎ じゃあ進路先一緒かも!」


「えーまた一緒かよ」


「本当は嬉しいくせに!」


 立ち歩くなーとやんわり注意する担任の言葉は華麗にスルーされ、クラスの人たちの大半が友達の進路希望を聞いてまわっている。


 伊藤 悠太もその一人。


 彼は数多くの友達の中から僕の進路先が気になったらしく、空いた席に居座ってまじまじと紙を覗き込んでくる。


「あれ、まだ白紙じゃん」


「あー……まだどこ行くかは決めてないんだよ」


「えっ、じゃあ俺と一緒のとこ行こうぜ! おまえん家から近いし、何より学食がうめぇらしいの! よくね⁉︎」


「学食メインかよ」


 ツッコむ僕の声は聞こえていないのか、悠太は進学を希望している大学のPRをペラペラと喋る。


 これだけその大学について調べているのなら、きっと彼は受かるのだろう。


 僕は悠太の話に耳を傾けながら、まだなに一つ書けていない自分の真っ白な紙をぼーっと見つめていた。


 その時だった。


「あっ」


 ガタンと揺れる机。


 からんころんと転がり落ちるシャーペン。


 それらはすべて、目の前で床にうつ伏せるクラスメイトの彼による振動のせいであった。


 いったい何に躓いたのか、膝をさすりながら起き上がる彼に、僕と悠太のみならず、周囲のクラスメイトたちも注目する。


「あっ、ご、ごめん! 机、直す!」


「あ、うん。ていうか、大丈夫?」


「大丈夫!」


 俊敏な動きでシャーペンを拾い、机を元の位置に戻した彼は顔を赤らめながらいそいそと担任の元へ走っていく。


 突然 訪れた嵐のような出来事に、僕も周りもしばらく放心していたが、みんなの空気が元に戻っていくのを感じてハッと我に返った。


「びっくりした。何かに足引っかけたのかな」


「あーたしかに。意外と狭いんだよな、席と席の空間」


 悠太も口を開けて呆けていたが、僕が声をかければ視線はこちらに向く。そしてまた大学のプロモーションに入るのだろうと僕は耳を傾けた。


 しかし、口をもごもごとさせて中々開口しない。


 疑問符を浮かべながら軽く名前を呼びかけてみるが、「んー」だとか「いや」だとか曖昧な相槌しか返ってこない。


 突然なんだというのだ。


 先ほどまで饒舌に語っていた口がしっかりと閉じられ、視線は魚のように泳いでいる。


 悠太の豹変ぶりに、思わず進路希望の紙から目を背けてしまった。


「……なあ」


 どうやらようやく話す気になったらしい。


 相変わらず不審な雰囲気は否めないが、僕は「なんだよ」とぶっきらぼうに続きを催促する。


「中村、さっきこけてた中村ってやつさ、県外の国公立大学志望してるらしい」


「へえ、すげえ」


 先ほどここでこけて赤面していた彼は中村 亮といって、この学校じゃ知らない奴はいないくらい頭のいい天才児だ。


 何かのコンテストに参加すれば大抵表彰され、全国模試でも一位とまではいかないが、中々の好成績を残しているのだとか。


 こんな辺鄙な田舎の高校で珍しい逸材なのである。


 それはそうと、あれだけ溜めておいて結局他人の噂話か。


 僅かながらそんなことを思いながらも、素直な感想を短く伝える。


「いや、すげえんだけどさ。もっとすげえのがその理由。なんでも、その大学の教授に目かけられてるらしくて。前にさ、科学コンテスト? みたいなやつで表彰されてたじゃん、それで」


「えっ、すげえじゃん」


 思いもよらない中村の功績に、今度は半ば反射的に声が出る。


 まさか大学の教授までに目をかけられているとは知らなかった。


 そんなに凄いやつだったのか、と前で担任と話す中村をじっと見つめる。


 話したことはあまりないのだが、自分のクラスに優秀な奴がいて、その能力を大人にも認められているとなれば他人事でも心が躍る。


 他のクラスにも自慢したくなる。関わりはほとんどないけれど。


 すると、いつのまにか僕の机に突っ伏せていた悠太がこれでもかと言わんばかりの盛大なため息をついた。


「なんだよ」


「いや、羨ましいなあって。熱中できるもんがあるってさ。俺、勉強好きじゃないし、大学行くのも周りが行くからっていうしょうもない理由だしさあ。何か行きたい理由が明確にあるやつらが羨ましいよ」


「……」


 そんなこと思ってたのか。


 いつもクラスのムードメーカーで悩みなんてなさそうなやつだから、突然 吐露された悠太の悩みへの返答に詰まる。


 それと同時に、いつから住まうようになったのかわからない、心の奥底の黒いモヤがぎゅるりと蠢いた。


 ……僕の宇宙への思いは熱中に入るのだろうか。


 ふと懐古の夢が蘇る。


 諦めてしまった夢への思いは、冷え切ったアイスのようにいつか溶けて原型を留めることができなくなってしまうのではないか。


 悠太の愚痴を聞き流しながら、焦燥ともいえようそのドロドロとした渦に、僕はだんだんと飲み込まれていくような気がしていた。



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