日常の中の非日常な話【短編まとめ】

吉井田 隣

ななちゃん

「あの子はカミ様の子だから」

 そう言われていた子がいた。


 それは私がまだ小学生の頃。父の仕事の都合で、夏休みの間に元々の土地から飛行機と電車を使ってほぼ1日かけて移動しなきゃいけないような場所に引っ越した。友達もいるのに!嫌だ!…と叫んだところで小学生の私に抗えるはずもなく。困ったようにする父に謝られ、目を鬼のように釣り上げた母にいい加減にしなさいと叱られ、泣く泣く転校した。

 引っ越すまで知らなかったけれど、そこは父の故郷で、テレビ通話でしか話したことがなかった祖母もいた。

 そこは今までとは違い、テレビでしか観たことがないくらいの「the・田舎」といった村だった。

 誰だったかの歌で、空は高く澄み渡り、なんて言っていたけれど、その時初めて空が高く感じて感動したのを今でも覚えている。

 それでも何日かすれば慣れてくるものだ。娯楽はない。虫なのか鳥なのか蛙なのかわからない声が外からずっとしていて、寝る時もずっとうるさい。遊ぼうと声をかけてもみんな山を登っていくだけで、スマホも持ってなければゲームなんてトランプ一つ。服もみんな同じようなTシャツに短パン。男女の違いは色くらいなもので、みんな山に登って虫を追いかけ川に入りと自然の中で遊びまくるからか薄汚れた格好をしていた。

 もうヤダ、帰る!と何度泣き叫んだだろうか。あまりにも切実に泣いたものだから流石の母も困惑していた。

 そんなある日だった。

 こんな私だから村の子となんて仲良くなれずに、スマホで東京の友達と連絡を取るしか時間を潰すことができなかった。

 その日も川沿いの小さな公園の中にポツンとある大きな石に座って友達とやりとりをしていた。

 たまに空とか川とか、そんな少しばかりの綺麗なものを写真に収めて送れば、友達は「綺麗だね」と言ってくれる。でもこっちにはコンビニもないんだよ、と言えば「帰っておいでよ」なんて言う。帰れるわけもないのに。

 そう不貞腐れてスマホを草むらにぽいっと投げた時だった。

「これはなに?」

 スマホが落ちた先に、女の子がいた。今の今まで気づかなかった。

 びっくりして飛び上がって、でも何も言えなくて。えっと、その、ばかりを繰り返していたらその子はスマホをつまみ上げた。

 そんなに汚いものじゃないのに、と少しムッとしたけれど、そのあとその子が不思議そうに首を傾げてスマホを見ているから、本当に知らないのかも、と思った。

「これはなに?」

 その子はもう一度言って私を見た。

 すごく綺麗な子だった。こんな綺麗な子がこの村にいたのかと驚くくらい。

 他の子達とは違って肌は真っ白でツヤツヤ。テレビで見る女優さんよりも輝いて見えた。

 目もくりっと大きくて、光の関係か少しばかり青っぽく輝いて見えた。綺麗なぱっちりの二重に、まつ毛がくるんと上がっていて、ツヤツヤな黒髪もあって、お人形さんみたい、と思ったのを覚えている。

 その子は首を傾げて私を見て返事を待っていた。ハッとして

「スマホ!」

 って思った以上に大きな声が出た。とても恥ずかしくて慌てて口を押さえるとまたこてんと首を傾げて

「すまほ」

 と言う。

「スマホ、知らない?」

 そう聞けばこくん、と頷いた。

 私はその子からスマホを返してもらって写真を撮った。パシャリ、という音にびっくりして目を丸くしている顔もとても可愛い。

 画像フォルダにすぐ現れたその写真を見せると、ぱっと顔が明るくなった。

「すごい」

「音楽も聴けるよ。好きな曲ある?」

 首を傾げる。最近の曲は知らないのかもしれない。

「じゃあこれ私の好きな曲」

 そう音楽を流せばまた目を丸くして

「すごい」

 と笑う。とても可愛い子だった。

 それからその川沿いの小さな公園に行くと、その子が顔を出すようになった。

 名前は「なな」というらしい。漢字は?と聞くと首を傾げたから平仮名なんだろう。私はそう思った。

 ななちゃんはとても可愛い子だった。歳を聞くと6歳と言っていた。

 小学1年生なら漢字がわからなくても仕方がないか、と公園の土に漢字で私の名前を書くとそれもまた嬉しそうに真似をして書いた。

 知らないことが多い子ではあったけれど、なんでもすぐ覚える子だった。

 だから、いつの間にか写真も音楽も使いこなせるようになっていた。私のスマホだけど。

「スマホ、買ってもらったら私と連絡しようよ」

「かってもらう?」

「うん、お母さんかお父さんに」

「おかあさん?おとうさん?」

 そうまた首を傾げる。もしかしたら厳しいお家なのかもしれない。そう思ってそれ以上は深くは言えずに話を変えた。

 ななちゃんとはいろんな話をした。山を駆け上がって遊ぶ…というタイプでないだけなのに何故かとても居心地が良くて、私はななちゃんが大好きになった。


「そう言えば来週から学校だね」

 そう話しかけたのは金曜の16時ごろだった。話す前にスマホのアラームが鳴ったから覚えている。お母さんが設定した帰宅の合図のアラームだった。

 夏休み明けの学校が嫌で嫌で仕方がなかったけれど、ななちゃんがいるなら、と思って別れの挨拶がてらにそう話しかけるとななちゃんは笑った。

 今まで見たことがない、悲しそうな寂しそうな笑顔で私を見た。

「わたし、ななだから」

 ん?と首を傾げた。ななちゃんなのは知ってるよ、と返してもにっこりと笑うだけ。よく分からない。

「わたし、にちようびに7さいになるの」

「え!そうなの!?早く言ってよ!じゃあ日曜日にまた来るから!お祝いしなきゃだね!」

 どこか嬉しくなって能天気にそんなことを返した。

 だけど、それもまた悲しそうに笑うだけで、ななちゃんは何も言わなかった。

 じゃあまた日曜日に、と手を振って別れた。ななちゃんも手を振りかえしてくれた。振り返ると見えなくなるまでずっとずっと振ってくれていた。

 日曜日、ななちゃんは来なかった。


 日曜日の夜、家には珍しく祖母がいた。祖母は少し離れた山の麓の家に一人で住んでいたから、私たちが住んでいるところに来るのはあまりなかった。

 泊まってくの?と聞くと祖母は山の方を見た。

「今日はお嫁に行く日だからね」

 と。会話が成立していないことは小学生の私でもわかった。

 どういうこと、と聞いても何も言ってくれないので、私は話を変えてななちゃんのことを話そうとした。

「そういえば今日ね、友達の誕生日なんだって」

「へぇ、お祝いはしたの?」

「ううん、しようと思ったんだけど、ななちゃん、公園に来なくて」

 ななちゃん、と言ったとき祖母の顔がこわばった。そしてゆっくりと鬼のように目が吊り上がっていった。

「いいかい、忘れなさい。その子のことは忘れなさい。いいね」

 肩を強く掴んで祖母は言った。

「これから絶対に何があっても、これからその子を見ても、絶対に名前を呼んじゃいけないからね。あの子は、カミ様の子だから、あんたが代わりに連れてかれるよ」

 と。

 そう言って祖母は何度も「名前を呼ぶな」「忘れなさい」「連れて行かれるから」を繰り返した。

 肩に食い込んだ爪の跡は、鬱血してしばらく消えなかった。


 それから何年も経った。

 村を離れ大学に通っている中で、私はその村の恐ろしい風習を知ってしまった。

 きっかけは必須科目の民俗学の講義だった。先生が言った「七歳までは神の子と言われていて」という一言だった。

 七歳になったななちゃん、カミ様の子、お嫁に行く日

 急に全てが繋がった気がして頭が熱くなると同時に心臓が冷えるような錯覚を覚えた。

 あの子は、あの村の生贄にされたのだ。

 神様が何の神様かは分からない。だけれど確かに、山や川に囲まれた場所で今まで大きな災害もなければ作物に困ることもないという。土地を治める神様なのか、それとも豊穣の神様なのか。もしくは両方なのか。

 慌てて調べても地方の小さな田舎の風習の記録なんて何もない。ただ似通ったものはいくつか見つけた。代々決められた家の娘だったり、ある特徴を持つ娘だったり。嫁に行く、という建前上、女の子の記録しかなかったがそのどの娘も生きて帰ってくることはないという。

 あぁなるほど。あの時の悲しげな「わたし、ななだから」の意味が分かった。

 恐らくきっと、あの村ではその生贄にされる子供には「なな」という名前をつけていたのだろう。七歳までしか生きれないから、かもしれないし、単純に分かりやすい記号だったのかもしれない。六歳だったらろくだったのかもしれない。

 あぁ、私はなんて無知で非道で、哀れなことをしたのだろう。そんなことを思った。たとえ知っていても小学生の私にはどうしようもできなかっただろうけれど。

 図書館で日が暮れるまで調べて、閉館と同時に追い出されるように外に出ると外の世界はやけに暗かった。いつもこんなに暗かったっけ、と視線を道路の奥に向けると、そこに、いた。

 真っ白な肌で青みがかった瞳がこちらを見ている。最後に別れた時と変わらない姿で穏やかに笑っているので、私もにっこりと笑い返した。

 ななちゃん、ひさしぶり。

 そう話しかけると驚いたように目を丸くして、そして泣きそうな顔で駆け寄ってきた。

 その後ろに得体の知れない闇が広がっているのを見ないふりをして、ななちゃんの手を取った。




 その後、女子大生が行方不明になるという事件が報道された。

 その代わりに、20年近く昔に行方不明になっていた女の子が当時と同じ姿で現れたというニュースと一緒に。

 女の子はとても穏やかに笑っていたらしい。

「替わってくれてよかった」

 と嬉しそうにしていた、と。

 今でもその女子大生は見つかっていない。

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