第41話


目の前の光景は、血と悲鳴で彫り上げられた悪夢そのものだった。薄暗い森の木々の下、空は濃い黒雲に覆われ、ナサニエルはカラスと数人の子分に支えられながら、ふらつく足取りで必死に逃げていた。一歩踏み出すごとに、死が背後からぴたりと張り付いているような震えが全身を走る。


やがて、湿った闇の奥から一つの影が現れる。歩みは悠然としているが、その一歩一歩は死の鐘の音のように重い。肩には熟練の狩人のように整えられた装備、手にはすでに鮮血に染まった長い刃が鈍く光っていた。その人物は他ならぬアコウだった。瞳は冷え切り、感情の一片もなく、純粋な殺意だけが前方の、恐慌状態で逃げ惑う背中に突き刺さっている。


カラスは走りながらも平静を装い、かすれた声を搾り出す。


「残っている構成員は……まだアジトにいるんだな?」


子分の一人が息を切らしながら、震える声で答える。


「高位の連中は……まだそこに。俺たち……戻って援軍を……呼んだほうが……」


カラスは振り返りざま、荒々しく怒鳴った。


「馬鹿か! あの化け物をアジトに連れ帰って全員皆殺しにする気か!?」


言葉が吐き出された瞬間、激しい後悔が脳裏を締め付けた。自分が頷き、ザイファに部隊を率いて力を誇示させたのだ。しかしその代償は——人間ではない何かとの遭遇。あのときナサニエルの言葉を聞き入れてアジトに留まっていれば、こんなことにはならなかった。


――


戦略会議室では、アウレリウス・ファルケンが腕を組み、冷静だが内心の不安を滲ませた声で口を開く。


「このままアコウを放っておくべきか? この調子ではザイファもナサニエルも——重要な駒が残らなくなるぞ。」


ヒトミは目を細め、刃のような声で答える。


「彼はあまりに大きすぎる変数よ。こんな存在が一人でも現れれば、貴族たちはもう均衡した試合なんて興味を示さなくなる。」


アウレリウスは嘲るように小さく笑った。


「貴族どもの満足のために選別をするより、有望な人材を選び抜くほうが重要じゃないのか?」


ジークが濃い煙を吐き出しながら口を挟む。


「あいつらが水のように金を注ぎ込み、俺の実験を維持してくれているんだ。奴らを満足させなきゃ、研究室の強化なんてできやしない。」


スカイ・ストライカー——あらゆる文明の中で最も裕福な学園——は、非人道的な実験と変人貴族たちの財力の上に成り立っていた。表向きは高貴と知性を装っていても、その裏には道徳をねじ曲げ、己の快楽のためだけにそれを踏みにじる病的な本質が隠されている。


ヒトミも例外ではない。文明を推し進めるためなら、倫理を泥に捨て、開発の歯車の中で押し潰される魂を顧みることはなかった。


だが戦場に目を戻せば——血の匂いは風さえ運べないほど濃く淀み——アコウはもはや受験者でも、誰かの仲間でもなかった。彼は呼吸をする悪夢の化身、人の皮を被った悪鬼へと変貌していた。


カラスの一人は反応する間もなく、風を裂く金属音を聞いた次の瞬間、アコウの冷たい刃が腹部を貫いていた。力強い一振りで刃を上方に引き裂き、腹から胸へと体を割く。熱い血が勢いよく吹き出し、アコウの髪と顔を真紅に染め上げ、まるで血のマントをまとったかのようだった。彼は瞬きすらせず、感情の揺らぎも見せずに身を傾け、刃を素早く引き抜くと、日常作業のように次の獲物へと歩みを移した。


横薙ぎの一閃は鋭く、あまりに速かった。首を失った男の頭部が地面に転がり、三度回った後でようやく胴体が崩れ落ちる。骨の砕ける音、刃が風を切る音、布のように肉が裂ける音——それらが混じり合い、戦慄の虐殺曲を奏でる。


生き残った者たちは隊形を崩し、四方八方へ逃げ出した。死体を踏み越え、絶望の叫びを上げながら。何人かは木の根に足を取られ、血に染まった泥の中に倒れ込む。必死に立ち上がろうとした瞬間、アコウの影が全身を覆った。刃が一度閃き、悲鳴は喉から溢れた血によって途中で断ち切られた。


彼はまだ温もりの残る死体の上を、血溜まりのぬめる感触を踏みしめながら歩く。それはまるで石畳を散歩しているかのように悠然としていた。一歩ごとに確実に迫るその足音は、獲物の死の時を告げる秒読みのようだった。


別のカラスが錯乱し、無秩序に矢を放つ。一本がアコウの肩をかすめたが、彼は歩みを止めない。視線は獲物から外れることはなかった。三歩で距離は消え、アコウは手首を返して刃を腰から肩へと斜めに振り上げた。不均衡な二つの肉塊に切り分けられた体から、血と臓物があふれ出し、樹木や地面を赤く染める。


アコウの足音は銃声よりも恐ろしい。響くたびに生き残った者たちの世界は縮み、胸を締め付け、肺から空気を奪っていく。彼らは叫び、つまずき、立ち上がり——そして刃が届くまで、ほんの数秒だけ命を繋ぐ。


一人が死を覚悟して突進し、銃剣でアコウを突こうとした。しかしその動きは、彼が頭を傾けて軽くかわすだけだった。そして股間から胸骨までを抉り上げる一撃。肋骨が砕ける音と、鋼が肉を貫く湿った音が混ざり、他の者たちはその場に凍りつき、次の一撃を受ける運命に身を委ねた。


「警告……したはずだろう?」——アコウの声は低く濁り、瀕死の者たちのうめき声に混ざって響く。その言葉は二本目の刃のように、生き残った者たちの心を深く抉った。


ナサニエルもカラスも、誰に言われるまでもなく悟った。これは仲間を失うという話ではない。これは人間狩り——死神の娯楽——獲物が肉片と血と遅すぎた後悔に変わるまで、少しずつ引き裂かれる儀式だった。


冷たい時計の針は18時59分を指していた。試験が終わるまで、残りわずか二時間にも満たない。


だがアコウにとって、その数字はもはや意味を持たなかった。


カラスの雑兵を半数以上葬り去ったことで、奴らの隊形は今や薄絹のようにもろく、触れれば簡単に裂ける。だが謝罪の言葉——もしあったとしても——はすでに遅すぎた。ブラウンが戻ることは二度とない。


アコウは暗い森の奥へと足を踏み入れる。冷たい空気が目に見えぬ手のように首を締め付け、息一つするのも重くなる。鉛色の空が頭上に垂れ下がり、世界に残された闇をすべて降らせようとしているかのようだった。

そして、同じ一日のうちに、再び──生涯決して記憶から消えることのない光景と向き合わなければならなかった。


苔むした石壁に囲まれた、森の奥の廃墟の町。その外側に、血が一面に広がっていた。まるで赤い川のように。粘りつく血液は溢れ出し、石と石の隙間に入り込み、雑草や黒い土を深く染めていく。そこに、蠅の群れがぶんぶんと飛び回り、動かぬ人肉の塊に群がっていた。


アコウはゆっくりと歩み寄り──そして、見た。


見慣れた顔──いや、正確にはその残骸が──仰向けに空を向いている。頭蓋骨の半分は消え失せ、砕けた脳の白色がむき出しになり、赤い血とのあまりにも鮮烈な対比を描き出していた。髪は血で固まり、乾ききってこびりつき、瞳は大きく見開かれたまま虚空を見つめ、何が起こったのか理解できぬまま固まっているようだった。


硬直した手には──アコウがフェリクスに逃亡前に渡した小さなナイフが握られていた。それは平凡な武器にすぎず、アコウが「これがあれば安全だ」と暗に保証する意味で渡したものだった。しかし今や、それは粉々に砕けた約束を証明する遺物でしかない。


そうだ。フェリクスは死んだ。容赦なく、誰かに圧倒され、粉砕され、カードも──命も奪われた。


アコウの全身が震えた。罪悪感は針の群れのように肉を貫き、神経を刺し貫く。本来の計画は明確だった。クレイスを倒し、すぐにフェリクスを探し出し、どんな手を使っても守るはずだった。だが、その軌道は狂ってしまった。


カラス一味を血祭りにあげることに夢中になった。復讐に駆られ、刃を振るい、敵を切り裂くことばかりに囚われて──無力な友が戦場に取り残されていることを忘れていた。もし強敵に遭遇すれば、彼は自分を守れない。それを知っていたはずなのに。


この場所でカードを持つ者は、常に死神の刃の前に立たされている。一瞬の油断が命取りになる。アコウはそれを理解していた。痛いほどに。それでも、その事実を無視する選択をしてしまった。


今、フェリクスはここに横たわっている。森の奥の凍てつく寒さの中、灰色の空の下で。もう声も笑顔もない。残っているのは砕かれた肉体と空虚な眼差しだけ。


アコウはその場に立ち尽くし、自分自身が生きながらにして土に埋められていくように感じた。先ほどまで燃え盛っていた怒りは、もうない。あるのは、思考を徐々に呑み込む冷たい空洞だけ。どうしてこんなにも大切なことを忘れてしまえたのか、自分でも分からなかった。


天才戦術家とまで呼ばれた隊長は、今や自ら描いた完璧な計画を裏切った裏切り者にすぎない。その計画は今、細切れに裂かれ、粉々に砕かれ──その鋏を握っているのは、他ならぬアコウ自身だった。


ブラウンは死んだ。ゾアは敗北した。そして今度はフェリクスも逝ってしまった。


無言の遺体を前に、アコウはもはやカラス一味を追う気力すらなかった。もはや冷酷に死を撒き散らす怪物ではない。ただの敗者。自らの約束を守れなかった無力な人間だった。


時間は過ぎ、秒針は刻み続ける。しかしアコウは動かなかった。視線はただその亡骸に注がれ、記憶が押し寄せる。作戦会議の日々。仲間からの賞賛。命を預けるほどの信頼。そして、そのすべての場面でアコウは皮肉げに笑い、こう答えていた。


「俺はそんなに大した人間じゃないさ。」


あのときは謙遜だった。しかし今は、それが残酷な真実だった。


そして情景は変わる──別の仲間、ルーカスが、無数の氷の棘に体を貫かれ、血に塗れている。彼の眼前には、まるで神が降臨したかのような女戦士が立ち、誰にも匹敵し得ない圧倒的な力を放っていた。


黒く冷たい大地の上で、傷だらけのゾアが腕をついて立ち上がる。彼の体の傷はゆっくりと塞がりつつあったが、その瞳はなお鋭く輝いていた。


「どうやらお前の一撃には……高位エネルギーは込められていないようだな、キング?」

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