黒猫のミィ

ねねちこ

鈴の音

チリン…


チリン…………


────どこか、遠くで響く鈴の音。


俺にとって、何故か懐かしく感じる心地のよさ。

思い出せそうで、思い出せなくて。

それがとてつもなく、歯がゆくて。


何か。

何かを忘れてしまっている。

とても大切な、何かを…………


◆◆◆


「ゆ…や!

 …侑也ゆうや

 おい、お前起きろって!見て!あれ!」


「んがぁ…?」


「中庭に、黒い猫ちゃんがいるんだよ〜〜〜!」

 

「ね、こ…」

食堂で早々に今日のランチ名物・トルコライスをたいらげ、ねむりこけていたら同じ学部でいつの間にか仲良くなっていた大樹ひろきにゆすりにゆすられて目が覚めた。


「な、な!

 見に行こうぜ、おれ猫大好きなんだよ〜〜〜」

「え、あぁ…」

まださえない頭を大樹に振り回されながら、食器を片して中庭に出てみた。

桜も散り、一面が緑に埋め尽くされ紫陽花の咲く季節になりじめじめとした気温を肌で感じながらぼんやりとした思考で中庭を見渡した。


「侑也みてみて〜〜〜!!!

 この子、気前よく触らせてくれるんよ〜〜〜〜」

そういって興奮する大樹を他所に、ツヤの良い毛を意外にも初対面のヒトに触れさせ、凛とした姿勢で大人しくこちらをじっと見据えている。


───夢の中で鈴がチリチリと鳴っていたのはこいつだったのか。


大樹に撫でられながらも一切視線を逸らさない黒猫の首には赤い首輪と黄金色に輝く鈴がついていた。


「あ、行っちゃった」

大樹のアピールもむなしく、一つ伸びをして黒い毛むくじゃらはどこかへと去っていってしまった。


「どっかで飼われてる子みたいだな」

「な、すんごい綺麗な毛艶してたな〜

 可愛くてたまらんわ!

 ミィちゃん!」

「ミィちゃん?」

「おれが今つけた!」

「またお前は…」

大樹の自由さに畏敬と呆れを同時に抱きながら、次の講義まで時間があるので何をして暇でも潰すかと話していると、


────チリン

さっきの猫の鈴の音が遠くで鳴っている。

どこか懐かしい気持ちが思い起こされているのに、喉に小骨が引っかかったように違和感だけが募って、思い出せない。



◆◆◆


「ほんで侑ちゃん、次はいつ帰ってくんね?」

「次も何も、春にこっち来たばっかじゃろ、気ぃ早いわ」

「そうは言ってもぉ〜

 母ちゃん暇なんよぉ、お父ちゃんはいっつも仕事ばっかしちょるし〜」

「はいはい、夏休みになったら帰ってあげるから、それまで待っちょれ」

有無を言わさずいっぺんにまくし立てる母の声を他所に、机にある飲みかけの炭酸を一気に飲み干した。

「っし、飲みもんなくなったし、俺コンビニ行ってくっから、母ちゃん、またな」

「え〜!

 もうちょっと相手したってやぁ〜」

「おしまいおしまい!

 帰省はすんだからええやろ!じゃ!」

まだまだ話足りない様子の母との会話を一方的に切り上げ、買い物ついでに気晴らしの散歩に出ることとした。


もうすっかり日は落ちており、夏が近いとはいえ辺りは真っ暗。

外の気温はかなりじめついていて、厭に空気がまとわりつく。

雨こそ降ってないものの、いつ降り出してもおかしくない様子だ。

「さっさと買い物して帰らんとな…」

まだ土地勘もさほどない大学から更に数駅ほど離れた上京先は、地元とは似ても似つかないくらい賑やかな地だった。

そんな土地でも、道を一つ外れて住宅街や暗がりに赴くと静かで少し不気味さを感じるくらいだった。



──────チリン



不気味さに足早になったコンビニからの帰り道、昼間聞いた鈴の音が微かに耳に届いた。

こんな離れたところに、昼間の猫でもいるのだろうか。

大樹が勝手に「ミィちゃん」と名付けた黒い猫。

何か物言いたげにでもこちらをじぃ…と見つめていた猫。


帰り道の公園から聞こえたので中に目をやってみると、とっくに夜だと言うのに小学生くらいの女の子がこちらを背にブランコに座っていた。

長く黒々とした髪が腰まで伸びている。



──────チリリン



また、鳴った。

ブランコに座った女の子から目を離せないでいると、腕に赤い紐のようなものが巻かれていて、小さな鈴がついているのに気づく。

暗がりでも分かるくらいに白くか細い腕には、赤い紐がまるで血のように映えていた。


…ついに見ちまったか?

とか、どぎまぎとしながら眺めていると、女の子はブランコを降りてこっちに少し駆け寄ってきた。

長く綺麗なつやのある黒髪が揺れ、綺麗に切りそろえられた前髪の下から目が覗いた。

少し茶色みがかった双眸でじぃ、と見据えてくる。

まるで昼間にあった黒猫のようだった。

どこか懐かしい、何故か初対面の女の子に対してそのような感情を抱いた。


「君、お、お母さんとか、お父さんとかはいないの?」

成人もしてるし、と一介の大人ぶってみる。

目の前にいる子が人であることを願う。


不思議そうな顔をしながら、こちらを見つめた。

にこり。

「ママがそこにいるよ」


そうすると、ぽつり、と一言つぶやいた。


────チリン

「あそこ」


女の子の指を指す方向に目をやると、公園の脇にある通路に、1人の女性が立っていた。

「ひっ…」

思わず声をあげる。


無造作に伸ばされたボサボサの髪、どこを見つめるでもないギラギラとした瞳、半開きの口。

小奇麗な衣服をまとっているように見えるが、ところどころ解れたり、よれたりしていている。

なんなら、心なしかすえたような匂いが漂って気さえしてきた。

俺の方を見るでもなく、ただ、虚空をぼんやりと見つめている。



くすくす。

くすくす。


聞こえてきた笑い声で振り向いたら、女の子はとっくに公園の反対口まですでに走って行ってしまった。


「なんだこれ…」


女の子の立っていた場所は水たまりが出来ていた。

ここ数日は雨も降っていないのに。

夏の入り口とは言え、気温もそれなりに高く、もし昼間に子どもたちが水遊びをしていても乾いてしまうだろうに。

一瞬で色んな事が頭を駆け巡り、思考がまとまらない。

動悸が早い。


ぽつ。

ぽつ。


足が竦んで立ち尽くしていると、空から水の粒が滴り落ちてきた。

雨のお陰か、動けなくなっていた体は糸が切れたように、自分の意思があることを思い出していた。


不気味な女性を尻目に、急いで家に走った。

雨が降りだしても、俺が走っても、女性はその場を動くこともなく、こちらに一瞥をくれるでもなく、ただ、公園を呆然と見つめていた。

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黒猫のミィ ねねちこ @rabbit_star

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