第六章 記憶
昔々、本当に遠い昔。舒明天皇9年2月(637年)、都の空を巨大な星が雷のような轟音を立てて東から西へ流れました。人々は「流星の音だ」「地雷だ」「これは天狗である。天狗の吠える声が雷に似ているだけだ」と言ったけれども、どれも違いました。
しかし流星というのは、この中で最も正しい表現かもしれません。
流れていく流星の様な物体は、遂に、墜落しました。
……それは巨大で光沢があり、円盤の様な、蓋をした丼の様な形の……機械と言うべき物だったのです。
**********************
初めに理解した事は、自分達が、自分が、生まれ損なった事だった。
声を上げた。誰かに助けてもらいたかった。だが、いくら声を張り上げても、いつまでも、誰も来ない。
うまく動けない。助けて欲しい。誰も来ない。
冷たい。中にいた時とは違う、冷たい水が降ってきた。
しとしと、しとしと
しとしとしとしとしとしとしとしとしとしとしとしとしとしとしとしとしとしとしとしとしとしと
しとしとしとしとしとしとしとしとしとしとしとしとしとしとしとしとしとしとしとしとしとしと
冷たい水は、止まった。誰も来なかった。きっと、自分が外から来たからだ。住む世界が違うから、誰も気付かない。仕方がないから、自分で動く事にした。
這って、這いずり回って、透明な円盤の中に入り込んだ。その向こうに広がる世界の地面の下に、生き物の身体を見つけた。中には誰もいない。
この身体に入れば、気付いてもらえるかもしれない。
身体に入ると、身体の情報が分かってきた。これは、人間というらしい。
人間に成れば、気付いてもらえるだろうか。そうであれば、人間に成ろう。
重くて動きづらい身体を引き摺り、人間を探した。もっとこの身体への理解を深めたかった。
歩いていると、様々な色の体毛や瞳が自分の目に入り込んだ。いた、見つけた。人間達が暮らしている場所を。「こんにちは」と声を交わしている。それが挨拶なのだろうか?まだおぼつかない足取りで近付き、自分も「こんにちは」と言った。
「死体が蘇ったぞ!」
「近付くな!あれは人間じゃない!」
何故か人間達は、口々に自分に嫌悪と恐怖を向けた。言葉が、通じていない?ただ話をしたいだけだった。教えて欲しい事があるだけだった。しかし、人間達は理解してはくれない。ただひたすらに、自分を「化け物」だと呼び続け、拒絶した。どうしたら、受け入れてもらえるだろうか?あの手この手を考えて実行するが、やはり拒絶される。
拒絶される度、不快な気持ちが溜まっていった。
ある日、怪我の手当てをしてもらっている人間を見かけた。そうだ、怪我をすれば優しくしてもらえる、この不快な気持ちも消える筈だ。
そう思い、顔に深い傷を作った。血液が流れ出る。が、駄目だった。また拒絶された。何故だ?その人間より、深い傷なのに。理解出来ない。
不快だ、不愉快だ、何故自分は、このような目に合わなければならないのか。何故同じ形をしている筈なのに、拒絶されるのか。不愉快で、仕方がない、自分を受け入れない人間共が憎い…。
………気が付くと、目の前に人間は、一人もいなくなっていた。
自分は、人間には成れなかった。
…ならば「化け物」になろう。人間共の言った通りに。
そうして、今度は化け物との交流を図った。しかし、またしても…
「マビトの村を襲った人間もどきだ!」
「近寄るな化け物!」
化け物からも、拒絶された。化け物というのは、彼らと同類という事ではないのか?自分の疑問に応えてくれる者は、誰一人居なかった。
………気が付くと、色とりどりの世界は、真っ暗で殺風景な場所に変わっていた。僅かな残骸だけが、辺りに転がっていた。
自分は、化け物にも成れなかった。自分はこのまま何者にもなれないのか?自分は…自分は……。
否、違う、そうじゃない。「我ら」は完全な存在なのだ。人間、化け物…「劣等種」共には、我らの素晴らしさが理解出来ないのだ。そうに決まっている……ああ、不快だ。不愉快だ。もういないのに、何故完璧な我らを愚弄し続けるのか。完璧である筈なのに、何故不快な気持ちが消えないのか。不愉快だ、憎い、憎い、憎い、憎い………。
どれほどの年月が経っただろう。そんなものいちいち数えてはいない、我らを蝕み続ける不快感を払う事で精一杯だ。我らは、唯一無二、世界で最も、優れた存在……。
………気が付くと、また色とりどりの世界にいた。あの透明な円盤の外に出てしまった。木のざわめく音、風の感覚、動物の声……全てが我らを拒絶しているような気がした。頭の中が空っぽになり、何も考えられなくなった。無心で歩き続ける、歩いて、歩いて、歩いて……見つけた。人間共と、化け物共が笑いあっている村を。
追い出されると思った。早くここから離れなければ、また追い出されてしまうと思った。違う、違う違う違う、我らは完璧なのだ。特別で優れている…。
…二人の人間と、白い体毛の幼体が楽しそうに話しながら会話している姿が見えた。
あの家族は、前に滅ぼした人間共の生き残りか。
強い怒り、憎しみ、妬み、恨み……それらが膨れ上がるのと同じく、身体がみるみる大きくなっていく、角が生え、尻尾が生え、脊髄が浮き上がり、背中からは黒い泡が立った。……二人の親を食い殺した。白い幼体は、何が起こったか分かっていない様子だった。
幼体も殺してやろうと腕を振り上げた瞬間、化け物に邪魔された。何故どいつもこいつも我らの邪魔をするのか。叫び声を上げる。何もかも壊したい。食い尽くしたい。そうすれば、この猛烈な不快感も和らぐだろう。
家に身体を打ち付ける、地面に頭を叩き付ける、喉を掻きむしる、腕を食いちぎる。血は止めどなく流れていくが、そんな事はどうでも良い。劣等種共も、我らの敵ではない。皆、我らの視界から消えれば良い。我らは悪くない、我らの視界に入る劣等種共が悪い。
…なんだ、この気配は。我らと、同じ気配…?…あの白い幼体が…?飲んだのか……!?我らの血を……!?奪うのか…!我らの「器」を!我らの「器」を奪い楯突こうと言うのか!劣等種風情が!!奪うのか!!我らに何も与えなかった分際で!!!
何もかも、諦めなければならなかった。
否、諦める事が、最善だ。完璧な、我らに、最も、相応しい方法なのだ。
五月蝿い、目障りだ、笑っている、出来損ないの劣等種共が我らを笑っている。五月蝿い、五月蝿い、五月蝿い。だが、ここにいれば、永遠に完璧なままだ。永遠に、完成された存在でいられる。だから、平気だ。
誰かここに入ってくるかもしれない。今の我らに、この円盤を破壊する力は無い。あの劣等種共のせいだ。だから、見張らなければならない。ここに誰かが入ってきたら、追い出してやる。ズタズタに、ぐちゃぐちゃにしてやる。追い出されるのは、我らではない。この完璧な『部屋』は、完全たる我らにこそ相応しいのだ。我らは、どこも傷付いていない。平気だ。
誰にも頼る必要は無い、守ってもらう必要も無い…何もかも…必要…無い………。
……これが、羅喉様の過去。
壮絶で、とても虚しい。そう思った。
……その時、過去の記憶の中の存在であるはずの羅喉様がこちらを、振り向いた。飛び出しそうな程見開いた目で、見つめている……。
瞬間、翔烏は羅喉様に強く抱き締められている事に気が付いた。逃げない様に、必死に繋ぎ止めているようだった。
「しょうちゃん……理解しただろう…?我らは……同一……なのだ…。」
同一…というのはつまり、龍巫の力と羅喉様の力が同じ、という事だろうか?と翔烏は考える。
「その棒切れも……元は……我らの器…だった……我らが…生まれる為の器…だった………。」
「羅喉様、幽霊だったんだね?」
「劣等種共の……言葉で言うならば………そう…だ……。」
翔烏は事の真相が分かりかけてきた。普段の子どもっぽい言動は赤ちゃんの幽霊だったからで、大勢の人間や妖怪を殺したのは、身の安全を守る為だったのだ。しかし、理由があるからといって許される訳ではない。何とか罪を意識させる方法は無いかと考えていると、
「しょうちゃん…。我らと一つになれ。」
……今、なんて言った?
「一つになって……ここで…永遠に暮らそう………。」
……本当に今なんて言った!?
「一つに…ってどういう事!?それにここで…永遠には暮らせないよ!?いつか死ぬし!」
翔烏は慌てながらなんとか反論しようとするが、効果はあまり無いようだった。
「……生きるも…死ぬも……大して変わらぬ………。その…不便な身体から…解放……されるのだ……悪くない…だろう………断るつもりか…?この…我らの要求を……。然らば…滅ぼすぞ……食い尽くすぞ…この…星を……。」
何を言っているんだこの人は…!これは、殆ど脅迫ではないかと翔烏は思った。どうすれば、どうすればこの場を乗り切れるのか?
「だ、ダメだよ!この星を滅ぼすなんて!絶対にダメ!!」
「……では……我らと一つに……。」
「それは…そんな急には……!」
半泣きになった翔烏を見て、羅喉様は若干困惑しているかの様な表情を見せた。
「……分かった………決まれば…また此処へ来い……見ているからな………。」
気が付くと、翔烏は要石の前にいた。ノックしてみたが、反応は無かった。
「…やっぱり脅迫じゃない…?」
翔烏はそう独り言を呟き、待たせている結兎の元へ向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます