第14話 包囲網を破れ

「雪女……」


 春香と同じ真っ白な長髪に、見ているだけで吸い寄せられそうになる赤い瞳。雪女は典型的な幽霊らしく宙に浮いており、瞳に穏やかな揺らぎを湛えたまま黒靄の群れの先頭に立つ。


「…………」


 雪女が言葉も無く片腕を掲げると、配下の黒影達は主が指し示した方向へ一斉に蠢く。

 黒影達は公園に大きな円陣を作り出し、その中心に僕と春香を取り残す。前後左右見渡しても、黒影達によってできた包囲網に隙は一切見当たらない。


「……取り囲まれた」

「ユキくん……」


 隣に立つ僕のことを、春香はやはり不安そうに見つめてくる。


「……春香だけを、戦わせるわけにはいかない」


 震えている春香の背後に回り、背中合わせの構図になったまま黒影達と向かい合う。


「春香、今は僕のことを信じて」


 霊力の仄かな熱を背中に感じながら、打ち倒すべき標的がいる前方を見つめる。


「……うん、分かった!」


 春香は前のめりに声を上げて、四方を囲む黒影達と真正面から向き合う。


「……!」


 僕と春香の視線が合図になったかのように、黒影達は四方八方から一斉に僕らへ向かって飛び掛かってくる。


「春香、こっちの奴らは僕が相手するから……」

「うん! ユキくんの背中は私が守るね!」


 春香の姿は見えないものの、背後で灯る霊力の感触だけは伝わってくる。

 身が竦む緊張感、先さえ見通せない恐怖心、そしてほんの少しの高揚感。僕の中で渦を巻く何もかもが、春香から流れ込んだ真っ黒な力と混ざり合う。


「熱……っ!」


 霊力の黒炎は僕の両手で燃え盛り、反射的に腕を振るってしまう程の痛みをもたらす。


「あ……!」


 がむしゃらな藻掻きは黒影の一団に運良くぶつかり、正面衝突した数体は黒い炎に呑み込まれて消滅してしまう。


「……僕が霊力を」


 戦いの最中であることも忘れて、手元を纏う真っ黒な炎へ視線を落としてみる。燃え盛るような痛みはどうやら気のせいだったようで、手を顔に近づけてみても感じるのは心地良くさえ思える温もりだけ。


「これが春香の力……」


 借り物の力に過ぎないとしても、今はこの炎が悪霊に立ち向かう唯一の術だ。


「せっかく、春香が僕に背中を預けてくれたんだから……!」


 振り返ることなく前を見据え、黒靄の影達目掛けてなりふり構わず拳を振るっていく。ある者にはこぶし大の穴が空き、またある者は霊力の炎が燃え移って灰燼と化していく。


「一つ、二つ……!」


 共に背中を任せて、同じ力を分かち合っているかけがえのない存在がいるから。普段は後ろ向きな僕でも、目の前にいる幽霊全てを祓い尽くすまで戦い続けることができる。

 春香に背中を預けているから、どんなに怖くても前を向いていられる。


「これで、最後!」


 最後の一体に止めを刺すと、周囲に黒影の姿は一つも見えなくなる。これで一応、最低限の役割ぐらいは果たせただろう。


「……はあ、はあ」


 緊張の糸がほんの一瞬途切れただけで、激しく息を乱れさせる疲労感がどっと押し寄せてくる。


「……れ、霊力が」


 両手を纏う黒炎は薄れていき、ついさっきまでの燃え盛らんばかりの勢いは既に無くなっている。霊力というのは思っていたよりも維持が難しいもので、集中していないと今残っている霊力さえすぐに消えてしまいそうだ。


「ゆ、ユキくん! こっちも、終わったよ……!」

「春香……」


 憔悴気味の声に振り返り、僅かな間でも背中を預けてくれた春香の現状を確認する。春香の方でも黒影達はいなくなっているものの、春香本人は懸命な笑顔でも誤魔化せない程息を切らしている。


「……僕も春香も、霊力が枯渇してきている」


 この公園に来た時点で消耗していた以上、春香は霊力の小さな黒雲を周囲に浮かべているのみ。このまま戦いが続いてしまえば、今度は霊力不足となった春香の身が危うくなるだろう。


「……早い内に、あいつを倒さないと」


 満身創痍になりながら見上げると、雪女は先程と同じ場所で低空浮遊を続けている。


「……ん?」


 しかし今までと比べると、宙に踏み止まっている足取りはどこかぎこちない。それどころか、清楚な見た目とは裏腹に僕らのことを憎らしげに睨みつけているようにさえ見える。


「……疲れてきているのは、あいつも同じなんだ」


 配下達に自らの霊力を分け与えていた為だろう。黒影達が消滅した今、雪女自身の霊力も著しい程に欠乏しているらしい。


「気をつけて、ユキくん……!」


 春香が注視する先で、雪女は再び片手を掲げて手銃の形を作り上げている。これが最後の力とでも言わんばかりに、肌色の銃口には禍々しい霊力がこれでもかと集まっていく。


「私が、何とかしないと……!」


 自分自身の容態さえ顧みず、春香は自分から雪女の前に出ようとする。春香はただ僕の為だけに、自分の全てを懸けてでも雪女の光線を受け止めようとしている。


「いや、春香」


 咄嗟に片手を突き出し、僕の前に出ようとした春香を制止する。


「ここは僕がなんとかするから、最後はお願い」

「最後……あ」


 春香はほんの少し考え込んでから、何かを察したように僕の顔を覗き込んでくる。


「……信じていいんだよね?」

「うん、もちろん」

「…………」


 確かめるような問いかけに頷くと、凝り固まっていた春香の頬が柔らかくほぐれる。


「……頑張ってね、ユキくん!」


 どこか名残惜しそうにそう言うと、後退した春香は僕の後ろに隠れる。


「……あなたの攻撃は、僕が受け止める」


 雪女と相対する形で、春香と同じ深紅を秘めた瞳を見つめる。掲げた両手を隣り合うように揃えて、膨れ上がる黒球の射線上に来るように構える。


「……来る!」


 波打つ霊力の変化を肌で感じ取った瞬間、一気に凝縮された黒球から同色の光線が瞬く間に放たれる。


「……!」


 最後の力を振り絞り、光線が放たれた一瞬だけ両手を纏う霊力を限界まで増幅させる。


「うっ、くっ……!」


 光線は黒炎を纏う両手に衝突し、決して気のせいではない本物の痛みを僕にもたらす。


「う……ぐぐううう」


 掌に穴が空いたと思える程の激痛を噛み殺し、僕の両手を突き破ろうとする光線に別方向の力を加える。


「……が、がああああ!」


 がむしゃらに両腕を振るい、光線の軌道を僕の斜め後ろへ逸らす。その先にあった滑り台は光線の直撃を受けて、見るも無残な鉄屑の山に成り果ててしまった。


「春香!」


 雪女に装填の暇を与えることなく、僕の背後からは小さな人影が躍り出る。


「ユキくんが作ってくれたチャンス、絶対無駄にしないから!」


 春香は僕の代わりに雪女と対峙し、殴るように掲げた右手に新たな黒炎を纏う。僕の背中に隠れている間に作りだした霊力を、右腕全てをすっぽり覆い隠す程巨大な拳の形に変えていく。


「――ぶっ潰れろ、おっらー‼」


 脇目も振らない大声を上げて、振りかぶった霊力の塊を雪女目掛けて投げ飛ばす。


「ぐ……!」


 宙を走った拳は雪女に正面衝突し、こちらにも空気の揺れが伝わるぐらいの衝撃をもたらす。雪女は推定一メートルの拳に押し出され、公園の地面を深く抉り取る霊力の奔流に為す術もなく巻き込まれていく。


「……やった、のかな?」


 霊力の拳は公園から道路に出たところで止まり、アスファルトの道を削り取った後に消失する。舞い上がった土煙も次第に晴れていき、そこにいたはずの雪女の姿さえ気がつけば無くなっていた。

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