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井上くんにとって自分は、ちょっと足を止める価値すらない。
その事実を見せつけられた円花は、傷つくより先に呆然としてしまった。まさか井上くんに好かれているなんて思ってはいない。だって円花は一方的に彼に憧れているだけで、教室で会話を交わしたことだって、数えるほどしかないし、それも必要な要件があるときだけに限られているのだ。でも、今は夜の観音通りだ。そこで同級生に顔を合わせた。それもおそらく自分を追いかけてきたのであろう女生徒と。
ドラマティックな展開を期待していたわけではない。円花だってそこまで夢見がちではないつもりだ。それでも、驚いて足を止め、声をかけるくらいのことはするだろうと、それくらいの価値はある行動だろうと思い込んでいたのだ。
井上くんの背中は、あっという間に観音通りの闇に紛れて消えて行った。誰彼かまわず袖を引く観音通りの娼婦たちが、井上くんには声をかけない。つまり井上くんの相手はあの男性だと、観音通りではもう周知されているのだろう。
その場に座り込んでしまいそうだった。張りつめていた意識がもろもろと崩れて、もう立ってもいられなくなりそうだった。
そんな円花の耳に、若い娼婦と例の男の声が流れ込んできた。
「またあの男の子だ。いいなぁ。若いイケメン。キサラギに夢中みたいね。」
軽やかにそう言った娼婦に対し、キサラギと呼ばれた男は、ごく軽い口調で返した。
「まあね。吸い取れるだけ吸い取っとかないと。若さも金も。」
円花はその言葉を聞いて、頭に血が上るのを感じた。活躍していたバスケットボール部を辞め、学年上位だった成績も落とし、闊達だった人間関係も希薄にして、アルバイトに精を出している井上くん。それは全部この男のためなのだろう。それを、吸い取れるだけ吸い取るなんて、そんな言い方はひどすぎる。
「ちょっと待ってよ!」
自分でも驚くくらい、怒りがこもり、ドスの利いた声が出た。円花はその言葉の勢いのまま、娼婦たちの間から飛び出し、男の目の前に身を躍らせていた。自分の目が、爛々と光っているのが分かる。全身に怒りが回って、いっそ気持ちがいいくらいだった。
けれど、一瞬にしてそこに冷や水をぶっかけたのは、冷静で、小馬鹿にしたみたいな風もある、娼婦の一言だった。
「なに、このガキ。」
問われたキサラギも、肩をすくめてあっさり答えた。
「知らない。」
ひどくどうでもよさそうな、こんな円花程度の怒りなんて、見慣れているとでも言いたげな態度だった。
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