四月三十日 県予選まであと四十四日(南雲空)

 ペダルを漕ぐと、錆びた歯車がキシキシと悲鳴を上げる。それでも漕ぎ続ける。

足が円を描き、ぐんぐんぐんぐん前へ進む。

前へ連れて行ってくれる。

あんなに起きるのが辛かった朝ももう慣れた。練習試合までにせめて、半人前くらいにならなきゃ。

家の手伝いも。部活も。

全部。全部。頑張りたい。

ラグビーが、僕の目の前に現れてくれたから。

太志がせっかく誘ってくれたから。

弱いまま、できないままは嫌だ。

悠馬先輩も毎日来て、教えてくれるようにもなった。

 

 まただ。

ボールは指先を掠め、無様にも地面に落下した。

何回かめちゃくちゃな方向にバウンドしたあと、止まった。

ボールを拾うまでの間、悠馬先輩は下がって足踏みシャッフルをしている。


 三セット終わると息が切れる。

クタクタになった上半身を支えようと、手に膝をつくと、「パスするときの腕は相手の方に向けてやるといいよ。」と教えてくれた。

「ありがとうございます」

———ううん。別に。弱い方が悪いから。

あの時の影が濃くなった顔。

なんでだろう。いつも練習に付き合ってもらってるんだから、頼られたいな。

時計を見る。

チャイムは、まだ鳴らない。

椅子に腰掛け、水筒の底を斜め上に上げる。

眩しい。

でも、触れていいのかわからない。

椅子が軋み、右に悠馬先輩が座ってきた。

頼られたい。そもそも、悠馬先輩のこと何も知らない。

「なんで、一人のときはうまく蹴れるんですか?」そう口に出した。

出してしまった。

弱く眩しい日差しが雲に隠れる。

ポタリ。と先輩の首元を伝い、水筒に入っていた水が滴る。

木々や雑草の影が濃くなる。

それが汗とじわじわ混じる。

雲に隠れても、弱く確かな光が、地面を照らす。

目元の影も濃くなった。

グラウンド近くを流れる川のさざめきが聞こえる。

降り始めの雨のように、ポツリポツリと話し始める。

ポツリポツリと落ちる。

水滴が。

汗か涙か。



 —— 一年前

合同チームだった頃のこと。

県大会、第二回戦はブロックの中で優勝候補と呼ばれていた高校とぶつかった。

試合終了まであと約十五分。

二十七対二十一。接戦だった。

あと、一トライとその後にあるコンバージョンキックが入れば、逆転できる。

この勢いのままいけば勝てる。チームメンバー全員、コートの外の日陰から見守る、色々な高校の旗を掲げた保護者達もそう思っていた。



 パスを受け取った遠藤先輩が、グラウンドを一直線に駆ける。

正面に敵が一人。だけ。

先輩の斜め後ろには、距離感を保った神谷先輩が。

そのちょうど中間地点には、二人とものパスを受けられるように足が速い涼がついている。

チーム内最強の布陣と言っても過言じゃない。

敵陣に、竜王、竜馬、金が揃っているも同然だった。

しなやかに伸びる足で大きく踏み出し、ふわっと着地したスパイクが地面を抉る。

土がついた白いミズノの金属スパイクは純白のバレエシューズみたいだ。

抉った瞬間、ふくらはぎに影ができ、筋肉が浮き出る。

汗が白く煌めく薄い生地のスカートのように舞い散る。

素早く、体を切り返す。

泥臭い高防戦のラグビーの中で唯一、バレリーナのジャンプのような美しさがあった。

大きな一枚絵のようなその一瞬は、僕の記憶に強く刻まれ、その後の出来事も含めて永遠になった。

敵のタックルはすぐ横を通り過ぎていった。

すると、追い風が強く吹いていることに気づいた。

遠藤先輩は大きく周り込み、トライ後のコンバージョンキックを入れやすくするために、Hポールのほぼ真ん中で、ボールを片手で持ち、ちょん。と地面につけた。

影が揺れる。

どこからともなくざわめきがやってくる。

トライした遠藤先輩がボールを抱えやってくる。

ラグビーはパスして、パスして、パスして、少しずつ、少しずつ、少しずつ進んでいく競技だ。

リレーのバトンみたいに。

このキックには全てのメンバーの思いがパンパンに詰まっている。

「悠馬、頼んだ!」ドンと肩甲骨の辺りを叩く。

黒いヘッドキャップを被った遠藤先輩はニコッと笑う。

「お前ならいける!」

木々が揺れる。

「勝てるぞ!」

観客席の群衆も揺れる。

「ゆうま!決めろ!」

肋の奥の心臓が揺れる。


そして、バトンボールは渡された。

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