緋賀マサラ短編集

緋賀マサラ

Forgotten Promise~いにしえの約束~


「これは……?」

 机の上には一枚のカード。

 覚えがない。

 見たこともない。

 いや、本当にそうだろうか?

 手に取ってみる。

 そこに書かれている文字は可愛らしい。


 ―あの時の約束を覚えている?―


 内容はたった一言、それだけが書かれている。

 あの時? いつのことだろう? そもそもなんでこんなカードがあるんだろう?

 此処は僕の部屋のはず。

 この文字は家族のものでもない。そもそも家族なんてものはいない。

 僕はずっと一人だ。

 この家にいるのは僕だけのはずで、誰も招待してもいない。

 僕には友だちと呼べる人もいないし、仲間もいない。ましてやこんな約束をした相手すらいないのに。

 考えても、考えても分からない。

 鍵は閉まっていたはずだ。

 考えてみても答えは出ない。

 それではこのカードについて考えてみたら自体が変わるだろうか?

 約束をおぼえいるかと問われている、つまり僕は何か過去のメッセージの主と何やら交わしたと言うことなのは分かる。

 ただ僕には記憶がない。

 もしかしてアパートの住人と何か取り決めでもしただろうか?

 このアパートは古いが、住み心地は良く、住人にも問題のある人物はいない。

 ただそこまで関わりはないのも事実。

 確かに挨拶程度は交わすが、何かを約束するほどの相手は心当たりがいなかった。

 このメッセージはしかし確実性を感じる。

 けれどもそもそも僕以外に向けたものだろうか? 間違いということは?

 でも置いてあったのはこの部屋だ。

 つまりそれは僕へのメッセージという証だろうか。

 考えても思考がぐるぐるするだけで僕の中での答えは出ない。

 分かるのは恐らくは女性、それも少し幼めな感じを受ける。

 俺が二十歳だから高校生とか中学生くらいかな?

 そのまま過去への記憶に問いかけてみる。

 学校時代はあまり印象的なことがなく、該当の記憶は見当たらない。

 苛めを受けたとかはないが、人との距離は常にあった。

 僕は施設育ちだったからね。

 そのせいかな。

 普通に会話はしたし、簡単な付き合いくらいはあった。でも卒業してしまえばそれまでの縁。

 多分、向こうも覚えてないんじゃないだろうか。

 現在も相変わらず友人、と呼ぶほどの人はいないが、軽く親しくしている人はいる、その程度の関係を維持する努力はしていた。

 だから約束をする、人にはやはり思い当たらないという結論に至る。

 なので改めてもう一度カードを見てみることにした。


―約束、忘れちゃった?―


 文章が変化していた。そこに素直に驚く。いつの間にか入れ替わったのだろうか? カード自体に差異はない気がするし、誰かが故意にやれるような、そんな時間も無かったはずだ。

 つまりこのカードは生きている?

 ふとそんな馬鹿なことを考えた。

 けれどそれ以外の答えを見出せない。

「約束……」

 改めて呟いてみる。どうやら僕に答えを求めているのは間違いないようだ。勘違いでも何でもないと二度目のメッセージが伝えてくる。

「僕は誰と約束したのだろう?」

 此処まで来れば考えを改めて、思い出すよう努めることにした。こんな風に僕をかまってくれる相手なのだ、素敵ではないか。

「僕が思い出さないと駄目なのかな、やっぱり」

 カードに向かって問いかけてみる。答えが返ってくるとは思わないけれど、教えてくれるなら嬉しいと思ったのだ。


―だぁめ、ずるは。ちゃんと思い出して―


 くすくすと笑い声が聞こえるかのようなメッセージが浮かび上がっていく。文字は相変わらず可愛らしいままだ。だが、少し燥いでいるような感じを受けた。

「そうか、僕は君と約束したんだね」

 確認するようにそう言い、カードを見つめる。


―そうよ、そう。さあ、思い出して―


 こんな風に会話するなんて面白いな。きっと気味悪いと思う人もいるだろうけど、僕には楽しかった。結果がどうあれ、僕は思い出す必要があるのだと理解し、その作業をどうしたらいいかを考える。

 思い出の中にあるのかな?

 数少ない思い出たち。両親の事故死、冷たい親戚、施設の暮らし。印象的なのはそのくらいだ。ただ両親を喪う前の記憶はかなり曖昧であり、覚えてることが少ない。

 幾つの頃からだったろう?

 特に両親に可愛がって貰った記憶は残念ながらない。彼らは弟ばかり構っていたので。病弱で甘えん坊の弟はいつでも独占していたのだ。尤その弟も両親と一緒に逝ってしまったので恨みも何もない。

 彼らを喪っても僕の感情は空虚だった。だから親戚たちも不気味に感じたのだろう。誰も引き取ろうなんて物好きはいなかった。

 だけど僕はそれでよかった。血の縁なんて何の役にも立たないと僕の場合は思ったからだ。

 それらの縁で結ばれた人は良いなとは思う。でもそれを望んでも手に入らない場合がある。

 ……僕の望み?

 そんなことがあったんだと自分自身に驚いた。

 小さい、小さい頃の願い。


――誰か僕を抱き締めて欲しい。――


 ああ、そんなことを願ったことがある。いつだっただろう。僕だけ置いてかれたあの日、僕は独りぼっちで神社に行ったんだ。いつも行くその場所は誰も知らない秘密の場所だった。

 あまり手のかけられた様子のない、古びた神社は子どもの僕には素敵に写ったものだ。誰も邪魔するものがいなかったから。

 あの頃はよく泣いていた気がする。

 寂しかったのかな。

 そうかも知れない。

 ……ああ、そう言えばあの時誰かが来てくれた気がするな。

 とても温かくて、優しくて、安心出来る温もりをくれたんだ。

 僕だけを見て、僕だけに優しくて、僕だけを好きでいてくれる、そんな人がいればいいのにと願ったんだ。

「そうか……そうだったんだ」

 自分の中で腑に落ちる。

 あんなにも願った願いを忘れるなんて僕も馬鹿だな。

「うん、うん」

 一人で頷く。

「僕の願いを叶えに来てくれたんだね」

 その瞬間、僕の持っていたカードは光り輝いて辺りを一変させていく。気が付けばあの神社に僕はいた。

「此処は……懐かしいな」

 こんな大切な場所を忘れていたなんて!

 辺りを見回し、懐かしく歩き出す。風景は変わっていなかった。それがとても嬉しい。

 神社は相変わらず寂れていたけれど、どこか温かい。忘れないでいる人たちが世話をしているのだろう。

「おかえり」

 不意にそんな声がした。僕はその声を覚えている。ああ、あの子だ。

「思い出してくれたんだね」

 僕の前には一人の少女。とても特色のある子だ。何しろ銀色の髪に金色の瞳をしているのだからとても目立つことこの上ない。でも此処には僕と彼女だけだからそんなことはどうでもいい。

 少女はにこやかに微笑い、僕の側へとやって来る。

「お前が二十歳になったから家族になろう。お前に大切なものが出来なかったらと言う約束だったから」

「うん、君はあの時そう言ったね。僕は幼かったから理解し切れてなかったけど」

「我々はことわりは守らねばならないから」

「それもあの時に言われたけど、やっぱり分かってなかったよ」

「お前は大切にしてくれた。とてもそれは嬉しいことだった。本当はあの時に連れて行きたかったけれど、掟は掟だからね」

「この神社は大好きだよ。僕の居場所だったから」

「あの時もそう言ってくれて私はとても嬉しかったんだ」

「君は変わらないね」

 別れたのはもう十数年前だ。なのに目の前の彼女は僕が幼い時に見た姿のままだった。

「何しろ神様だからね」

「そうかあ」

 そんな説明で僕は納得してしまう。だってそれ以上いらないじゃないか。

「この神社は別名世捨て人の神社って言うんだけどね。その名の通り、この世界と縁遠くなりたい人が来る。幼いお前が来た時は驚いたけれど、直ぐにその寂しさが理由を語ってくれた」

「何も言わないで抱き締めてくれたから嬉しかったよ」

 幼い僕に温もりをくれたのは後にも先にも彼女だけだった。ああ、そうだ、だから僕は生きてこられたのだ。あの温もりがどうしても忘れることが出来なくて、でも覚えていることが出来なくて、今まで生きてきたんだ。

「僕が二十歳になったらって約束、覚えていてくれて有り難う」

 心からの感謝を込めて言えば彼女ははにかんだ。

「どういたしまして」

「さあ、僕を連れてって」

「お前が望んでくれたから」

 そう言って少女は僕の手を引いていく。その先は光がいっぱいあって、眩しい。

「お前と私は夫婦めおとになるんだよ。もう誰にも渡さない」

 その言葉には強い意志があり、僕はそれに逆らうこともない。だって僕の望みでもあるから。

「夫婦かあ。僕は甲斐性無しだけどいいのかな」

「甲斐性か。それなら私があるのだから問題ない」

「それならいいねえ」

 強く強く手を握り合い、僕らは消えていく。否、向かうのだ、僕たちだけの楽園に向かって。


 ――その日を境に、二十歳の青年の姿が消えた。暫く神隠しと噂されたものの、家族もいない彼のことなど直ぐに忘れられていくだけだった。尤もその方が幸福だろう、彼にも、世界にも。

 彼を愛した神様は今日も愛でていく。そうして神社はそこに有り続ける。幸せな絆を輝かせて……

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