第三章 第三話

「昨日とあまり変わらないかな」


「だね」


 やはり同じ店に入って、往来を眺める二人。あの北に向かう通路の先に岩城がいるのではないか、と言う推測はある。だが、そこに足を踏み入れることについては、躊躇しているのが実情だ。


 ただ、二人は気づいていない。店の中の客の入れ替わりが一時急激に変わり、その後、ほぼそのままであることを。


「どうする、優理音まりね。行く?」


「……うん、動かないと始まらないよね」


 二人は意を決して立ち上がる。すると、周囲の客が一斉に立ち上がった。


『え?』


 二人はそのまま動きを止める。明らかに異常な事態になった、という事は瞬時に判断できた。


 バレている。


 それだけは確信できたが、そこからどう動けばいいのかの判断が遅れた。


「よう、お前ら。こんな店で甘いジュース飲むような趣味だったか?」


「へへ、たまにはいいじゃねえかよ」


 偽装された行動パターンで思わず反応する琴音だが、もうそんなものに意味はない、と悟っていた。


「いやすげえな。見た目はどう見てもそのまんまだ。だけど、中身はどうかな。昨日の夕方から二人を見ねえ。監視カメラを見ると、姿はお前らなんだが怪しい動きをしてるやつがいた。張ってたら、今日も来てくれるとはな」


優理音まりね、バレてるよ)


(だね、ここは何とかして切り抜けるしかなさそうだね)


 二人は念話で会話する。能力者姉妹である、という特性の副産物として持っている、二人の間だけで成立するテレパシーだ。


 能力者特区だ。おそらく周囲を囲むのは全員が能力者。レベルも能力特性もわからない。人数は約一五人。多勢に無勢は能力者戦においてはレベル差を凌駕することもある危地だ。


(どうしよう、優理音まりね。仕掛ける?)


(できれば、傷つけたくはないかも。守りに徹して逃げたいかな)


(おけ、じゃあ、優理音まりねメインだね)


 琴音の能力は火と水の支配精霊との契約。どちらかと言うと攻撃偏重型だ。一方の優理音まりねは風と地の支配精霊との契約で、攻守ともにバランスがいい。


「だんまりか? なら、お前らの身体に聞くことにするぜ!」


「グノーム! 《防御壁murus defensus!》」


 周囲を囲む男の一人が何かの能力を使おうとした瞬間、優理音まりねの《ワード》が放たれた。


「うお! なんだ!」


 途端、大地がせりあがり、琴音と優理音まりねの周囲は強固な土壁で囲まれる。その壁はそのまま建物の天井を突き破り、空に向けて脱出通路が出来上がる。


「シルフィール! 《飛翔volans!》」


 続けて放たれた《ワード》は、二人の身体をふわりと持ち上げ、その脱出通路を上がっていく。


 通路の先は空だ。そのままこの区域を脱出してしまえば、当面の危機は免れるし、誰も被害に遭わない。


「させるかよお!」


「え!」


 通路を通り抜け、空に出た瞬間、いきなり横から衝撃が襲ってきた。不意を突かれた優理音まりねの術は解け、二人は建物の屋根の上に投げ出されて転がる。


「対能力者戦だ。こういうのも想定済みよ」


 屋根の上には一人の能力者がいた。二人を襲ったのはこの男の蹴りだった。異様に膨れ上がった筋肉を見る限り、異形か肉体改造の能力者に思えた。この系列の能力者は、自らの身体を強化して近接戦闘能力に長けている傾向がある。その中でも、この男は肉体の巨漢化を得意とするようで、身の丈は琴音たちの倍以上はあった。


(やばいよ優理音まりね! はやく)


(うん! ……あ!)


優理音まりね!」


 念話をしていたが、琴音は思わず叫び声をあげた。


 優理音まりねがその巨漢の男にかっさらわれたのだ。


 男の手の大きさは、優理音まりねをつかみ込むのに十分な大きさがあった。異常な大きさだ。


「くそ! 優理音まりねを返せ! サラマンド……」


「だめ! 琴音! 落ち着いて! 琴音だけでも帰って……」


 琴音が《ワード》を放とうとした時、優理音まりねが止めた。


 頭に血が上った琴音が焔の支配精霊であるサラマンドルの《ワード》を放つとなると、一面焦土になりかねない。この建物の下にはまだ大勢の能力者がいるはずだ。


 そして、琴音が優理音まりねの叫びに反応して躊躇した瞬間に、巨漢男は屋根から飛び降りて優理音まりねを連れ去ってしまった。


「う……優理音まりね……!」


 優理音まりねはいったん帰れと言った。確かに、捕まったからすぐに優理音まりねの身に危険が及ぶとは思わない。優理音まりねがその気になればグノームの力を借りて、一切の外部からの接触を遮断することが可能だ。その防御に徹すれば、核兵器ですら貫通は不可能、と言われている。それが優理音まりねの持つ本来の能力の高さだ。


 一方、琴音も同様の高レベル能力を持つ。現在はチョーカーによってレベル六クラスに制御されているとはいえ、そのレベルですら、あそこでブチ切れてサラマンドルの《ワード》を放っていれば、大惨事は免れなかっただろう。


 そういう意味で優理音まりねの判断は正しく、琴音は理性を失いかけていた。


 ただ、優理音まりねは双子の妹。自分の半身と言ってもいい。


「……くそ……サラマンドル! 竜騎兵Dracones!」


 次は琴音を、と狙い定めてくる男どもが、突如出現した炎を纏った翼竜に怯んだ。そのすきに、琴音はその翼竜を御して空へと舞い上がった。


 琴音は怒りと、不安と、そして、優理音まりねを守れなかった情けなさを抱えて、いったんここを離脱することに徹した。






 バー・ブラックファルコンの扉が勢いよく開く。いつもは心地よく響く来客チャイムがわりの木の音も、今日だけはざわついた音色に聞こえた。


「どしたの琴音、早いじゃない」


優理音まりねが……!」


 その一言で唯美はすべてを察した。


「やっぱりね。だから止めようとしたのに」


 唯美は、今日琴音たちが来たときに史郎が行かせようとしていたのを、止めようと試みた。だが、史郎に制されたのだ。


 無論、史郎には史郎の思惑があり、ここでは史郎が絶対だ。唯美も史郎には一服の信頼を置いているので、自分の考えと異なっていたとしても史郎の考えを優先したのだ。


「早く優理音まりねを助けないと……!」


「落ち着きなさい。浮足立つと足元すくわれるわよ。もう少しで史郎が戻るから」


「待ってらんないよ!」


「待ちなさい。ここにはここのやり方があるし、不文律もある。史郎だって黙っちゃいないはずよ」


「そうかな」


「そうよ。言ったでしょ。ブラックファルコンにはこの地区の治安維持の役割があるって。いい? どんな悪党だって日々戦々恐々して過ごすのを好むやつはいないのよ。それを好むやつは単なる戦闘狂よ。そして治安の維持は経済的利益にも直結する。だから、それを乱すなら、史郎は潰すでしょうね」


「ほんとかな……あたしには、難しいことはわかんないよ。優理音まりねを助けることしか考えられない」


「大人になりなさい。あなた、公安の特別部でしょう? そんな感情に流されてると、これからつらいわよ?」


「…………」


 琴音には返す言葉がなかった。


 確かに優理音まりねは心を分けた分身と言ってもいい。


 でも、二人の立場は公安特別部能力者対策課の捜査官だ。今回の件は事件捜査の中で起こったことであり、その救出や交渉も、事件捜査の流れに即して行うべきであり、個人的感情で乗り込んでいいものではない。


 頭ではわかっている。でも、それで割り切れるものではなかった。


 そんな時だった。バタバタと騒がしい足音が近づいてきて、勢いよく扉が開いた。木の音はやはり騒々しかった。


「姐さんてえへんだ!」


「落ち着きなさい。ブラックファルコンで大変な事なんて、天地がひっくり返るくらいじゃないと言えないわよ!」


 何やら慌てて飛び込んできた男たちの集団を、姐さん、こと唯美が一喝する。


「へ、へえ、すまねえ! いやしかし、東地区でなんか不穏な集まりが起きてるって!」


「あら、もう? 史郎早く帰ってこないかしら」


「あ、姐さんはもうご存じで?」


「ご存じじゃなかったけど予想はしてたわ。でもまあありがと。あとはこっちで何とかするから」


「お、俺たちも行きますぜ! 姐さんひとり行かすわけにゃいかねえ!」


「あなたたちが束になっても私に勝てない癖に何言ってんの。坊やはおうちでおっぱい飲んで寝てなさい。私と史郎がいれば充分よ」


「しかし! 俺たち盾くらいにはなれる!」


「あなたたちを盾になんてしたら、それこそブラックファルコンの名折れよ! なめんじゃないわよ!」


『ひいいいいいい! 失礼しやした!』


 男たちが一斉にひれ伏した。


「すんごい……唯ちゃん……」


 いつの時代の任侠の世界だろうか。そして、姐さん、と呼ばれる唯美の強さがどれほどのものかはわからないものの、相当な人望と信頼をこの男たちから勝ち得ているのだ、という事がわかる。


 同時に、ブラックファルコンの規模はどれくらいなんだろう、と琴音は考える。史郎と唯美しか見ていなかったが、ここにきていきなり構成員と思しき男たちが現れた。ニシナリは広大とは言わずとも、狭い地域でもない。やはりそれなりの数はいるのか、と。


「ねえ、唯ちゃん。この人たちは?」


「あー……親衛隊……なんだけどね」


「親衛隊?」


「一応ブラックファルコンの構成員だけど、どっちかというと私への私的な親衛隊……」


「えっと……つまり、唯ちゃんファンクラブ……」


「言わないで。私は何も知らない。知りたくない」


「我ら! 唯美の姐御の為なら!」


「たとえ火の中水の中死地の中!」


「喜んでお供していきやす!」


 かなり悪そうな顔をした筋骨隆々の男たちが、口々に唯美への忠誠を口にする。ちょっと異様な光景だ。


「あんたら一応ブラックファルコンでしょ。忠誠を誓うなら史郎にしなさいっていってんじゃん!」


「無論、史郎の兄貴への忠誠はもちろんですぜ! その先に姐さんがいやす!」


「順番逆だっての!」


「なんか、愛されてるね唯ちゃん」


 圧倒された琴音は、一瞬現状の事態と優理音まりねのことを忘れそうになったが、コツリコツリ、近づいてくると落ち着いた靴音で我に返る。


硬い靴底で床を打つ独特のその音は特徴的で、まだここを知って間もない琴音にも、誰が近づいてきているかわかった。


 扉がゆっくりと開く。木の音は、いつも通りの軽やかなサウンドを奏でる。


『おかえりなさいやし!』


 強面の男たちがびしっと整列し、その黒づくめの男、隼史郎に頭を垂れて迎える。


「おい唯、やめさせろと言ってるだろう」


「その子たちがやりたがるんだから、好きにさせたらいいじゃない。史郎が権威を嫌いなのは知ってるけど、時にはそういうのも必要だし、それで安心する子たちもいるのよ」


 自分のことは棚に上げて、史郎を敬うのはよし、という唯美だった。


「そんなものか。それより物々しいじゃないか。何があった」


「史郎の思惑通りのことがあった」


「なるほどな。優理音まりねがいない、か」


「ちょっとファルコン! どういうことなの!」


 唯美と史郎の会話を聞いていた琴音は、思わず割って入った。この事件は計画的に起こっているのか。それならば、意図的に優理音まりねを危険な目に合わせたのか。


「落ち着け。今のままだと膠着状態だ。お前らの捜査はまだ素人に毛が生えた程度だ。たいした成果も出ないし、バレる公算の方が大きかった。ならば、それを前提として戦略を組むのは当然だろう。向こうから手を出してきたんだ。こちらはアレを潰す名分を得た、ってことだ」


「だからって優理音まりねが……!」


「お前らの能力レベルは抑制値で六らしいな。それだけあれば、東地区で不覚は取らんだろうし、優理音まりねだって自己防衛はできるだろう。精霊との契約者ってのは、ちょっとやそっとでは死なん」


「そりゃ、そうだけど……!」


 そういう問題ではない、と琴音は思うのだが、優理音まりねに手を出して危害を加えられるとすれば、それは相当な高レベル能力者という事になる。今のところ、そこまでの連中が集まってるという情報はない。それでも、万が一という事はあるから不安なのだが。


「よし、唯、出るぞ。優理音まりねの奪還と岩城の確保だ」


『合点承知!』


「お前らは残っていろ。邪魔だ」


『ええええええ』


 唯美ではなく、むくつけき男たちが嬉々として返事をするが、あっさりと切られた。


「俺と唯とおまえで行く。それで十分だ」


「さ、三人? さっき一五人くらいに囲まれたよ?」


「烏合の一五人などどうにでもなる。メインクラスが何人いるかだが、まあ、普通に考えて大丈夫だろう」


「ずいぶんな自信だこと。あたし、まだファルコンも唯ちゃんもどれくらい強いか知らないんだけど」


「んふふふ、まあ、琴音と互角以上かな」


 琴音の言葉を聞いて、唯美が自信たっぷりに返してくる。


「マジで!?」


 琴音自身は実戦の経験は少ないので、それと互角以上と言われてもどの程度かはわからない。だが、少なくとも現状でレベル六を持っている琴音以上、というなら、それは相応の強さ、と言えた。


じゃあその唯美を従えている史郎は、という事になる。力がすべての能力者特区だ。おのずとそう判断してしまう。


「もうすぐ日が沈む。日没と同時に行くぞ」


「アイアイサー!」


「わかった」


 唯美と琴音はそれぞれの返事をして、史郎と打ち合わせを始める。


 最優先事項は優理音まりねの救出。そして、可能な限り岩城を確保、勢力を壊滅させることが作戦目標だった。



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