第7話 異界ーエンデー 闇の痕

森の奥、冷えた空気の中に転がる遺骸。

修は屈み込み、そっと手をかざす。


「……3日、いや、4日は経ってるな」

ーそんなに?

「ああ。傷の乾き方、腐敗の進み。時間の流れは俺たちとほぼ同じだ」


胸部には深い裂傷。だが、刃物ではない。

焼け焦げた皮膚と、筋肉のねじれ。

まるで、空間そのものに引き裂かれたような痕。


「座標ズレの転位焼き。……異界渡りの失敗だな」

ーでも、あの焼き方、私たちの術式とは違う。

「そうだな。線の流れが逆だ。うちの図書館の転位陣じゃない」


修は黙って首を振り、遺骸の傍らに膝をつく。

両手を合わせ、短く祈った。


「――迷い無く旅立てますように」


そう呟いてから、慎重に懐やポーチを探る。

布が擦れる音が静寂に響いた。


出てきたのは、革表紙の手帳。

銀色の小さな硬貨が数枚。

そして、黒い棒状の物――USBメモリ。


「……USB、か。電気無しじゃ開けないが」

ー記録媒体。異界渡りのデータかもね。それも私たちに近い

「だろうな」


修は手帳とUSBを布に包み、鞄の奥にしまおうと手を伸ばす。


その時だった。


うっすらと差し込んでいた月明かりが、ふと陰った。

音は無い。風も止んだ。

世界の色が一瞬、消えたように感じた。


修の身体が反射的に動く。

一足飛びで2メートル後方へ。


その直後。


遺骸を包むように、黒いもやが湧き上がった。

まるで墨を垂らした水のように、静かに、確実に広がり――

その全てを飲み込む。


肉も、骨も、焼け焦げも。

やがて、そこには何も残らなかった。


ー……消えた。

「ああ。ポータルが自動遮断したな。残留リンクを断った。

 つまり、“あれ”は完全に切り離された」

ー救いは、ないんだね。

「死後に閉じられた座標は、もう戻れない。

 ……せめて、遺した記録が意味を持つといい」


修は静かに息を吐く。

血を拭ったトンファーを腰ベルトに回し、

捌いておいたアルミラージの肉を包んで肩に掛けた。


「帰るぞ、レイラ。宿で整理だ」

ーうん。……ねぇ修。

「なんだ?」

ー今の、怖くなかったの?

「…慣れた。これが、異界だ」


短く答えると、修は闇に背を向けた。

森の奥では、まだ黒い靄の残滓が、

まるで名残惜しそうに空気を撫でていた。

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