第16話 逃走

「抵抗せずにUBWを返しなさい。今なら、まだ取り返しがつくわ」


 マリアンヌ博士は銃に変形した右腕で俺を指した。


 ——いや、取り返しはつかない。


 前科がついてしまえば、以前のように自由に振る舞えなくなる。

 徹底的にマークされるだろう。

 下手をすれば退学、もしくは国家機密を盗み出そうとした罪で豚箱行き。

 チャンスは今回の一回限りだ。


 俺は階段とは逆の方角へ走り出した。


「待ちなさい!」


 ウォータージェットの追撃に被弾しないよう、ジグザグとステップを散らしながら校舎の奥へ向かう。

 この先に階段はないが、船を停めてあるのはこの方角。

 目的地との距離はしっかり縮んでいる。

 しばらくすると行き止まりだが、道がないのであれば自分で作るまでだ。


 俺はポーチからレーザー照射器を出し、手元に構えた。

 そして角を曲がってマリアンヌ博士の死角に入ると、すぐさま手前の窓をくり抜くように切り裂いた。

 水族館の水槽並みに分厚い強化ガラスだが、正面からの衝撃に強いだけで、内部をズタズタにしてしまうと案外脆い。

 適度に傷を入れてから足で蹴りを入れると、ギリギリ通れる大きさの穴が空いた。


「トロイア、止まって! 考えを改めるべきよ!」


 マリアンヌ博士が追いついた時、俺の体はすでに校舎の外へ出ていた。


「悪いけど、これは俺が何年もかけて計画していたことです。早まってなんかいない。校長にも俺の代わりに謝っておいてください」


 窓にかけていた手を離し、俺は地面に着地した。


「お兄様、早くこっちへ!」


 ボートには舞花とマイン達が既に乗っている。

 俺も急いで駆け寄って桟橋からボートに飛び乗った。

 念のため、校舎の方を確認してみたがマリアンヌ博士は見当たらない。

 どうやら回り道をしているようだ。

 あのダイナマイトボディでは、あの狭い穴を通れないだろう。

 まあ、あのウォータージェットなら壁ごとくり抜けるので、大した足止めをできるとは思えないが。


「マインさん、ボノボンです。昨日、毛皮がほつれていた部分を縫って直しておきました。新品みたいになってますよ」

「ありがとう、舞花。あれ? ちょっと重くなってる……?」

「凹んでいた部分を直すために綿も詰め直しておきました」


 相変わらず悠長な奴らだ。

 ぬいぐるみなんて置いていってもいいだろ。

 俺の無謀な旅についてきてくれるだけでありがたいので、文句は言わないが。


「よし、さっさと行くぞ。舞花、鍵を渡してくれ」

「……」

「舞花?」


 彼女は俯いたまま、両手を背中の後ろに隠している。


「やっぱり、やめませんか?」

「おいおい、このタイミングでそれをぶり返すのかよ。早くしないとマリアンヌ博士に追いつかれる。俺たち全員、斬首刑にされるぞ」

「いやいや、そこまで物騒な人じゃないですよね?」

「それがだな、実は博士は……まあ、後で詳しく話す。そんなことより早く鍵を渡すんだ」


 手のひらを差し出し、舞花に一歩近づく。

 すると舞花は一歩後ずさった。


「危なくなったら逃げることを約束してくれますか?」

「……舞花は必ず無事に帰れるようにする」


 舞花はもう一歩後ずさった。


「それじゃダメなんです!!!」


 ……ちっ。


 ひとまず無理やり鍵を奪い取るか。

 妹に乱暴はしたくないが、時は一刻を争う。

 俺は舞花に飛びかかった。


 だがそれを予見していた舞花は、隣にいた戦車っ子を突き飛ばして俺にぶつけ、その隙にボートの後方まで逃げた。

 彼女は鍵を海の上に掲げた。


「動いたら落とします! お兄様、約束してください! じゃないと鍵は返しません」

「舞花、いい加減にしろ!」

「全員止まりなさい。止まらないと撃つわよ」


 最悪だ。


 桟橋の手前にマリアンヌ博士が立っている。

 銃口は俺と舞花を貫ける位置に構えられていた。

 どうすればいい? 諦めるしかないのか?

 マリアンヌ博士が情に流されて、撃つのを躊躇うのを期待すべきか?


 ——流石に厳しいな。

 俺が彼女にとってどれほど重要なのかがイマイチわかっていない。

 迷わず撃ってくるリスクがある。


「マリー!」


 遠くから校長の声がする。


「ボートのモーターを撃ち抜くんじゃ! わしの生徒を傷つけてはならん!」


 まずい、それは詰みだ!

 マリアンヌ博士はモーターに銃口を向けた。


「えい!」


 博士が発射すると同時に、舞花はモーターを庇うようにボートから飛び降りた。

 水の柱は一直線に舞花の胸を──



 ──突き刺した。



「舞花!!!」


 息が止まる。

 心臓が凍りつく。

 考えるより先に、俺は駆け出していた。


 だが──血がない。

 背中を突き破ってもいない。


 水の柱は心臓に届く寸前、氷へと変わっていた。

 ブラウスに触れたところで、ぴたりと動きを止めている。


 ……無事だ。


 安堵が胸を満たしたのは、一瞬。

 次に込み上げてきたのは、怒りだった。


「舞花! お前は馬鹿か! 貫かれたら、どうするつもりだったんだよ!」

「ワタクシが大怪我をしたら、お兄様も流石に出発できなくなるでしょ?」

「死ぬかもしれなかったんだぞ!」

「その通りですよ!」


 水でぐしょぐしょに濡れた舞花は振り返り、涙でぐちゃぐちゃに乱れた顔を俺に向ける。


「お兄様がやろうとしていることは、今、ワタクシがしたことと同じです!」

「そんなわけ──」


 と言おうとしたところで、彼女の言葉の意図を汲み取る。


 俺が俺の命をそれほど大切にしていなくても、俺以上に俺の命を大切にしている人がこんなにも身近にいたことを失念していた。


 そうだよな。


 国連軍のために戦った両親が、国連軍の反物質爆弾で息絶えた日。

 俺が舞花と交わした約束。それは一緒により良い世界を作ろうというものだった。


 俺たちのように苦しむ人が、もう二度と現れないように。

 舞花をこの腐った世界から開放したい。

 愛してくれる家族を、彼女から奪い去った世界に復讐したい。

 そんな一心で、そんな希望だけを抱いて、絶望に溢れた人生に立ち向かってきた。


 俺は舞花により良い世界を見せるためにだけ生きていた。

 でも、舞花は……舞花は俺と一緒にご飯を食べているだけで、一緒に暮らしているだけで、一緒に笑っているだけで既に救われていたのだ。

 彼女を想って行動していたはずが、いつの間にか手段と目的がすり替わっていたのかもしれない。


「お兄様、自分の命を一番にしてくれますか?」

「……わかった」


 舞花は鍵をこちらに投げる。

 俺はそれを彼女の想いと共にキャッチした。


「わかったなら、さっさと行ってください! 早く! ワタクシが身を挺してボートを守りまーす! やぁぁぁっ!!!」


 銃口から伸びる氷の柱を叩き折り、舞花はマリアンヌ博士へ向かって突進した。

 右腕に飛びつき、銃口を俺たちへ向けさせまいと全力で抑え込む。


「絶対に死なないでくださいね! 危なくなったら帰ってきてください!」

「ああ、約束する!」


 舞花から受け取った鍵でボートのエンジンを始動させた。

 モーターが水を噛み、船体が前へと滑り出す。


 海岸が遠ざかっていく中、背後から校長の声が届いたような気がした。


「ふはは、若いのう! 頑張ってこい!」

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