第15話 マリアンヌ博士、覚醒
朝四時の早朝。
落とした針の音すら響きそうな静まり返った廊下を歩く。
今日は平日。他の学生達が登校する前に、朝早くから校舎を訪れ、戦車っ子を連れ出す算段だ。
マインの第六感を頼りに進むと──
「こっちです」
マインは校長室の前で立ち止まった。
予想はしていたが、おそらく戦車っ子は秘密の研究室内にいるのだろう。
「この中か?」
「はい。でも……、あっちからも暖かい感覚をもう一つ感じます」
「あまり正確にはわからないんだな」
「ごめんなさい……」
「別に謝ることじゃないだろ。校長が発明したんだから、欠陥があったら校長のせいだ」
迷っている暇はない。
俺は校長室の扉を開け、研究室のドアノブに手をかける。
鍵がかかっていた——だが、想定通りだ。
ポーチから針金を取り出し、手慣れた手つきでピッキングする。
数秒後、静かに扉が開いた。
だが、目に飛び込んできた光景は想像とかけ離れていた。
ピンク色のタンス。ドレッサー。
木製フレームのベッドに白いシーツがかかったクイーンマットレス。
本棚には参考書がぎっしり。机にはノートとペンが整然と並ぶ。
さらに、黒髪の女性と、ダンディな男のツーショット写真も飾られている。
女性は、どこかマリアンヌ博士に似ていた。
一応、部屋の隅には、申し訳程度に高性能なコンピューターと診察用の椅子があるが、それを除けば普通の社会人女性の寝室そのものだ。
「いました!」
目を凝らし、マインが指差した方を見てみる。
ベッドの上のシーツがもぞもぞと動いていた。
「むむ? これは……お兄ちゃんの匂い……」
くんくんと鼻を鳴らしながら、お化けのように近づいてくるシーツ。
めくり上げると──戦車っ子が顔を出した。
「おはようございまーす!」
「おはよう。早速だが、俺たちと一緒に来てくれ」
「えー? どうしてー?」
「時間がないんだ。事情は後で説明する」
「でも……。お外に行く時は報告しなさいって、マリーお姉ちゃんが……」
「俺に報告してるから問題ないだろ」
「あ、そっか! お兄ちゃん天才! レッツゴー!」
しょうもない理屈で一瞬にして納得させ、俺たちは研究室を後にした。
UBWに関する資料を漁っていきたい気持ちもあったが、誰かに見つかるリスクが高すぎる。
長居しない方がいいだろう。
「トロイア……? どうしてあなたが?」
言ったそばからこれだ。
校長室を出ると、廊下の奥に困惑した様子のマリアンヌ博士が立っていた
小声で「走るぞと」マインに呟き、マインの腕を引いてダッシュする。
戦車っ子も釣られて元気よく駆け出した。
「えっと、どうして逃げてるの、お兄ちゃん?」
「この前の鬼ごっこの続きだ。死ぬ気で走れ」
「わかったよー!」
誘拐対象が単純で助かる。
「待ちなさい!」
背後からマリアンヌ博士の声。革靴の硬い音が廊下に反響する。
だが振り返らない。俺たちは全力で前へ走り続けた。
足音の近さで距離感を把握しながら、俺はマリアンヌ博士の走行速度を大雑把に測定する。
……思ったより早いな。
マインと戦車っ子の走りに合わせていたら追いつかれてしまう。
「マイン、俺は階段でマリアンヌ博士を足止めする。お前たちは先に進んで、二人で校舎の裏口を目指してくれ。外に出たら舞花が乗っているボートが見えるはず。そこまで走るんだ」
マインは力強く頷き、戦車っ子の手を引いて階段を駆け下りていった。
俺は二階で足を止め、壁の陰に身を潜める。
ポーチから睡眠ダーツを取り出し、吹き筒を口に構えた。
そして息を殺し、耳を澄ます。
タッ、タッ──。
マリアンヌ博士の足音が階段を叩いて近づいてくる。
──今だ。
彼女が背中を晒した瞬間、俺は飛び出した。
狙いを瞬時に定め、首筋を狙ってダーツを射出。
毒を帯びた先端は寸分の狂いもなく、博士の無防備な首に迫り──
カッキーーーッン!!!
長い青髪に弾かれた。
「──え?」
まさかの事態に困惑し、思わず声が漏れる。
思考は床に落ちたダーツのように静止している。
マリアンヌ博士は立ち止まり、片手で髪を払う。
「もう隠す必要はなさそうね」
博士はくるりと振り返り、氷のような青い瞳が俺を射抜く。
——そして、右腕を突き出した。
次の瞬間、淡い光が腕を包む。
戦車っ子が変身した時とそっくりだった。
腕はみるみると変形していき──やがて姿を現したのは鋼鉄の銃。
まるでロボットアニメに出てくるような、ゴテゴテにハイテクなデザインの銃だ。
だが銃口は非常に細く、弾丸は通りそうにない。
レーザー砲か? それとも火炎放射器?
──ん?
嫌な予感が背筋を走った。
俺は即座に壁の陰へ飛び込む。
直後、俺のいた場所を鋭い水柱が貫いた。
床にくっきりとした細い線が刻まれ、穴は下の階まで突き抜けている。
おいおい……。この建物、コンクリ造りのはずだろ。
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