第一章 水晶髑髏伝説
第一章 水晶髑髏伝説 一
*
アンティキティラ島の機械……ギリシャ・アンティキティラ島近海の沈没船から発見された、手回し式の太陽系儀。三十七個(現存は三十個)の歯車が組み合わさっていることから、世界最古のコンピュータとも呼ばれる。紀元前三世紀~紀元前一世紀に製作されたと推測される。同レベルの技術機器は、一千年後まで現れなかった。
*
「地名、言い伝えなど、これほどたくさんの証拠があるということは」
スイの目が光る。視線を注ぐ先はただ一点、対戦相手のキティラーの顔だ。
――スイは、もう普通に喋れる程度には快復していた。まだ、叫んだり歌ったりは自重してるけど。
土星域の神の状況に進展がないので、暇を持て余したメンバー間で再度始まったのは……。
空白の時間ができた時、そこに歴女が複数いれば、勃発してしまう歴女合戦。
今回も、そのご他聞に漏れず、ギャラリー見守る中での開戦と相成ったのだった。
スイとキティラー。同じ歴女でも、互いの得意範囲、テリトリーには時代区分のずれがあった。そこで、公平を期すため、スイの得意な戦国時代と、キティラーが専攻しているという古代の間を取って、議論の題材にする時代は八~十二世紀と決まった。
スイが今回取り上げたのは、十二世紀、鎌倉時代に起こった、源義経逃避行の移動経路について。
「なんだ。やっぱり、既存の説をなぞっているだけじゃない。
東北地方には、義経、弁慶から取った地名や寺社、言い伝えがいくつも残されている。だから、義経は平泉で殺されたんじゃなく、もっと北へ逃げ延びた。――そういうことだね、髑髏の言いたいのは」
「いいえ」
毅然と放たれたスイの一語に、キティラーが虚を突かれ、頭を上げた。アシンメトリーのショートボブ、長いほうの左側の毛先がはね、風に流れる。
「これほどたくさんの、不自然なほどたくさんの証拠があるということは、つまり」
スイはまたしても、そこでいったん言葉を切り、一拍間をとって、悠々と周囲を見渡していく。座になって輪をつくっているチーズ、せっちん、コロン、鉄子さん、そして僕も、キティラー同様、無言のまま、継がれるはずのスイの言葉を待つことしかできなかった。
企みに満ちた笑みをその顔にたたえ、スイが再び口を開いた。
「北へ向かいました、行きましたって手がかりを大量に残したのは、行ったと見せかけるためだったと考えれば、腑に落ちませんか」
「えっ」
「そんな……」
耳を傾けていた聴衆が、にわかにざわつく。
「だとすると、義経が実際に向かったのは――」
先読みしたキティラーが、はっとして目を見開く。血の気の引いた顔からは、混乱している様が読み取れた。まさか、多すぎる証拠を逆手に取って総攻撃を仕掛けてくるなんて、予測もつかなかったに違いない。
スイの言葉は止まらない。
「北ではなく、南。
義経は、北へ逃げ落ちたのではありません。南へ行ったのです!」
「な、なんだって?」
「向かった先は、南方の鎌倉。
狙った獲物は……ここまで言えば、もうお分かりでしょう。
そう、狙ったのは、頼朝の首。
義経が南へ行っていたとすれば、不審死を遂げ、諸説あっても未だに定説を成さない源頼朝の死の謎が解けるのです」
キティラーの顔が驚愕に歪む。
アクロバティックな説はスイの十八番。
急流の川に、端から端へと筏を浮かべ、それらを繋ぎ、結合させて足場を作り、その上に、気づけばいつの間にか、鉄骨の橋を築いてしまうのだ。
こと日本史に関しては、だから、この子に語らせたら、新説を唱えさせたら、手がつけられない部類の強さを発揮する。してしまう。
誰も口を挟めない。
「今日こそ、真実を白日の下にさらしましょう」
とどめを刺すのは、非情の合戦においては、日常。むしろ、それが敗者への礼儀であり、手向け。
スイは、抜き身の銘刀、髑髏丸を、キティラーの赤い銅鎧目がけ、風を切り裂き逆袈裟斬りに――。
斬りつけた!
「源頼朝殺害、その犯人は、最も強い動機のある人物。兄からの処遇に強い怨みを抱いた、実の弟だったのです」
血飛沫を上げ、キティラーの胴体が斜めに二つに割れた。
こんなの聞いたことがない。
スイが唱えたのは、義経北行説の大向こうを張る――。
義経南行説!
さすがのキティラーも、これには反撃の狼煙も上げられぬまま、ついに白旗を上げた。
歴女合戦・源平の陣は、スイの大勝利で終わった。
あの日から一か月。
僕たちは、なぜ、無為に一か月もの長い間、何もせずにのうのうと過ごしてきたのか。
それには、よんどころない事情があった。
*
ライブ終了から間もなく、マイクロアースに大きな振動が起こった。マイクロアース全域が揺れていたんだと思う。それほど激しく、しかも人為的な、誰かがこの星ごと揺さぶっているのてはないかと思えるほどの、不自然な揺れだった。
一回目のスイたちのアメージング・グレイスの歌唱の後に起こったのと同じで、自然に起こった地震にしては、タイミングが合いすぎていた。
神のリアクションとしか考えられなかった。
そして、振動がようやく収まり、人心地がつくと。
皆の視線は、一人の人物に集中した。
その時、キティラーは、膝を流して、手をついて座っていた。
もう片方の手――左手は、耳の上に付いている角の付け根、左側が長いアシンメトリーのショートボブに埋もれて隠れているそのぎりぎりのところを、感度を高めるように親指で軽くさすりながら、偏頭痛でも起こしたようにいかめしく眉根を寄せ、目を閉じている。
「私は、今、目覚めました」
アメージング・グレイスの歌唱の後、最初に揺れを感じた後に聞いたキティラーの声とは、何もかもが異っていた。あの時は、システム音声のような喋り方ではあったけど、霞がかった声色の地声は維持していた。
だけど、今のは、聞いたこともない声だった。
キティラーよりも少し若く感じられる、ちょうどバタフライ・ロストで失われたJK――高校生くらいの、女性の澄んだ声。
裏声……とも違う。本人のものとは思えない声。別人。別の生命体。
――神。
間違いない。新たな、三体目の神とのファーストコンタクトが叶った瞬間だった。
キティラーの口寄せに、真っ先に反応したのはチーズだった。
「ライブは……私たちのライブは成功したってことですよね」
うつむいたままのキティラーを見て、チーズは両側のコロンと鉄子さんに同意を求める視線を投げかけた。
「そうだと思う。けど……」
曖昧にしか答えられないコロンに代わり、鉄子さんが、キティラー――を通訳に、神に問いかける。
「
「……ない」
「えっ」
戸惑いの声を上げた何人かの人に混じって、発声できないスイも、表情だけは同じになる。
「動けない。私は、動け……ない」
鉄子さんが、続けて訊く。
「拘束具か何かを嵌められていて、身動きがとれないないんですか?
それとも、その……可動域が、動かせる四肢に当たる部位が、もうないのですか?」
質問に答える代わりに、うつむいたキティラーは、
「細胞膜の、死する時期は、八十……九日」
謎かけの言葉を残し、そこで交信は途絶えた。
『細胞膜の死する時期は八十九日』。
独特の言い回しは、一体目の神、リングのオーパーツの外周に刻まれていた
取っかかりはそこだった。
僕らは、神の残した言葉の解読を試みた。
候補は、みんなの間から、すぐにいくつか出た。
念を入れ、
それは、意識を取り戻したキティラーが導き出した予想と一致した。
神の言葉は、翻訳すると、
『ステルス機能を新調した。有効期限は八十九日』
という意味になるようだった。
すぐに、神の木前で、全員参加、一同連座になっての討論会が開かれた。
「神の居場所――現在位置は分かるのよね?」
コロンが尋ねた相手は、もちろんキティラーだ、
「うん。発見した時からずっと、移動はしてない。目覚めた今も、そのままだよ」
すでに
スイが、メモタブレットを使って、筆談で疑問を投げかける。
『なぜ、最後の一体の神は、完全に破壊されないでいたんでしょう?』
「直に見てみるまではなんとも言えないけど」
と断ってから、コロンが私見を述べる。
「
「エネルギーの採掘用に生かされているのかも」
これは、鉄子さんの推測だった。
突飛なものも含め、説は出せても、確定には至れない。
『チーちゃんの特殊スキルを使えば、確かめに行けるんだよね』
スイが書いたのは、危険な提案だった。神のいる場所は、土星域だ。
「まあ、行けると思うけど」
スイとチーズの会話に、コロンが横槍を入れてくる。
「スイ、あなた、自分の特殊スキルが今になってもはっきりしないから、それで焦ってるんでしょ」
『そういうわけでは』
途中で筆を止めたってことは、図星だったに違いなかった。
OPSの他のメンバーにはあるんだから、スイのそれが、一人だけない、なんてことは考えられないんだけど……。
「どんな能力か想像がつけば、その発動方法も自ずと分かってくるはずだよ」
実践した鉄子さんが実体験を語り、それにチーズもうなずいた。
対して、スイは困り顔で首をかしげる。
『キティラーはいいですよね。全自動じゃないですか。
私もそうだったら、悩むこともないんですけど』
鉄子さんが、自分のこめかみを指でとんとんと叩き。
「スイ、何か直感で思い当たることはない?
こんな能力を持ってそう、とか、こうしたら発動しそう、とか」
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