百足の毘沙門天

乙島 倫

第1話 手取川の戦い

 柴田勝家は目の前を流れる濁流を呆然と眺めていた。その川は手取川である。

 信長の命令を受け、勝家は北陸地方に進出していた。加賀国内に入ると周囲の村落や寺社を入念に探索し、時には焼き払い、発見した村人が敵か味方かわからなければ問答模様に切り捨てるなど、慎重に慎重を重ねながら北上していた。向かう先の相手は越後の雄、上杉謙信である。

 その柴田勝家の率いる軍勢が手取川に差し掛かった時であった。初秋にも関わらず手取川は氷結していた。難なく手取川を渡河した柴田軍であったが、再び柴田勝家が背後を振り返ると氷結していた手取川は濁流と化していたのである。対岸を見渡すと手取川のすさまじい水流の前に後続の部隊は立ち往生していた。

 百戦錬磨の勝家も思わず表情がこわばる。

「これでは退路がないではないか。こんな状態で上杉軍と遭遇したらどうなることか」

 困惑する柴田勝家の諸将たちが北に視界を移すとそこに土煙があがっているのが見えた。次の瞬間、伝令が血相を書いた様子で駆け込んでくる。

「丘向こうに敵!」

「数の数は?」

「五千は超えているかと!!」

 勝家がすぐに周囲の武将たちに指示を出した。

「いますぐに撤退じゃ」

 しかし、副官の一人の鯖江定利さばえさだとしが柴田勝家に食い下がる。

「殿、先ほど渡河するとき、川の中央に立っている女いたという兵士がおります。わたしも、氷結した川の中央付近に白装束のあやしい女が立っているのをみました。もしや、川が凍ったり、濁流に替わったりするのはその女の仕業だったのではないかと・・・」

「そんなわけないだろ!!早く撤収の展開をしろ!!あの丘のところに上杉軍がいたのだから、すぐにでもこの陣地まで・・・」

 次の瞬間、上杉の騎馬隊が柴田軍の陣地へと突入した。混乱して逃げまどう足軽を騎馬兵が次々と槍で突き刺していった。柴田軍の陣地の外では法螺貝が鳴り、太皷の音が鳴り響く。突撃の合図である。四方八方から乱入する上杉軍に対し、迎撃体制の取れない柴田軍はたちまち大混乱に陥った。

 乱戦となる中、柴田軍はやがて統制を失い、兵士たちは散り散りなって逃げ始めた。しかし、背後は濁流の手取川。兵士は次から次へと川へ飛び込み、多くは溺死した。織田軍の大敗北であった。これが世にいう手取川の戦いのあらましである。

 上杉謙信はこの戦いについてこのように述べたという。

「信長、戦ってみると意外にも組みやすい」

 上杉謙信は信長の派遣した北陸方面軍を蹴散らすと居城の春日山城へ一旦、帰還。 この時、上杉謙信は本国の越後に、越中、能登と加賀の一部を加えて百七十万石の領地を有する戦国大名となっていたのである。

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