1分で読めるショートショート・ビオトープ

丸玉庭園

平日、しずかな水族館で泳いでいる

 天空の巨人が作った金魚鉢みたいな水槽に、見たことのないとがった魚が泳いでいる。目を輝かせながら、彼女は指をさした。

「見て。あれ、カジキかな」

「カジキなんて、この水族館にはいないよ」

「じゃあ、ホオジロサメ?」

「うーん。いないと思うけど……」

「もう。だったら、水族館にいていいのって、どんなの?」

「泳げるのなら、なんでもいていいと思うよ。ただ、今きみがいったのが、この水槽にはいないだけで……」

「わたしも泳げるよ。わたしもいていいってこと?」

「水族館の人が、いいっていったらね」

 彼女の手を引いて、ぼくは通路を進みはじめた。しかし、彼女にぐいっと、手を引かれてしまう。踊るようにして、彼女はすみに置かれたベンチに、ぼくを突き飛ばした。

「わたしが水槽で泳ぐとしたら、どんな魚だと思う?」

 彼女はぼくの隣にどっかりと座って、教鞭のように指を振った。ぼくは、うーんとうなる。

「なんでもいいよ」

「そんな返事はゆるしません」

「金魚かな。小さいから」

「夢がないねえ」

「それじゃあ、イルカ? すきでしょ」

「だーめ。有名な人気イルカばっかりで、わたしのことを見てもらえないよ」

「あと、すきな魚っていたかな?」

「ねえねえ、きみのすきな魚って?」

 彼女が、ぼくの目をまっすぐに見る。それは、決まりきったセリフをいわせたいときの、彼女の有無をいわさぬ瞳だ。ぼくも、負けじと口角をあげる。

「ぼくのすきな魚は、知ってるでしょ?」

「サーモンね?」

 ふふっ、と彼女が笑う。

「サーモンで、いいのかな? 水族館からきみを連れ出して、ぼくが食べてしまうよ」

「いいよ~」

 へらり、と笑って、彼女は立ちあがった。彼女が、ぼくの手をぎゅっとつかんで、出口のほうへと引いた。

「さっそく、ホームセンターに行って、網を買いに行こうよ!」

「網で捕まえられるの? それじゃあ、エサは何がいいかな?」

「ハーブスのミルクレープ! いや、サーティワンのポッピングシャワー!」

「水のなかで、溶けちゃうよ!」

 平日の水族館は、人が少ない。水槽のなかの魚たちも、自分たちの世界の温度のなか、ゆうゆうと泳ぎ続けている。永遠におわらない、水の世界の果てまで泳ぎ続けるように、ぼくたちは手を繋ぎ、ふたりでいっしょに走り出した。お互いの同じ温度を感じながら。

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