メロンパンと海までの道
@MelonPanme
第1話 朝市と焼き魚の香り
朝日が小さな窓から差し込み、漂う埃の粒が金色に輝いていた。
光は木の床を斜めに照らし、ガラスのショーケースの中に並ぶパンたちの上に降り注ぐ。
小麦とバター、そして砂糖の甘い香りが、店の奥まで満ちていた。
その中に――ひときわ丸く、淡い黄金色に輝く存在があった。
表面には丁寧な格子模様。まるで職人の手仕事をそのまま封じ込めたかのようだ。
彼の名はメロンパン。
花見ベーカリーの店主、花見おばあさんが焼き上げたその姿は、見る者を思わず笑顔にさせる完璧さを持っていた。
だが、彼の胸には密かな夢があった。
――一度でいい、自分の目で海を見てみたい。
店の外から聞こえてくる潮風の音、遠くで鳴くカモメの声。
そのたびに胸の奥で何かがざわめき、外の世界への憧れが強くなる。
そして今朝も、潮の香りを含んだ風がカーテンを揺らした。
おばあさんが焼きたてのパンを持って奥へ引っ込み、ドアが風で少しだけ開く。
そこから差し込む外の光は、まるで誘うように輝いていた。
今しかない。
メロンパンはショーケースからころんと転がり落ち、木のテーブルの脚をかすめるように床へ着地した。
誰も気づかない。
布のかかったバスケットの影をすり抜け、敷居を越えて――外の世界へ。
⸻
外気は店内とはまるで違っていた。
甘い香りの代わりに、塩と炭火の匂いが鼻をくすぐる。
石畳の道の両側には木造の家が並び、軒先には干物や野菜が吊るされている。
遠くから聞こえる波の音に混じって、人々の笑い声や威勢のいい掛け声が響く。
道を進むと、視界は一気に開け、そこは朝市だった。
青々とした野菜、色とりどりの花、山積みの果物。
そして――炭火で焼かれるサバの香ばしい匂い。
じゅうっと脂が落ちる音が、メロンパンの心をくすぐった。
しかし、背後から突然声が飛んできた。
「お母さん! パンのボールが走ってる!」
振り返ると、小さな男の子が目を輝かせてこちらへ駆けてくる。
メロンパンはあわてて転がり出した。
左へ、右へ、人の足をすり抜け、買い物かごをよける。
心臓が太鼓のように打ち鳴らされる。
狭い路地に飛び込み、古びた木のテーブルの下へ潜り込むと、男の子の足音は次第に遠ざかっていった。
どうやら母親に呼び戻されたらしい。
ほっと息をつく。――危なかった。
⸻
空が少しずつ曇り、風が冷たくなる。
遠くで雷鳴が低く響き、人々は手際よく屋台の布を下ろし始めた。
生臭さと混ざった雨の匂いが鼻をかすめる。
雨粒がぽつり、ぽつりと落ち始めたころ、メロンパンは小さなパン屋台の下に避難した。
籐のバスケットにもたれた瞬間、柔らかな声がした。
「やあ、見ない顔だね」
振り向くと、そこには丸くてふっくらしたアンパンが座っていた。
香ばしい生地と甘いあんこの香りがほのかに漂う。
「旅の途中なんだ。海を見に行きたくて」
「海? 大きくて果てしなくて……ちょっと怖いけど、きっときれいなんだろうね」
雨音が屋台の布を叩く。
ぽつ、ぽつ、ぽつ……やがてリズムを刻むように強くなっていく。
短い会話だったが、その温もりが胸に残った。
雨がやむと、メロンパンはアンパンに別れを告げ、再び転がり出した。
⸻
石畳には雨水が小川のように流れ始めていた。
ところどころにできた溝が急な下り坂になっており、水の勢いに乗れば一気に流されそうだ。
「やばい!」
気づいた時には遅く、水流がメロンパンを押し流し始めていた。
前方には市場の端の排水溝――その先は小さな運河につながっている。
必死で身体を傾け、横に逸れる。
最後の力を振り絞って近くの魚かごにぶつかり、なんとか止まった。
「おや、パン?」と魚屋の女性が目を丸くしたが、メロンパンはすぐにその場を離れた。
⸻
雨上がりの空に陽光が差し込み、濡れた石畳が輝き出す。
野菜は色鮮やかさを増し、花は水滴をまとって美しく咲いていた。
そして――また、あの焼き魚の香りが漂ってくる。
メロンパンは香りに誘われながらも、立ち止まり、深く息を吸った。
これはまだ旅の始まり。
遠くの海は、確かに自分を呼んでいる――そう信じて。
メロンパンと海までの道 @MelonPanme
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