第2話 この美少女も大学デビューらしい。ほんとか……?
きっと、幸せとは今のことを言うのだろう。
クッションに座るのは、薄茶の髪を纏う少女。若干濡れた毛先と、肩を乾かすように仰ぐ手は小さく、桜のマニキュアがよく目立つ。
さすがの4月とはいえ、雨に濡れてしまえば肌寒くなる。
(よし、暖房つけよう)
リモコンに向かって手を伸ばしてやれば……目の前でその姿が消えた。
理由なんて単純。僕の気遣いなんてよそに、勝手に完璧美少女が暖房をつけてしまったのだから。
「さっむ〜」なんて、まるで自分の家であるかのようにくつろぎながら。
「そっすね。寒いっすね」
もちろん、
彼女が我家を訪れたのは、いわば当然とも言えよう。
実際に言葉を聞いたわけではないが、僕の有無も言わずに家に上がり込んだのを見るに『髪が濡れたからちょっと休ませて?』と言いたかったのだと思う。
僕にはよくわかる。女性経験が……ないけど、僕にはよくわかる!
なんたって、目の前に居るのはこの美少女!コロコロと表情を変えるその姿は可愛い以外のなにものでもなく、男側からすれば察しやすいと言ったらありゃしない!!
「ヌフフ」なんて気持ちの悪い笑みを零しながら、木の板が目立つ地面に腰を下ろした。
「今日のご飯はなににするの〜?」
「適当に出前頼もうかなって思ってる」
「え!出前!?私ワクドナルドがいい〜!」
「ワクドナルド?この近くあったかな」
なんて紡ぎながら取り出したスマホで出前サイトをスライドする。
最近は節約も兼ねて自炊することも多かったのだが、こんな雨だ。スーパーに行く元気もないし、久しぶりのワクドナルドも良いというものだ。
(……まぁ、こんな雨の中配達してくれる人がいなかったら元も子もないけど)
苦笑混じりにそんな言葉を頭に思い浮かべていれば、不意に隣から細い指先が伸びてきた。
「あっ!あったよ!」
「ん、ほんとだ。なんにしよっかな」
僕よりも先に画面をタップした彼女は、まるで自分のことかのように商品を考え始めた。
ワクドナルドで注文する固定メニューはこれといって決まってない。
その日の気分で決めることがほとんどなのだが、せっかくだから超絶美人のこの子に決めてもらおうかな?
高揚感を胸の中に秘めながら、彼女の言葉を待った。
そうして数秒が経ったとき、「これにしよ〜」なんていう陽気な言葉が耳に届いた。
「ん、どれ?」
尋ね返しながら、僕は彼女との距離を縮めた。それこそ、若干濡れた肩にぶつかってしまいそうな距離感で。
べつにやましい気持ちなんて微塵もない。逆に僕は被害者だとすら思っている。
先に近づいてきたのは、なにを隠そうこの彼女。
じゃあべつに、僕からも近づいていいよな?
(……もっと、近づいても……いいよな……?)
ピクつく鼻の穴は、自ずと彼女の横顔を眺めていた。
荒くなる息なんて何のその。僕は、1人のオスとして、彼女のことを見てしまっていた。
ゆっくりと。ゆっくりと、肩の距離を縮める。
無駄な抵抗だとはわかっているが、極力自分の行動がバレないように。
「忍者肉厚ビーフバーガー!」
「――ヒェッ!?」
情けない声が部屋どころか、アパート中に響き渡った。
理由なんて、ひとつしかないだろう。
僕からくっつけようとしていた肩が……いや、胸が……。服越しからでもわかるほどのとんでもなくデカくて大きくて巨大な巨乳が勢い良く僕の腕を包みこんだのだから。
はにかみ笑顔が僕を見上げる。若干赤くなった顔は、恥じらいを表しているのだろうか。
ギューッと僕の腕に力を込める彼女がなにをしたいのか。僕は、わかってしまった。
「ゴ!ゴムは買いに――!」
「――私は忍者肉厚ビーフバーガーだからね!」
「……ん?」
言葉に釣られるように、僕の視線は彼女の口元へと移動した。
そうして垣間見えるのは、唇の端から零れ落ちそうになる透明のよだれ。雨音を押しのけるように聞こえてくるのは、これみよがしのお腹の虫の声。
そして、恥ずかしそうに頬を赤くした彼女。
一瞬の静寂が僕の部屋を包み込む。
みるみるうちに赤くなるその耳はふいっと逸らされ、続くように僕は静寂を切り裂いた。
「…………僕に抱きついたのってお腹の音を隠すためっすか?」
「まぁ……?実はそうでもあるかな……?」
「スゥゥ……」
パチンッとおでこの叩く音が部屋いっぱいに響き渡った。
それは煩悩を払いのけるためでもあるし、期待してしまった自分への仕打ち。
もちろん、そんな僕の煩悩なんて知る由もない彼女は赤くした顔をそのままに、小さく紡いだ。
「べ、べつに泊まらせてくれたらそういうことも……してあげるよ……?」
細い指先によって捲られた裾は、真っ白のおへそを露わにする。
ちゃんと食べているのか心配になってしまうほどのくびれたお腹は綺麗で、国宝として称えてもいいほどの絶景。
あまりの光景に呼吸の仕方すら忘れてしまった僕は――
「ゴホッ!ゴホッゴホッ……!」
「え大丈夫!?」
「大丈……夫……」
突然の『してあげてもいいよ』宣告を受けてむせない男なんているだろうか?いやまぁ、経験豊富の男ならむせないんだろうが、あいにく僕は未経験の未熟者。
とんでもない美少女にそういうこと……つまりはエッチをしてあげると言われているんだ。
動揺のひとつも見せるし、期待のひとつも見せる。……が、ひとつだけ確認しなければならないことがある。
撫でられる背中に身を委ねながらも、呼吸を整えた僕は彼女の大きな目を見つめながら紡いだ。
「いきなりうちに泊まってもいいの?君が一人暮らしだったら良いんだけど、実家ぐらしだったら親御さん心配するくない?」
「それは大丈夫!もうすでに連絡入れておいたから!」
先程までの照れた顔はどこに行ったのやら。
Vサインを披露する彼女は、ポケットから取り出したスマホに母親らしき相手とのトーク画面を見せつけた。
ほんとにいつ連絡したんだ?と疑問に思ってしまうほどにスマホをいじっていなかったと思うんだが……確かに相手の吹き出しには【気を付けてね〜】の一言が残されていた。
疑念が残る彼女の行動だが、決定的な証拠がある今、むやみに帰らせることもできな――
【あ、でも男の子の家ならダメだから。その辺はよろしくね】
スポッという心地の良い音とともに現れたのは、そんな文章だった。
未だに胸を張り上げる彼女の姿を見るに、こうなることは想定外だったのだろう。
小さなため息を吐き出した僕には、もうすでに”興奮”という2文字なんて存在しなかった。
これは童貞だからか。それとも、僕が真摯で相手の母親のことを考えられる心の広い存在だからか。
自分の中では後者だと思うが、世間一般的に見れば前者になるのだろう。
そんな周りの意見などお構い無しに、我が道を行く僕は、腰を上げながら口を開いた。
「帰ろっか」
「んぇ?」
ポカンと開かれた口はなんとも情けないというのに、それすらも様になっているのはこの整った顔があるからだろう。
願わくば、こんな可愛い女性を手放すことなんてしたくはない。が、お母様の命令と来た。
真摯である僕は、お母様を裏切るような真似は絶ッ対にしない。
未だに僕の腕を掴む彼女を勢いよく立ち上がらせる。
相変わらずの可愛らしい顔は、きっと先程までの僕なら鼻息を荒くしていたのだろう。
「あなたの名前は知らないけど、家まで送ってきてくれてありがとうね?楽しかったよ」
半ば強引に腕を引っ張ると、摩擦を軽減する靴下が彼女の体をスライドさせる。
「ワ、ワクドナルド!ワクドナルド食べよ!私は忍者肉厚ビーフバーガーがいい!」
「さっきはツッコミそびれたけど、君のは買わないよ?というか買う前提で話してた……?」
「当たり前じゃん!今日はここで泊まるんだから!」
「いやいや……。お母さんに異性の家で泊まるなって言われてるだろ……」
「そんな馬鹿な……!!」
慌てて電源の落ちていたスマホに顔を覗かせる
ほんの少し前までは赤かった顔だが、今ではみるみるうちに青ざめていく。
言われてみれば、僕が強引に追い出すよりも先にスマホの画面を見せておけば話が早かった。
これから同じ経験をすることはないだろうが、ひとつの学びとして頭に入れておこう。
学びを得た僕とはべつに、伏せた眉根が目立つ名も知らない美少女が上目遣いを披露した。
「だ、男子じゃないって言って泊まらせて……?」
先程までとは違って弱々しい声が耳に入ってくる。
それほどまでにうちに泊まりたいという解釈で良いんだろうが、嘘をついてまで泊まらせるほどの義理はこの少女には存在しない。
「拒否」
強い意思を見せつけるように、冷淡な言葉と共に首を振ってやる。
きっと、世間一般的に見れば僕はノリの悪い面白くない男子として謳われるのだろう。
べつに男友達だったら嘘をついてまでもうちに泊めさせてあげてもよかったのだが、彼女は言ってしまったんだよな。
『泊まらせてくれるならそういうこともやらせてあげるよ』って。
あの時は頭に血が上っていて懸命な判断ができなかったけど、普通に考えたら好きな人に童貞を捨てるのが当たり前だよな。僕は別にこの人のことを好きじゃない。
なんなら彼女作る……いや、結婚相手を探すために大学に来たまであるし。
「そんなわけだから断固として拒否」
まさか僕に2度も『拒否』と言われると思っていなかったのだろう。目をかっぴらいた彼女は勢いよく僕の足に抱きついた。
「ねぇお願い!!泊まらせて!!!」
瞬きひとつとしてしていないから乾燥したのか、はたまた泣いてしまうほどに帰りたくない家なのか。
ここまで拒否し続けた僕だったけど、もし後者とするのならば無理に帰すわけには行かない。
もしかしたら虐待にもなる最悪なことが起こりうる可能性だってある。
小さな頷きを見せた僕は引き離そうとした手を止め、子供に話しかけるように腰をかがめてやった。
「家に帰りたくない理由ぐらいは聞いてやる」
あくまでも上から目線なのは、この美少女が何を考えているかわからないから。
動物だろうが人間だろうが、大抵のことは強気で望めば相手が怯む。それはよく噛む犬で立証済みだからこのソースには信頼が――
「上から目線なの鼻につく。あと虐待とかを想像してるなら答えてあげるけど、私の家庭はとんでもなく幸せよ?」
「……ソースを見合わせる必要があるな」
どうやら人によっては怯むどころか、強気が返ってくるだけらしい。
良い資料が手に入ったと言われればそれまでだが、幸せな家庭なのならなぜそこまでして帰りたくないのだろう。
ぽつんと浮かび上がる疑問に首を傾げていれば、すっかり涙を引っ込めた彼女が尖らせた唇で紡ぐ。
「…………電車がないの」
「電車?」
あっという間に過ぎ去る春風のように、一瞬で消えた言葉を反芻する。
さすれば、コクっと小さな頷きが返された。
「……私の家、岡山にある……」
「あーそういう?」
思い出すのは大学で
とんでもない大雨のせいで電車が無くなって傘もなくてカッパもなくて家まで送れと言ってきた馬鹿らしい会話。
だがその会話があったからこそ、この少女の言わんとすることが理解できた。
「帰りの電車無くなったか?」
膝に頬杖を付きながら紡ぐ僕の言葉に、またもや小さく頷く美少女はまるで大学生の面影もない。
「なるほどな……。だから是が非でも泊まらせてくれ、と……」
「ふむ……」と頷く僕とは別に、演技なのか心の底からなのかもわからない涙を浮かべた少女は、勢いよく顔を上げた。
「だからお願い!泊まらせて!!」
「てかべつに僕の家じゃなくてもいいよな……?というか僕男だし。他の友達の家泊まれば?女子でも男子でも」
「ウグッ……!!」
まるでスナイパーにでも打たれたかのように、途端に胸を抑える少女はぐでーっと絨毯いっぱいに伸びる。
一体どの言葉が彼女にとどめを刺したのか。そんな疑念を抱くよりも前に、正解が小さく零れ落ちた。
「……友達がいない」
「嘘つけ。どこでも誰かと話してるだろ」
当たり前のように即答を返す。
なんたって、この人はどこに行っても目立つ顔をしている。現に、まともに話したことがない僕ですら認知してしまっているのだから。
教室のど真ん中で、大声を発しながら誰かと会話をしていることを。
けれど、帰ってくるのはこれみよがしの首振り。それどころか、開き直ったかのように大きく目をかっぴらいて紡ぎ始めた。
「あの人たちはなんか私によってたかって騒いでる陽キャの人たちなの!!私は微塵も騒いでない……というか一言も発してないんだよ!?勝手に放課後の予定組まれるし勝手に話が進むし勝手に私の友達認定されるし!!私は生粋の陰キャなの!!大学デビューした陰キャなの!!!勘違いしないでくれる!?!?」
「ワーキイテナイトコロマデハナシテクレテアリガトウ」
遠い目をする僕とは違い、熱烈に更に言葉を続ける彼女。
だが当たり前のように聴覚を遮断させた僕は、意味もなく彼女の薄茶色の髪を眺める。
一見すればカタコトで興味がなさそうに見える返しだったと思えるだろう。というか興味が無い。
そんなことにも気づきもせずに話し続けるこの人の頭の中は、きっとお花畑だ。
けど興味が無いとは言っても、ひとつ突っかかっていることがあった。
「大学デビューがこんな可愛いことあるか……?」
これだけ可愛いのならば高校でも目立っていたはず。見ず知らずの男に話しかけれるほどのコミュ力があるのだから、これまでにも相当な友達がいたはず。
こいつが僕と同じ部類のはずがない。
わかりやすく訝しげな顔を浮かべる僕に、鋭い睨みを浮かべる彼女は――やっと僕の言葉を理解したのか、刹那に頬を赤くさせた。
「か、可愛い!?そ、え、えへへ……。や、やだなぁもぉ〜」
ミミズのようにくねくねと身をねじる彼女は正直に言って気持ち悪い部類に入るだろう。
可愛らしい顔がもったいないと言いたいところだが、今はこの少女をどうやって帰らせようかという話。
「お世辞がお上手なんだから〜!もぉ〜!」
パシパシっと太ももを叩いてくるこいつはそんなにも嬉しかったのだろう。
冷ややかな視線を送り続ける僕だったが、小さなため息とともに判決がまとまった。
「行く当てないんだろ?」
「ふぇ?あ、え?あ、うん!ない!ここ以外に行く当てない!!」
ブンブンと縦に振り回す顔は、自分を正気に戻すためだと思う。
現に、彼女の頬は赤いものの、まともにコミュニケーションが取れるほどには回復を遂げているのだから。
「わかった」
小さく頷く僕は、正確な判決を下すために理性をコンクリートで固める。
あくまでも、僕は人助けのために美少女をこの部屋に泊める。そういうやましいことは、好きなことするって決めたんだ。好きな人以外とは絶対にしない!
グッと力こぶを作った僕は、目を閉じながら言葉を続けてやった。
「今日だけだぞ。同じ大学デビューのよしみ……というか、情で泊まらせてあげるだけだからな?」
「ほんと!?やった!!本日はよろしくお願いします!!!」
やっと掴んでいた足を話してくれた彼女は、戦国時代でも通用しそうな深々とした土下座を披露。
僕が苦笑を浮かべていることなんて微塵も見えていないのだろう。けど、わかる。この少女がこれみよがしに口角を上げていることを。
「そういえば自己紹介忘れてたね!私、岡山県出身の
「……自己紹介もまともにしてないやつの部屋に泊まろうとしてたんかよ……?」
「いいのいいの!それで君の名前は?」
お泊りというイベントに胸を高鳴らせているのか、それとも単にそういう人なのか。
キラキラと輝かせた瞳を突き刺してくる彼女に引き攣った頬が治らない僕は、渋々ながらも自己紹介を始めた。
「
「んー……まぁ、面白くない自己紹介をありがとう」
「自己紹介に面白さを求めんな……!」
一瞬にして光を失った瞳は明後日の方向へと向き、僕の名前を覚えたのかどうかも曖昧。
けど最低限の情報を共有した僕達は、もうすでに”お友達”なのだろう。
そんなお友達と、今日は一夜を過ごす。もちろん何もしないし、何もするつもりはない。
――この時の僕の気の許しが、今後のこの部屋の運命を地獄にしてしまった。
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