第3話 オリオン書店
賑やかな街の中を、小さな馬車が通る。
リッカはじっと、窓の外にある街の様子を見ていた。街の彼方此方では子供たちが走り回り、その笑顔は絶えることを知らない。
「リッカちゃん、ステラは初めてだっけ?」
その一言で、窓の外へ向いていたリッカの意識が引き戻される。正面にはオリオン書店の店主であり、ソフィアの知人であるマルスが座っていた。
「はい。とても、賑やかですね」
「そりゃあ、ステラはカエルム国の首都だからね。流石に栄えているよ」
リッカの言葉に、マルスは微笑を漏らす。窓の外には、森に暮らしていたらまず見ることは出来ない、色取り取りの建造物が流れていた。
「…先生も来たら良かったのに」
リッカは小言を漏らす。膝の上で丸くなっている黒猫は、そんな仮主人の様子を不思議そうに眺めていた。
「はは、ソフィアは喧噪が苦手だからなぁ」
遡ること数時間前―――。
「実は、最近ウチで取り扱ってる本の在庫数が合わなくてね… 断定は出来ないけど、俺は万引きを疑ってるんだ」
マルスの話に、ソフィアとリッカは静かに耳を傾けていた。最も、傾けているのは“耳のみ”で、ソフィアは机に魔導書を数冊広げて熟読し、リッカはマルスが手土産に持って来たステラの名産菓子を手に持っている。
「でもね… 監視は強化しているつもりなんだけど、そんなことをしている素振りが無いんだ。正直、もうお手上げ状態でね。とはいえこのままの状態が続けば、ウチは赤字になってしまう。そこで、ソフィアにご意見願おうと思ったんだ」
机上の小さな水晶玉が、青く鈍く光る。
「……成程。つまり魔法の悪用による万引きを疑っている訳ですか」
ソフィアは魔導書から目を離すことなく、マルスの言葉に反応する。
「…“魔法”とは、そもそもそれに見合った素質が無いと、扱うことはほぼ不可能です。基本的に普通の人間は、一部の例外を除いて魔法を身に着けることは愚か、そもそも魔導書の文字が読めませんから。そもそも魔法という存在を知るのも難しい、という話です」
「つまり先生は、魔法の悪用が原因では無いと?」
「その通り。しかしそれを考慮しなくても、可能性は低いでしょう」
「え、何でですか?」
リッカのその一言に、ソフィアは溜め息を吐いた。
「やれやれ… 錬金術のみであれば私を凌駕する知識と技量を持ち合わせているというのに、どうしてこうも魔法知識に疎いのか…」
「ご、ごめんなさい…」
「……魔法を扱うことが出来る素質があっても、魔法を習得し、完璧にマスターするのはどんな才能の持ち主であっても至難の業ですからね。一朝一夕で出来るものではありません。そんな苦労をしてまで、態々書店の本を万引きする人間の気が知れません」
そう言って、ソフィアは魔導書の一冊をパタリと閉じた。
「そうなると、やっぱりステラに来て貰うしか無いんだけど」
「嫌です。何故あのような喧騒が絶えないところへ、態々出向かなければならないのですか」
「だよなぁ…」
「……ステラ…」
リッカは目を輝かせる。ソフィアは即却下してしまったが、リッカは密かに憧れていた。リッカはソフィアに拾われて以来ずっと森の中に暮らしている為、ステラは愚か森の外に出たことが無い。
そうして目を輝かせるリッカを見て、ソフィアは目を伏せる。
「…仕方がありませんね。リッカ、行って来なさい」
「えぇ!?わた、私ですか…!?」
リッカは驚いた。ソフィアは魔法関連で、リッカを使いに出すことは殆ど無い。リッカの魔法知識が無に等しいため、それによって間違いがあっては困るからである。
「何を驚くのですか。毎日のように『ステラに行ってみたい』と言っていたでしょう。良い機会です、少し外の世界を見て来なさい」
出不精の私の元に居ては、なかなか外に出られませんからね。その一言を、ソフィアは飲み込んだ。過去にこれを口に出し、リッカに嫌というほど怒られたからである。
「で、でも… そ、そうだ、服!私、余所行きの服を持っていません!」
苦し紛れに訴えると、ソフィアは少し考えた後に部屋を出ていく。目を見合わせて首を傾げるリッカとマルス。
暫くして、ソフィアはどこからか大きめの木箱を持って来た。蓋を開けると、中には数十着の衣服が収納されている。
「あの、これは…?」
恐る恐るリッカが訊ねる。数十着とあるこの衣服達、生地やアクセサリーなどを見るだけで、ただの衣服では無いことが分かる。
「中古品です。もう着ることも無いでしょうし、良ければ差し上げます」
何着かは、少し詰めましょうか。採寸が必要ですね。ソフィアはなんてこと無いように告げた。現在ソフィアが身に着けている黒いワンピースも、相当な高級品である。リッカは「ひぇ…」と情けない声を出してしまった。
――――――そして、現在に至る。
「もうそろそろ着くよ」
気付けば馬車は速度を落とし始め、ゆっくりと景色が静止していく。もう暫くすると馬車は止まり、マルスが先に降りた。
「気を付けてね」
そう言って差し出されたマルスの手を借りて馬車から降りると、どこからか焼き立てのパンの香りが漂って来る。書店の隣には、小さいけれど繁盛しているパン屋――【エミリー・ガーデン】があった。
そして…
「………おっきい…」
リッカの正面にあるのは、とても大きな建造物である。赤煉瓦調の壁に掛けられた木製の看板には【オリオン書店】の文字。扉には、マルスが身に着けているラペルピンのマークと同じものが刻印されている。
「ステラ一番の大規模書店だからね」
「ようこそ、オリオン書店へ。歓迎するよ、リッカちゃん」
そう言って、マルスは笑顔でリッカを招き入れる。
開かれた書店の扉を潜り、歩を進めるリッカ。
後に続く黒猫の翡翠の瞳が、ギラリと光ったような気がした。
引きこもり魔女の日常 くらげ @haruka-2025-0730
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