塔の頂には、天願桃が在る
パンノミミ
「塔の頂には、天願桃が在る」
━━━━━━━━━━━━━━━
━━━━━━━━━━━━━━━
ピー、ピー
鳥がないている声が聞こえます。
その鳥の向かった先にある、この村……ひいては、この世界の中心にそびえ立つ塔が、
雲を突きぬけて堂々とした佇まいでまだ幼いわたしを見下ろしていて、それが幼いわたしの好奇心を刺激したようでした。
「じっちゃん、じっちゃん。あの塔はなぁに?」
じっちゃんは特にまずいことを聞かれたと狼狽えることもなく、淡々と幼い子どもの質問に答えました。
「あの塔……あの塔はなぁ、そうだそうだ、あの塔は…」
「───あの塔の頂には、天願桃が在る」
━━━━━━━━━━━━━━━
「なぁ、あそこ行こうぜ」
幼馴染の砂人はさも当然のようにそんなことを言ってのけました。
そのことがあまりにも衝撃で、わたしは目を丸くしました。
しばらく口が開けませんでしたが、聞き間違いしたと思い、その間違いを正すために固まっている口を動かしました。
「砂ちゃん、砂ちゃんが指してるところにはあの塔しかないよ」
「その塔に行くんだよ」
聞き間違いでは無かったようです。
そのとき、わたしにはある使命感が芽生えました。
この幼馴染をどうにか説得しなければいけないという使命があると。
「忘れたの砂ちゃん、あの塔にはもう何百人と大人が入ったよ。えらい人の軍も入ったよ。でもみんな帰ってこないから、誰も入らなくなったんだよ」
「知ってるよ。おまえの母さんも父さんも…あと何年か前にじいさんも居なくなったしな」
「じっちゃんは違うよ。じっちゃんは塔に入ったんじゃなくて、この村を離れて遠いところに行ったんだよ」
「なんだそれ、初めて聞いたぞ」
「言ってないからね」
「それよりも、考え直そうよ。それが分かってるなら行く必要もないじゃない」
「だから行くんだよ。おれもおまえも身寄りがないだろ、あの塔の頂まで登って、帰ってきて、"おくまんちょうじゃ"になるんだ」
わたしは聞いたこともない単語に首をかしげます。
「"おくまんちょうじゃ"になったらどうなるの?」
この質問に、砂人は待ってましたと言わんばかりに語り出しました。
「いっぱいお肉が食べれるだろ、それに今は仕事してるけど、それをしなくってもおれたちずっと遊べるようになる!」
それは確かに魅力的で、今わたしたちが手にもできない自由でした。
「行こうぜ!あの塔に!」
砂人の手は力強くて、わたしなんてすぐ引っ張られました。
抵抗すればいい話だけれど、わたし自身行きたいという思いが芽生えていたので、ついて行くことにしました。
「いいか?開けてもいいよな…」
「どうしてそんなに確認するの、開けちゃえばいいじゃない」
わたしは見た目に反してそこまで重くない扉を力いっぱい引きました。
「おい!こういうのは心の準備ってやつがな……はぁ、」
やっと決心がついたのか、砂人はわたしより前に来て中に入ります。
塔の中は想像よりも暗く、どこが壁か分かりませんでした。
わたしは離れないように砂人の袖をつかみ、慎重に、慎重に歩み進めていきます。
あるところで、突然明かりがつきました。
眩しさでわたしは目をつぶってしまいます。一気に開くと痛いので、少しずつ光に慣れながら開いていくとそこには異様な光景が広がっていました。
「うわっ、骨だ!」
砂人も気づいたらしいです。なんと床には至るところに骨がたくさんありました。
数えられないけど、百個くらいはあるような気がします。
本で見たことがあります。あれらは"がいこつ"というやつでした。
つまり、ここでたくさんの人が死んでいるのです。
奥には階段がありますが、この中の誰もたどり着けなかった。なんてこと、あるのでしょうか。
「まだ一階なのにこれか……この人たちはなんで死んだんだ?」
砂人の疑問はもっともだと思います。
この光景はもちろん腰を抜かして死んでしまうほど"しょっきんぐ"な光景ではあるけど、死ぬほど危ないものがあるかというと、ありませんから。
「や、やっぱり帰ろうよ砂ちゃん」
「ばか!まだ入ったばっかりじゃないか、こっからだろ」
「それにここは怖いだけじゃないか。ほら、もう階段についた」
これを見てもまだ進もうと思える砂人の勇気に、わたしは素直にすごいと思いました。
パン!
わたしもがんばらなきゃ!と手で頬をたたきます。
「なにしてんだ?」
「勇気がでる魔法だよ。わたし行けるよ、進もう?」
「…あぁ」
砂人の返事はどうも不満があるように思ったけど、わたしは優しいので追求はしないでおきました。
一階があの有り様だったので、この先はもっとひどいのだろうと、わたしも砂人も考えていましたが、
二階以降は驚くことにほとんど"がいこつ"はありませんでしたし、特に何も無く進むことができました。
「もう五十階だよ、砂ちゃん!」
「よく数えてんな……おれは二十階で数えるのやめたぞ」
「…けど、この調子なら頂まで行くのも夢じゃないんじゃないか……」
そう呟くと、砂人は自信がついたようで疲れもふきとんだようでした。
いつもの調子で砂人が先に進み、その後をわたしがついて行きますが、────ここでわたしがひざをついてしまいました。
砂人はわたしの足音が聞こえなくなったことを不思議に思ったのか、振り返って気づいてくれました。
「どうした?」
「砂ちゃぁん……わたしもうだめだよ」
「け、怪我でもしたのか?」
「病気かも……」
「病気!??熱があるのか…?」
そんなことを言う砂人の顔はいつになく心配に滲んで、優しい顔でした。
「違うよ!お腹がぐるぐる言うの!」
それを聞いた砂人は、さっきの心配をしていた顔とは打って変わって冷めた顔になってしまいました。
「なんだそんなことか……」
「早く言え」と砂人は用意していたパンをわたしに渡してくれました。その通り、こんなこと早く言えばよかったです。
少し硬くなっているパンをはむはむと頬張りながら、ふとじっちゃんの言葉を思い出しました。
『塔の頂には、天願桃が在る』
「天願桃……」
「は?」
「この塔のてっぺんには天願桃があるって、じっちゃんが言ってた。そのときは食べてみたいなぁって思ってたけど…」
「結局、なんだったのかな」
「天願桃って、そりゃ……」
砂人はそこで言い淀んだようでした。
「?知ってるの?」
「おまえは知らないのか?」
「知らないよ、そんな桃聞いたことないもん」
砂人は少し考える素振りを見せてから、立ち上がりました。
「砂ちゃん?」
「…もうパンも食べただろ。次だ、次」
砂人は天願桃が何なのかを教えてはくれない様子でした。
不思議に思いながらも、わたしは急いで足早に先を行く砂人について行きました。
余談ですが、不思議なことに、前まではまばらにあった"がいこつ"はそれ以降見かけることもありませんでした。
「なぁ、今何階だ?」
階段をのぼりながら砂人はそうわたしに聞いてきました。
「次で79階だよ」
さっきのやり取りからわたしがしっかりと階を数えていると思っていたようです。
たしかに、わたしは階数を一つずつ数え、覚えていました。
「さくさく進みすぎて逆にこえぇな」
「何にもなくてよかったでしょ」
「それはそうだけど、そうじゃなくてだな……」
「?変なの」
いつも通り、階段を目指して進みましたが、ここでわたしたちは異変に気づきました。
「な、なんでだ?」
階段の前に扉があったのです。しかも、何度砂人が押しても開きませんし、鍵口も無いようです。
「行き止まりか…?くそっ!」
砂人はイラつきから扉を勢いよく蹴りますが、ビクともしません。
「どうにか出来ないのか…?」
八十階手前まで来て、ここで止まってしまう悔しさはわたしも身に感じました。
ですが、わたしにはそれ以上に安堵感を感じていました。
────ここで止まれば、砂人はあの"がいこつ"のようにならないかもしれない。
そんな、思考が浮かんでいたのです。
「砂ちゃん、もう帰ろう。まだ引き返せるよ」
「ダメだ!この扉をけやぶってでも進む!」
今まで砂人から感じたこともないほど気迫に、怖気づきましたが負けじとわたしも言い返しました。
「砂ちゃんは、なんでそんなに進みたいの?"おくまんちょうじゃ"は確かにすごいけど、死んじゃったら元も子もないよ」
わたしの言葉を聞いて、砂人は黙り込んでしまいました。けど、砂人は頭がかちかちなので、ここで引き下がるはずがありません。
砂人の腕を掴んで、のぼってきた階段に歩みを進めます。
砂ちゃんを連れて村に帰ろう。
わたしはそんな思いで、塔への興味はほとんど薄れていました……?
違う。そんな理由じゃなかった。
「……違う、俺は死んででも桃を探しに来たんだ」
「え…?」
わたしは驚いていました。二つのことにです。
一つは砂人がわたしのうでをふりほどいて発した言葉に対して、もう一つはわたしのおかしなあたまに対してです。
「"おくまんちょうじゃ"になりたいからじゃないの…?」
「塔のてっぺん行って帰ったところでお金なんか貰えるわけないだろ。…桃は億万長者なんかにつり合わない」
どうやらわたしは思い違いをしていたようでした。
"おくまんちょうじゃ"なんか、と言ってしまえるほどの天願桃とは一体何なのでしょう。
考えることがそこではないことは分かっていました。
そうでもして桃を探したい理由は?
どうして今まで黙っていたの?
わたしはどうして自分の気持ちを否定したの?
どうも、頭の中はハテナばっかりです。
そのハテナもどんどんわたしの中でもやもやに変わっていきます。
「そ、そんなに天願桃を探したいなら、大人を呼んでこようよ。みんな協力してくれるはずだよ」
「無駄なんだよ、ここに来る前にみんな死ぬ」
「なんでそんなこと」
「気づいただろ!?五十階まであった骸骨が見つからないようになったこと!今まで来た人たちは五十階までに死んでんだよ!」
ハッとしました。
五十階から"がいこつ"を見かけなかったのは、そこまでにみんな死んでしまったからです。
なら、どうしてわたしたちはここまで来れたのでしょう。
ハテナが解決すればハテナが増えていく……生きてるころのお母さんが好きだった"みすてりー小せつ"みたいです。
「でももう進めないよ!ずっとここにいるの!?」
「俺は進めない」
「でしょ!?だから…」
「でもお前は進めるだろ」
「はっ…?」
このとき、わたしが呆気にとられたのは決して砂人の発言に対してではありません。
進める進めないということよりも、視界に映る光景が頭の十割を占めていました。
「な、どうしたの…それ」
砂人の足から黒く侵食しているものがありました。
黒くなった部分は、異形の姿になったあと、黒い砂のように崩れる。
まさに気持ち悪いというべき姿でした。
「……俺、もう行けねぇ。ここで終わりみたいだ」
「な、なんで?なにそれ、ぁ、……もうやだよ帰ろうよぉ……」
砂人の体はどんどん崩壊していくのに、わたしは恐怖で動けすらしませんでした。
いつの間にか、感情が込み上げて目から流れだすものもありました。
砂人はもう声を出せないようでした。必死に口をパクパクさせて、何かを言おうとしています。
「なに……わかんないよ…」
黒いものは止まる間もなく進行していき……
────やがて骨だけを残してあっという間に崩れ落ちました。
これは、わたしたちが見てきた"がいこつ"です。それら一つ一つと、同じものなのです。
そんなこと、理解したくない。分からない。
わたしの心に、また、一つのツララが刺さっていくようでした。
あのとき、塔に行こうと言う砂ちゃんを無理やりにでも止めれば良かった。
あのとき、そうしていれば、きっとわたしたちは苦労してでも幸せに暮らせたはずだった。
夢のような話なんてないんだ。あるのは、残酷な現実だけだった。
「砂ちゃん、そんなになってまで、探したかったものは、なんだったの…?」
もう、後には引けません。
わたしには家族も、友達もいません、砂人がいなかったら、なにもありません。
戻る理由も、もうないのです。
それでも、気づいたことが一つありました。
────わたしは、あなたのことが好きだったみたいです。
「…ぐず……」
ひたすら泣きそうになるのを抑えながら、八十階へと進みます。
砂人の言ったとおり、わたしはあの扉の先に進めました。どうしてそんなことが分かったのかも、もう分かりません。
今わたしが目指すものは、天願桃ただ一つ。
居なくなった砂人が探していたものを、わたしが見つけなければいけない、そんな使命があるように感じていました。
八十階の扉を開けると、今までになかったものがありました。
それも一つではなく、何個かあるようです。
しかし見たことがありません。警戒しながらそれを避けていき、階段へと進みます。
「なに泣いてんの?」
わたしはその声を幻聴だと思いました。
だって、ここで人の声が聞こえるはずありません。
なのでそのまま歩きます。
「ちょっと!今無視した!?」
やっぱり人の声がします。わたしは傷心しておかしくなってしまったようです。
「せめてこっち向きなさいよ!」
後ろから手がのびて、くるりと体の向きを変えられました。
確かに、そこに立っているのは人でした。年はわたしとおなじくらいだと思います。
「でもわたしより小さいし、年下かな」
「失礼なやつ!泣きながらなそんなこと言える図太さにびっくり!」
「あなたも塔に入った人?」
「そうだけど…あとあなたじゃなくて、戸柱夕だから!」
夕はこの塔に入った人にしては、元気がありまくる人のようでした。
わたしに言わせれば、夕の方が図太いです。
「じゃあ夕はなんのために塔に入ったの?」
「そりゃ、桃を探すためでしょ。それ以外にある?」
「わたしは"おくまんちょうじゃ"になるために入ったよ?」
「……あんた億万長者の意味分かってる?」
夕に痛いところを突かれました。
実際、わたしは"おくまんちょうじゃ"の漢字すら知りません。砂人が言っていたのを真似ているだけです。
「うっ…そんなことはどうでもいいの!それより、なんで桃が欲しいの?」
「…欲しいとかじゃないのよ、探してるの」
「?なんで?」
「なんでって……」
夕は当たり前でしょ?と言わんばかりの表情でうったえてきました。
夕も砂人も、わたしの知らない天願桃の価値を知っているのでしょうか。
砂人は"おくまんちょうじゃ"より余程いいものというようでしたし、夕も当たり前という感じです。
塔のことを教えられた時、じっちゃんに聞いておくべきでした。
考えても分からないので、とりあえず気を紛らわすためにこの変わった階層を見回してみました。
辺りには食べ物や水が入っていたであろう容器のゴミがまとめられているところがありました。
あの様子を見るにここで何日間かは過ごしているのでしょう。しかし、そうなると当然の疑問が湧いてきます。
「なんで上に行かないの?」
「あたしはこれ以上行けないのよ」
「分かるの?」
「こう、ピリピリすんの。この先は行けないって感じが」
「へぇ、わたしには分からないや」
ここまで話して分かりましたが、夕と砂人には共通点があります。
天願桃を探していて、これ以上は行けない。ということが感覚的に分かっているところです。
夕と話していれば、わたしの知らなかった砂人のことが分かるかもしれません。
「じゃあ天願桃ってどんなの?」
ここで踏み込んだ質問をしてみることにしました。
「…さっきから質問ばっかね、そんなんじゃ答えてあげない」
質問をしすぎたようです。そっぽを向かれてしまいました。
夕はこの階層にある見たことのない建造物の一つに座り込みました。
それは、支柱から板を鎖で吊り下げたもので、夕はその板に座り、鎖を掴んでゆらゆらと揺れています。
警戒もしていない様子に、わたしはぎょっとしてしまいました。
「あぶないよ」
「こんなの子どもの遊び道具でしょ。どこが危ないの、立ち乗りでもないんだし」
夕は「もしかして、知らないの?」と訝しげな顔でわたしを見てきました。
わたしが知らないだけで、じっちゃんや砂人だったら知ってたのかもしれません。
「…………」
夕はそれから黙ったままで、微妙な空気が漂っています。
わたしは上に行くか迷いながら、思い出すのは砂人の最期でした。
夕の、これ以上行けない、というのはあのぐちゃぐちゃになってしまうことを指しているのでしょう。
たとえわたしが頂上に行けたとしても、戻れば彼女は最悪"がいこつ"に変わり果ててしまっているかもしれません。
短い時間でも、夕がいい人なのは分かります。
だから、死んで欲しくないのです。
夕はいつまで経っても動かないので、わたしが隣にもう一つある板に座ることにしました。
彼女は、これを遊び道具と言っていましたが、どう遊ぶものなのでしょう。
今は前後にゆらゆらと揺れているだけです。
わたしが困っていると、夕は突然止まって鎖を持ったまま後ろに下がりだし、足を宙に浮かせます。
すると、さっきまでとは違い、大きく揺れるようになりました。
わたしも夕を習って真似してみます。後ろに下がるまでは出来ましたが、足を宙に浮かせる方法が分からなくて、困りました。
しかし、いつまでも夕に頼っているわけにはいかないので、とりあえず足を跳ねさせてみると、ガシャン!とそのまま後ろに倒れ込んでしまいました。
「いたい……」
「ぷっ」
夕はそんなわたしを見て笑いだしました。
わたしはとても頭がいたいのに、何がおかしいのでしょう。少しムカつく気持ちが芽生えました。
「笑ってないで、どうやるのか教えてよ」
「あ〜仕方ないわね。じっとしてなさいよ、後ろに回るから」
言われたとおりじっと待ちます。
「あんたはさっきまぬけに跳ねてたけど、そうじゃなくてこの板に体重をかけるの。分かる?」
「うーん、分かったような」
「その反応、不安になるわ……」
夕は、あとは自分でやりなさいよとさっきまでいた板の方に戻って、また揺れ始めました。
わたしも、また後ろに下がり、板におもむろにもたれかかって、足を宙に浮かしてみました。
「あっ」
すると、夕と同じようなことが出来ました。
大きく揺れると、風も多くなって気持ちいいです。
大空をなんの制限もなく、ただ飛んでいるようで、心なしか心も晴れやかになるようでした。
「楽しいねぇ」
「…そうね、楽しいのかも」
思ったより良い遊び道具だったので、しばらく二人で揺れ続けました。ゆらゆら、ゆらゆらと。
一緒に、こんなことをしているだけでも、楽しい。そんな気持ちにさせてくれる。
そんな人を、友達と呼ぶのでしょう。
誰もがそう思わなくとも、わたしはそう思います。
夢中になりすぎたわたしはふと気づきました。
「ここで遊んでる場合じゃなかった…!」
「あぁ、上に行くんでしょ?行きなさいよ」
「で、でもそんなことしたら、夕が…」
「…あたしはもう上に行ける。あんた一人は不安だから着いてってあげる」
夕はわたしには理解できないことを理解する感覚派な人間のようです。
しかしそれは大変ありがたい話でした。一人でやっていける自信がありませんでしたから。
「この塔のてっぺんまで行ける?」
「どうでしょうね」
こればっかりは感覚派の夕でも分からなかったようです。
とにかくそうとなればと階段をのぼります。
夕は、行けると言っていたけど、本当に大丈夫か不安だったので、ちらちら夕の方を向きましたがとても元気そうでほっとしました。
この塔は悪い意味でもいい意味でも期待を裏切ってくるようです。
何事もなく、八十一、八十二、八十三……ついには九十八階まで来ました。それ自体は喜ばしいことですが、砂人が前言っていた、「順調すぎて逆に怖い」というやつです。
ここにきて初めて彼が言おうとしていた意味が分かってきて、嬉しいような、そんな気持ちになります。
なりより、なんだか、わたしが賢くなっているような気がしました。
また、同じように進むと何かを踏んでしまったようです。足にとても硬い感触がしました。
「う、」
それはもうずっと見ていなかった、"がいこつ"でした。
これを見ていると砂人のことを思い出してしまうので、あまり見たくないはずなのですが、どうもその二つも並ぶ"がいこつ"から目を離せませんでした。
「こんな上まで来た人がいたなんて…」
流石の夕でもこれには驚きを隠せなかったようです。
夕はわたしを後ろにやって、"がいこつ"の方に向かいます。そして、膝を折って、何かを拾ったようでした。
「何があったの?」
「これ、あんた知ってる?」
そう言ってわたしに見せたのは、お花のついたブレスレットでした。
きっと、"がいこつ"の手首に付けてあったのでしょう。
────そのブレスレットを見た瞬間、わたしは頭を殴られたような衝撃を覚えました。
ちょっと!と言う夕の手からブレスレットを奪い取ります。
「…んに、」
「え?」
「お母さんにあげた、ブレスレットだ…」
「じゃ、じゃあこの骸骨は、」
「塔に入った…お母さんと、お父さん……」
そう言ったわたしの声は、わなわなと震えていました。
お母さんとお父さんが塔に入って、帰ってこなかったのだから、当然"がいこつ"になってしまったのは、心のどこかで分かっていたはずなのです。
二人はどこで"がいこつ"になっているのか。塔で"がいこつ"を見かけたとき、一番最初に頭をよぎったのは、"そういうこと"でした。
でも、そんなことを考えたくなくて、わたしは思考にフタをしていたのです。
「この二人も頂上まではたどり着けなかったのね…」
「…そうだね」
余裕の無かったわたしは、夕の言葉に一言返事で返してしまいました。
しかし、このときある疑問が湧いてきたのです。
「お母さんも、お父さんも…なんで塔に入ったの?」
もちろん塔に入る目的が一つしか無いのは分かっています。じっちゃんも言っていたくらいですから、二人も天願桃の存在を知っていたのでしょう。
それでも────
「なんで、天願桃なんて探す必要があるの?」
度々湧いてきた疑問です。
自分の生死に関わることです。そんなことを冒してまで、わたしは何かも分からない天願桃を探したいとは思いません。
何か知っていたとしても、それは自分の命相当のものでないと探したいと思わないし、第一、わたしにも…おそらく、ほとんどの人にもそんなものはありません。
「自分が死んじゃうくらいなら…天願桃なんてどうでも」
「…どうだってよくないわ!!」
その、夕の声はあまりに大きいものだったから、わたしは思わずたじろいでしまいました。
夕も、いきなり大声を出したことで、はー、はー、と息を上げているようでした。
「ふざけないで…何がどうでもいい、よ……あんたの両親も、アイツも、あたしもそんなどうでもいいもののためにここまで来たって言うの?バカ言わないで!…う……そんなこと言わないで…」
夕は、わたしの言葉に怒っているはずなのに、涙が、頬を伝って流れているのが見えて、ついには止められなくなったのか泣き崩れてしまいました。
わたしはそんな姿に何を言えばいいか分からなくなりました。
ですが、どうしてもムカムカとする気持ちが胸の中で渦巻いていたのです。
それは喉にとどいて、つい口から漏れ出てしまいました。
────それも、冷たいものを纏って。
「…知らない、バカはそっちじゃないの。そんなにわかってほしいなら、知ってること教えてくれないと、勝手に泣かれても、分からないよ」
「……」
夕はだんまりです。
「…もう、いいよ。天願桃が何かとか、みんなが何でそんなに探したいのかも、なんにも教えてくれないし……わたし、もう知りたくないや」
今更、戻れもしません。
いっそ、ここのすみっこで縮こまって、そのまま一人になりたかったのです。
「待って…それは、」
────その瞬間、ゴォォォオンと轟音が立ちました。
「な、」
八十八階の入口だった場所が崩れ落ちたのが目に入りました。
それは、上への階段へと近づいて行くように床を崩し始めます。
「なんで…」
どうして、この塔はわたしに時間をくれないのでしょう。
いえ、元々この塔は、何もわたしにくれることはありませんでした。むしろ、奪っていくばかりです。
そんなことを考えながら崩れていく床を見つめていると、後ろから腕を引っ張られました。
「何ボサっとしてんの!?あそこに落ちても知らないわよ!」
夕は必死の表情でわたしを引っ張り、そのまま危なかっしい走り方で九十九階へと上がっていきます。
後ろを見ると、あの二つの"がいこつ"はもう見当たりませんでした。
九十九階に着くと、夕はわたしを投げ出しました。
「…次の百階が頂上のはずよ」
「なんで分かるの?」
「そう感じるから…って、ちょっと!」
わたしは、また誤魔化されたことにはそこまで落胆せず、八十八階に戻ろうとしましたが、また腕を掴まれてしまいました。
「なに、死に急いでんの!?もう次で頂上よ!そこで全部話すから…!」
「夕だけで行けばいいじゃない!わたしは行かない!」
「あんたが死んだら元も子も無いでしょ!」
不毛な言い争いです。
こんなことをしていては、夕も崩落に巻き込まれてしまいます。
「早く行って!わたしが行ったって何も出来ることなんてないけど、夕は知ってるんでしょ!そう感じるんだっけ!?」
嫌味を含ませたわたしの言葉を受けた夕は、こんなことしてる場合じゃない、とでも言うような表情で、感情を殺すように目をギュッと瞑って、また開きました。
「…聞いて!この頂上であんたにしか出来ないことがある!」
「は、…」
「上に行ったら───、つ」
「夕!!」
何かを言おうとした夕は、崩落の拍子に飛来した石がぶつかってその場で倒れてしまいました。
わたしは、急いで夕の方に駆け寄ります。
夕は、石が偶然頭に当たったようで、意識が朦朧としていて、とても自分で歩けるような状態ではありませんでした。
「夕、まって。わたしが、背負うから…」
非力な手で、夕の体をなんとか抱き上げ、背中に背負います。
そうこうしている間にも崩落は進んでいます。
足枷をはめたように重い足を、前へ、前へ、なんとか進ませます。
ようやく百階への階段に近づいた、というときに耳元で夕の掠れた声が聞こえてきました。
「上に…に行ったら、ぜ、ぜんぶ……う、つけて、ぶつけて」
それは、さっきの言葉の続きでした。
「なんで……今はそんなこといいよ…」
わたしは進む速度より、崩落の速度の方が速いことに気づき、もっと速く…大股で歩くようにしました。
それでも、崩落は速いです。
「このままだと…、おいつかれる」
「…夕、無理に喋らないで」
夕の話を聞く余裕はわたしには無かったので、黙ってもらうしかありませんでした。
それなのに、夕はもぞもぞと動くので、落とさないように腕に力を入れましたが、代わりに進みが遅くなってしまいます。
「さっきからなに…、え」
動く夕の方をチラリと見たわたしはあまりの動揺で膝を落とし、夕を離してしまいました。
「……夕、なんで…いつから、?」
「やっときづいた…、……ほんとどんくさいわね」
夕の顔は、"あの黒いもの"に侵食されていました。
そう、砂人を殺したものです。
夕の顔の頬も、異形になったかと思えば、黒い砂のように崩れ落ちていきます。
「こん、なんだから…もういけない、わ」
「っ、う…なに…?……なんなのそれ、ねぇ」
こんなときに、なんで、どうして、きらい?
きらい。
嫌い。
嫌いだ。わたしのことが、いつも、こんなときに何も出来ない私のことが。
夕に対してひどいことを言っといて、謝りもしないバカなわたしのことが。
夕の口が開いて、何かを伝えようとパクパクと動かしています。
またこれか、とデジャブを感じ、またなにも分からない自分のことが憎くて憎くて仕方がありませんでした。
「ぅあ…」
「!!」
夕は、まだ声が出せるようでした。
わたしは必死に耳を傾けて、何を言っているか聞き取ろうとします。
「…っつぁ、」
曖昧ですが、『た』とわたしは聞こえました。
「なんて…」
「────また、ね」
走る、走る、走る、苦しい、走る、疲れた、走る。
恐らくわたしは人生で一番覚悟をもって、一番速く走っています。
これなら昔ビリだったかけっこも首位をとったと確信できる速さです。
やはり、人は追い詰められると力を発揮するのでしょう。"生存本能"というやつでしょうか。
…走りのことはどうでもいいでしょう。
問題は、百階に着いてどうするか、です。
さっきまで、わたしはこれについてさほど乗り気ではありませんでした。
ですが、わたしは怒っているのです。
言いたいことがたくさんあったはずの最期の言葉で、夕に『またね』なんて、…絶対無いのに、気遣わせる言葉を言わせてしまったことに、です。
そのことがどうしても許せなくて、絶対百階にたどり着いて天願桃を探し出してやる!と、わたしの心に火がついたのです。
そうやって躍起になれたのはいいのですが、前述した通り、百階に着いても何をすればいいか全く分からないのです。
夕は言いました。
『上に行ったら、ぜんぶぶつけて』
はて、ぶつけるとは何でしょう、ということで今は肉体的に考えて、本気を出して壁にぶつかりに行っているのですが、痛いだけで何も起こりません。
しかしこれ以外の方法とは何でしょう。
…声を出してみたり、でしょうか?
そんなバカな、とは自分でも思いましたが、無限に時間がある訳でもないので、思いついたことをひたすらやっていくしかないでしょう。
「えっと、わたしは…"億万長者"になるために塔に来たー!!」
これまた人生で一番大きい声です。
大きい声はお腹から出すことで出せると、昔砂人が言っていた覚えがあったので、実践してみたのです。
結果的に正しかったのですから、砂人は本当にすごいと思います。
「でも今は、天願桃を探してるー!!」
「天願桃はどこにあるのー!!」
「っあ」
そのとき、眩しい光が眼を通ったような感覚がありました。
何かあるかと期待しましたが、それ以外には何も起こりません。
しかしこの方向が正解のようです。わたしは続けます。
「わたし、桃は好きだけど!天願桃はそんなに美味しいのかなー!!」
「みんな!みーんな!天願桃を探してるって言うの!わたしにはわかんないやー!!」
「でもみんなもう居ないの!だからわたしが頑張るのー!!」
また、同じことが起こります。
前回よりも光が強く眼が痛くなりましたが、近づいている、と、そう思いました。
「夕は!わたしの唯一の友達ー!!」
「こんなわたしに!色々教えてくれた!もっと仲良くなりたかったのー!!」
「……砂ちゃんは、わたしは砂ちゃんのことが大好きー!!」
「砂ちゃんが消えちゃう前に言えば良かった!すごく後悔してるのー!!」
「あと!あとは……」
ここでわたしは言い詰まってしまいました。
次に言うことが思いつかなかったのです。
────────ガシャァァン!!!
その瞬間、周りの床が崩れました。
もう少しズレれば落ちる、絶対に焦ってはいけないところで、わたしは焦りを感じていました。
また、光ります。
今回も、前の光より、一層強くなっていたので思わず腕を前に出して防ぐ姿勢をとりました。
そのとき、目に入ったのは、あの"お花のついたブレスレット"でした。
「お母さん…」
わたしは、産まれたときにお母さんに言われた言葉を、どうしてか今もまだ、覚えています。
『あなたはお父さんに似てるのねぇ、よく、分かるわ』
『…産まれてきてくれて、よかった。産むことがなかったら、自分の産んだ子供がこんなに可愛いなんて……知れなかったもの』
そして、こう、言ったのです。
『この子には、人を優しく思いやれて、素直で、穏やかで、友達思いの子に育って欲しいな。だから……』
「あ、……」
────どうしてわたし、今まで気づかなかったのでしょう。
このブレスレットの意味、これを私が作って、お母さんに渡した意味。
「…わ、わたし……」
声は、震えています。
しょっぱい水も、目から流れています。
それでいいのです。
これはきっと、わたしが言うべきことなのです。
はあぁぁ、と息を、深く吸います。
出来るだけ大きな声を。
目をつぶります。
瞼の裏には、たくさん人の顔が思い浮かびました。
わたしのことを気にかけてくれた先生
わたしを育ててくれたじっちゃん
わたしの唯一のお友達になってくれた夕
わたしをずっと守ってくれた大好きな砂ちゃん
わたしをたくさん抱っこしてくれたお父さん
そして、わたしに命を……
────────名前をくれた、お母さん
「わたし、は…!」
「────私の名前は!天願桃だーっ!!!」
━━━━━━━━━━━━━━━
私が目を覚ましたのは、空が真っ赤な頃で、砂の上だった。
────そうだ、暇つぶしに病院から抜け出して、公園まで来たんだった。
私は、いわゆる記憶喪失というやつ"だった"。
そのときのわたしの記憶のはじまりは白い天井で、白いベッドで寝ていて、隣で泣きながら、…お母さんだよ、分かる?とわたしに問いかけてきたことだった。
もちろんそのときのわたしは、右も左も分からずどうしてここにいるのかも分からなかったけれど、お母さんのことは何となく分かった。
その後に来た同年代らしい男女のことは見覚えがなく、素直に、分からない、と言った。
医師にそれが記憶喪失であると診断された。
どうも、私は交通事故にあってしまったらしく、車の運転手も、その事故で亡くなってしまったらしい。
運転手の遺族もわたしのお見舞いに来て、わたしのことを心配してくれた。
二人組男女も学校を抜け出したのか、というくらい、たくさん来てくれても思い出すことはなかった。
しかしそんなある日、わたしは突然の昏睡状態に陥ってしまった。
そのときの話は聞いた話でしかないが、みんなが付きっきりで看病してくれたらしい。ときには、語りかけることもあったとか。
────わたしが、長い、長い夢を見たのはそのときだった。
最初は記憶の片隅に残っていた、もう亡くなっていたじっちゃんだった。
それから男女の────砂ちゃんと、夕が出てきた。
でも、居なくなって。
最後にわたしに光を差したのは、他でもないお母さんだった。
大体、そんな感じの夢だった。
でも今でもたまに、この夢を見る。
────夢の記憶は、薄れていく一方だけれど、そのときに感じた感情はどうしても、忘れられなかった。
だからか、たった今夢を見た私は袖がびちょびちょになるほど、泣いていた。
「…っ、ぐず…」
「何泣いてんの?」
「何泣いてんだ?」
声が、聞こえる。
ずっとそばに居てくれた、二人の声が。
声のする方に顔を向けると、公園の入口で二人が並んで立っていた。
ながく、その二人の姿を私は見ていなかったような気がして、直ぐに砂の上を立ち上がり、
二人の方へ走ると、おいっと言う砂人の声を無視して飛び跳ねて二人を抱きしめた。
「あ!なによ、いきなり」
「泣いてたんだろ、そっとしとこうぜ」
「あたしだってそのつもりよ!」
「ぷっ」
二人のやりとりに、なんだか可笑しくなった私は口を抑えて吹き出した。
「今のどこに笑う要素が……もう、」
「おい、帰るぞ。病院の人も心配してた」
「……うん!」
帰りの夕焼けには、ただ、くだらないことを話す三人の影が映し出されていた。
ごめんね。
私のこと、ずっと探していたんだね。
ありがとう。
夕、砂人、────大好きだよ。
塔の頂には、天願桃が在る パンノミミ @Mimi322
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます