図書館の片隅には

夢枕

そこを見ると

 それは大学三年生の冬のことだった。

 外もすっかり暗くなった午後六時、僕は図書館にて講義で出された課題をやっていた。


 閉館ギリギリの時間になっており、課題もキリのいいところに来て目処が立ったし、帰る準備を始め出した。


 自分の持ち物をまとめながらに図書館の隅が目に入って、ふと思い出す。この図書館内の東側の角にある本棚と本棚の片隅に、ずっと前からハイヒールが置かれているのだ。


 色の薄いピンク色のハイヒールが一対、右の方だけ横倒しになって置かれていた。

 三ヶ月前くらいに気付いてから一切変わることなく置かれている。

 利用者はそう多くないとはいえ何かしら時間を設けて清掃を行なっているはずだ。本棚に近付く利用者や閉館作業をする司書さんがいてこうも見つからないことがあるのか。


 そう思いながら荷物を片付けていると、カツカツと音がした。他に利用者がいた気配はなかったから、もしかして司書さんが急かしている?

 そうなら図書館を利用して以来初めての出来事だった。


 音はしたが変わらず人の気配はない。どこからだ?

 図書館全体に視線を巡らせると、いつもヒールが置かれているところ、女がヒールを履いて立っていた。


 ちゃんと持ち主がいたのか!

 そう思ったが、ヒールを履いて音を立てているのに、課題に集中していたとはいえ図書館に入ってくる時の音が聞こえないなんてことあるのか。


 女は閉館も近いのにブラインドの降りた窓に向かって微動だにせず立ち尽くしている。

 ちょっとよれた感じのレースに包まれた白のワンピースに、古めかしい感じのセミロングヘア。腕は下にぶら下げており、その手にカバンは見えない。


 閉館作業を行う司書さんはカウンター奥の事務室にいる。閉館作業はもう少し後らしい。もしかしたら僕らが残っているので気を使っているのかもしれない。


 どうして彼女は本を読むでもなく机を使うでもなく立ち尽くしているのかはわからないが、もしかすると閉館時間が迫っていることを知らないのかもしれない。


 もしも知らないのならば教えてあげた方がいいのかもしれない。


 こちらに背を向ける彼女の後ろから、僕は慎重な足取りで近寄る。


 こうして彼女をまともに見て気付いた。

 彼女の右手の指が"二"を示している。こちら向きの手のひらから指が二本、顔を出している。


 さっき見たとき手はこうなってたか!? これは何を意味するんだ!


 彼女の意図を受け止めきれず、思わず顔を逸らす。僕の記憶ではさっき見たとき手を普通にぶら下げていたはず。


 彼女は何を数えている? 何を伝えようとしている?


 僕は意を決してもう一度彼女の姿を見る。先ほど見たその手は"三"を示していた。


 彼女にとってこの"三"は何なのか。僕に思い当たる節は、帰る準備をしながら見て、彼女に近付こうとしてその手を見て、そして今再び彼女を見た、僕が彼女を見た回数。


 そしてまた彼女の姿を見て気付いた。

 膨らんだ半袖から覗く右の上腕に、皮膚を丸くくり抜いたような穴からタバコのパッケージらしき紙が覗いていた。中にあるタバコのパッケージは日焼けして色褪せた感じはあるが血がついたような跡はなかった。


 普通の生身の人間で体の中にタバコのパッケージが入っていて平然としていられる者はいない。


 彼女の姿を異様だと知覚してしまった僕の周りを、四方から取り囲むように嫌な冷気が迫る。


 仏の顔も三度までと言うが、果たして三度目のことは許してくれるのだろうか? 

 それとも僕はもう命を取られてしまうのだろうか。


 どちらにせよ恐怖を遮断し自分を守るにはこれから彼女を見ないようにするしかない。


 彼女を視界に入れずに出入り口へ向かうのだ。


 僕は湿度を含んだ冷気の中そっと瞑目した。

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図書館の片隅には 夢枕 @hanehuta5

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