03輪.あの子が欲しい
「あなた、あの時の人間だったの!?」
イブキはガラス細工ような目を見開いて、アムを見つめる。
アムの夜空の瞳には満天の星が煌めいていて、イブキは目がチカチカした。
「そ!驚いた?」
アムが目元にピースサインを掲げて、ウインクする。
「おっ……」
”驚いたに決まっている”と言いたかったが、開いた口が塞がらず、うまく喋れない。
そんなイブキに対して、アムは饒舌だった。
「僕は驚いたなー。だってこの広い地上でまた出会えたんだよ?」
「私だって、驚いた」
イブキはやっとの思いで言葉を絞り出した。
目の前の柔らかい雰囲気を纏ったアムが、あの日の鋭い眼光の少女と同じだとは全く思えなかった。
だが確かにあの時と同じ、全ての光を吸収してしまうような真っ黒な瞳だった。
「それにしても、嬉しいな。僕の言葉に同調してくれる花御子がいてくれたなんて。……それに」
アムは両手を胸の前で握り、しみじみ笑うと、イブキに顔をぐっと近づける。
「!!」
「なんかねー、君には惹かれるものがあるんだよね。目が離せないって言うか」
アムの瞳の中に、イブキの引きつった顔がはっきりと映る。
「何それ、意味が分からない」
アムがあまりにも嬉しそうに笑顔を真っ直ぐ向けるので、イブキは途端に恥ずかしくなって顔を逸らす。
アムは首を傾げ、イブキを見つめ続けたが視線が合うことはなかった。
「さて、これからどうするかな。恵殿をどうにかしたいのは僕も同じだけどさ、何をどうすれば良いのか、ずっと分かんないんだよね。あはは」
あっけらかんに笑い飛ばすアムの軽薄な態度に、イブキは眉をひそめる。
これから共に戦っていく相手が、果たしてこんなに無計画で大丈夫だろうか。
これから先のことを何も考えずに行動して、地上に落ちてきた自分も人のことは言えないが、旅のお荷物になられるのだけはやっぱりごめんだ。
ここは一つ、さっきの直球ドストレートの質問のお返しに自分もアムを試してやろうと、 イブキはずっと引っかかっていた疑問をぶつけてみる。
「そういえばあなた、どうして昔の恵殿を知っていたの?」
アムは丸い目を更に丸くして、気の抜けたような真顔でイブキを見た。
イブキはアムの表情が一転したので、何か変なことを言ってしまっただろうかと不安になった。
しかし決して答えられないような、難しい質問ではない。
一体、何を考え込んでいるのだろう。
イブキはうがったような視線をアムに向ける。
その視線に気づいているのか、いないのか、口をきゅっとつぐんだアムは、腕組みをして視線を空に飛ばしている。
「ずっと、旅をしてるからかな」
やけに考え込んだ割に、はっきりしないその答えにイブキは拍子抜けした。
「え?」
「僕はね、ずっと人助けの旅をしてるんだ。だからね、自然とそういう……伝承っていうか、歴史に詳しくて。それに、地上の地理にも詳しいからさ、きっと一緒にいて損は無いと思うよ」
アムは何やら考えながら遠慮がちに言葉を紡いでいく。
何をそんなに躊躇いながら話す必要があるのだろう。
別に何もおかしな事ではないのだから、堂々と言えばいいのにとイブキは疑問に思った。
しかしイブキのそんなモヤモヤは、アムの発した気になる単語に全て持って行かれた。
「"人助け"……?」
「うん。僕、地上を旅して、困ってる人を助けてるの」
さっきまでの揺れ動く瞳はどこへやら、アムは自信に満ちた瞳を真っ直ぐイブキに向けている。
どうやら本当に言っているらしい。
「それは、えっと何というか……、素敵だね」
イブキは何と答えるべきか少し迷った後、何も答えないのは失礼だろうと思い、とりあえずアムを褒めることにした。
「あはっ、ありがと」
アムは屈託のない笑顔をイブキに向けてお礼を言った。
***
一方その頃、空の上の恵殿。
そこには排煙を撒き散らす工場も、人工的な光もない。
ただ一面の花畑が広がる、穏やかで、柔らかな光が差し込む安らぎの場所。
その静寂に、花姫の絶叫が響き渡っていた。
「うあああああああ!イブキ!どうしてボクの前からいなくなったんだ!!!どうして!!!」
「……ハァ」
花姫が泣き叫び、自室のありとあらゆる物を掴んでは投げ、掴んでは投げ、室内はしっちゃかめっちゃかになっている。
いつぞやの花姫が欲しがった地上の調度品や、国宝などが無残な姿で床に散乱している。
それを見て、側近のウキヨは止める事も咎めることもせず、壁にもたれ、ただ頭を抑えて嘆いている。
花姫は長いウェーブの髪を振り乱して、鼻息を荒くしている。
だが、流石に暴れ疲れたのか、今度は床にへたり込んでしくしくと静かに泣き始めた。
「うっ……ヒック……イブキ、うぅ……」
そろそろ頃合いだと、満を持してウキヨが口を開く。
「自分で地上に突き落としたくせして、何を今更。物に当たってもイブキは帰ってきませんよ」
「……」
ウキヨに背中を向けたまま、花姫は真っ白な花羽を震わせ、静かに涙を流し続ける。
百合の花の匂いが充満するこの部屋は、居るだけで目が眩むようだ。
しかしウキヨは慣れたもので、深呼吸をしてため息交じりに小言を言う。
「第一、羽を奪われて自力でここに帰ってきた人などいないでしょう。お忘れですか?」
「黙れ」
花姫はウキヨに背中を向け続けているが、もう涙は止まっているようだ。
その証拠に、いつもの甘ったるい声ではなく、地上の底から響くようなドスのきいた低音でウキヨを牽制する。
普通の花御子ならば、花姫を恐れて何も言えなくなるところだが、ウキヨは少しも怯まない。
「そんなにイブキに固執しなくても、貴方のことを慕うかわいい花御子が他にもいるじゃないですか」
「ボクはイブキのあの顔が好きなの!……どの瞬間を切り取っても、全てが美しいあの顔」
花姫はようやくウキヨの方を振り向いた。
イブキを想うその顔は、頬を赤く染め、恍惚としていた。
対してウキヨは、冷ややかな目で花姫を見下ろす。
花姫が何か変なことを言い出さないか警戒しているのだ。
しかし、嫌な予感ほどよく当たるもので、花姫は何か思いついたようなろくでもない顔を浮かべる。
「……そうだ。イブキの顔を持ってきてよ!剥製にして飾るから!」
「何を、そんな、馬鹿なこと……」
花姫の突拍子もない提案に、ウキヨは呆れて言葉も出てこない。
だが、ここでウキヨが花姫を説得しようとしても聞く耳を持ってくれないだろう。
また、得意の癇癪を起こして部屋がめちゃくちゃになるだけだ。
そしてその片付けをするのは、ウキヨ自身。
ここは何としてでも、花姫の気を逸らしたいところだ。
すると、そこに幸か不幸か、来客が訪れる。
「失礼しまーす。今いいですか?」
花姫の部屋の淡いピンク色の引き戸が、中の様子を伺うようにそろそろ開くと、ストレートの白髪に黄色の花羽を持つ花御子がやってきた。
イブキを取り抑えていた内の一人で、名を"エリカ"という。
恵殿中に響き渡っていた花姫の癇癪が止んだので、今がチャンスだとやってきたのだろう。
「ウキヨ様、これ頼まれてた文献です……って何ですか?」
花姫とウキヨから一斉に向けられた熱視線に、エリカはぎょっとして狼狽える。
花姫からは期待に溢れた、ウキヨからは懇願するような、そんな相反する瞳をエリカは交互に見つめる。
「ねぇ、エリカ。お願いがあるんだ。エリカにしか出来ないこと……」
先手を打ったのは花姫だった。
サッと床から立ち上がると、エリカをそっと抱き寄せ、彼女のほんのり色付いた頬に手を添える。
エリカは憧れの花姫が急に目の前に迫り、どうして良いか分からず、目をぎゅっと瞑って全てを受け入れようと、身体をじっと固くしている。
すっかり蚊帳の外のウキヨは、やれやれと項垂れた。
「なっ、なな、なんですか!花姫の望むことなら、何なりと……!」
「あのね、イブキを探してきて欲しいんだ」
「……イブキを?どうしてです?」
エリカが"イブキ"の名を聞いた途端、表情に緊張が走って正気に戻る。
その言葉尻には、イブキのことを良く思っていないであろう様子が、ありありと伝わってくる。
「ボクはね、イブキの顔が
「……それは、死んでても構わないって事ですか?」
エリカの灰色の瞳が鈍く光る。
花姫はにっこり笑って答える。
「うん。ボク、イブキの性格はあんまり好きじゃないから。なんか……陰気くさいし」
「それならば、喜んで」
エリカは不敵な笑みを浮かべて、胸の前に手を置き、花姫に対して軽く一礼した。
「ありがとう!エリカは本当に素直でいい子だね」
花姫はエリカの顎を軽く持ち上げ、頬に口づけをする。
耳まで赤くしたエリカは口角をきゅっと上げて、溢れる喜びを噛みしめるようにはにかんだ。
「きっとすぐに持ってきてみせます!待っていてくださいね!」
エリカはそう言い残して、持っていた分厚い本を乱雑にウキヨに押しつけると、さっと踵を返し足早に部屋を後にした。
「おっと!……全く、困った子ですね。それにしても花姫も人が悪い。イブキに一番対抗心を燃やす子をあんな風に、わざわざ焚き付けるなんて」
ウキヨが受け取った本を大事そうに抱えて、クスクス笑う。
ひとまずは余計な仕事が増えずに助かったと、ウキヨは胸を撫で下ろしていた。
きっと、イブキをよく思っていないエリカの事だ。
イブキがどこに居ようと彼女のイデアで見つけ出し、花羽を失って弱り切ったイブキを容赦なくここに連れてくるだろう。
「え~?たまたま、あの子が来たから。偶然だよ、本当に」
花姫は長いまつげを伏せて、ふわふわした髪を後ろに靡かせる。
その瞳の奥は花姫の理想の世界が広がっているのだろう。
たまらず口角を上げて、感嘆の声を漏らす。
「あぁ、それにしても本当に可愛いなぁ。ボクの花御子は。愛おしくて仕方がないよ。はやくボク達だけの楽園を作り上げたいなぁ」
「そうですね……。それにはもっと、戦力が必要ですね」
ウキヨは自分の腕の中にある、埃臭い黄ばんだ本をぎゅっと抱きしめた。
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