第一章 情景

第1試合 離郷の巻

 2020年4月1日、元・火戸第一高のエース雨貝圓18歳は人生で初めて東海村を離れて上京することになった。

 彼は野球部を引退した記念に奮発したTORQUE G04片手に水戸へ向う常磐線普通列車を待ちながら夢舞台関連のネット記事に飽きて5ちゃんねるを読んでいた。すると…

 あるスレでは「ケンちゃん…ワイ、だっふんだ!が好きだったけどバカ殿も忘れねえよ」とか他のスレだと「まいやんの卒コン観たかったし行きたかった!!もっと騒ぎたかった!」とか、「オリンピック消えないよね?ねぇ?」「プロ野球、Jリーグ、Bリーグ…全部おやすみだからつまんねー」「マスク嫌だ」「ニジプロ…大丈夫か?」「楽しみが、ない。」「やってらんねー」「ダイヤモンド・プリンセス◯人感染…やばいよやばいよ」「俺の地元◯人感染」「【悲報】 ワイ、来年度10キロ太りそう…」「あつ森と鬼滅読むことしか娯楽がない…あとYouTube…」「活動休止前には少なくとも一回だけ嵐見たい、嵐見たい…」「春の風物詩・ドラえもんの映画も延期か…」「緋色の弾丸、延期嫌だ」「stay homeだなんて…やってられね〜」「夏の甲子園もインターハイも高校サッカーも中止になるらしい」「センバツ消えたから暇だった」といった多くの人の悲観的な言葉と反実仮想の羅列ばかりだった。

 自分自身も後輩に見送られる事も無く、「僕達、雨貝先輩の分も頑張ります!」の言葉もなく、泪を流した先生に肩を撫でられながら泣く機会も貰えず、其れを考えると、こぼれてしまう。自然と。泪が。

 「間もなく電車が停まります」のアナウンスメントが流れた。1ミリリットルの泪は其処で止まった。圓はリュックサック、荷物が沢山入った東大カラーのスーツケース、そしてペットボトルの中のルイボスティーだけを連れて、初めて親元を離れた。なのに、頭の中では幼い頃から親しんできた東海音頭の歌詞が離れない。

「さあさ踊ろうよ 手拍子合わせ 東海音頭で にぎやかに」と。

 電車のドアが開いた。圓は「一人でえげるんだべ。」と思っても、初めての事だから、泪がぽろぽろと溢れてしまった。という名の概念が大人も子供も分からないのになぜ「不要不急」なのか?上京したばかりの他の人はどのような現実に直面するのか?と思っていたら、脇汗が一層酷くなり、更に赤っ恥になってしまった。

「嗚呼、青春の六大学!ナイン全5巻」面白がって呟いても、意味は無かった。その代わりに小柄さを活かすことで着られるお気に入りのすみっコぐらしのTシャツと顎まで伸びている髪を頭頂部に応じて2つに結っただけの超簡単なツインテール。

 養母からの手紙と農園の干芋。生れて間もなく肉親に捨てられてしまった圓にとって養母の存在は崇高なる者だった。現在、彼女が一人で大正元年から続く干芋農園「あまがい農園」を切盛している。里子になったのは中学生の時で、絵本や小説でしか経験出来なかった事が、出来るようになったのだ。家の窓から東海第二原発が大きく見えるので、日本で初めて核の炎が点いた事により村民からは「雨貝の干芋は汚染されるみたいだ。」「雨貝家は勝田市に引越す冪だ。」といった風評被害により、売上が激減し生活保護にお金を頼る事がhave toになってしまった悲惨な経緯がある。それでも彼は養母の作る干芋を好んでいた。其処で、彼は「永久とこしいに顔を合わせらんねえ。東京に行ぐと。」の感覚で例のを読んだ。其処には

「めんこいめんこいつぶちゃんへ。つぶちゃんは東京に行ってしまうんだね。甲子園の土を踏まないまま二十歳になるよりも、神宮の土を踏んで白星を集めるんだよ。寮に行っても毎月2万円の仕送りと10キロの干芋を持って来るね。 雨貝浪あまがい なみより」圓は手紙を読んだあと、干芋のことしか考える余裕が無いくらい自身が無我夢中なのを再度思わされた。

 そして、渾名。5chの渾名の是迄でも酷さは類を見なかった。

「茨城第一のピッチャー、めっちゃ汗かいててワロスwww」「巷で噂のメロディーレーンよりもちっちゃいんじゃね?」「一人だけ小学生で草www」「身長は157らしいぞ」「ノームだ!」「小人発見www」「コイツ、黄色いTシャツと青いオーバーオールを着て来い」といった小ささ(と汗)を揶揄するものばかりだった。

 …と思って居たら、何時の間にか水戸駅に電車は着いていた。電車は初めて哀愁を帯びた様に見えた。

 圓は事前に購入していた「水戸→東京」の特急ひたちの先頭の隅っこの座席に乗った。ストリーミングで米米CLUBの『浪漫飛行』を聴きながら泪を静かに流した。彼の耳には特急のヒュゥゥゥゥ…という音ではなく、「君と出逢ってからいくつもの夜を語り明かした〜♪」といった概念だった。

 『浪漫飛行』が終わった次のミックスリストには最近コロナ関連なのやらあんまり興味のない乃木坂の新曲『しあわせの保護色』だ。歌い出しの「探し物は どこにあるのだろう?」からサビの「しあわせはいつだって 近くにあるもの〜♪」そして最後のワンフレーズ「やっと見つけた」までが全部全全部イチオシポイントにしか感じる事は出来ず、土浦までで少なくとも10曲は聞いた。時に、夢を見ていた。その夢は…

 宇宙人に支配された東京六大学で圓が「野球星人」相手に170km/hのストレートを投げて目眩を起こさせて完全試合するという内容だった。その夢は、急に『ふしぎの国のアリス』みたいなナンセンスな裁判で死刑に掛けられてから、夢から醒めた。

 其処は、桃源郷…明治神宮野球場…いや…東京駅のプラットフォームだった。彼はエスカレーターの上で其処で生きる。其処でかがやくと決意した。

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