第2話 ニャムが見えるのはあたしだけ⁉


「おーい! 奈子ー!」

 ダッダッダッて足音とともに、みかんの声が聞こえた。

 あたしはニャムのことをフニフニしながら振り返って、

「おお、みかん!」

 ニッコリ笑って言った。けれど、みかんの顔は引きつっていた。……なんでだろう?

「な、奈子?」

 何かがおかしい。でも、何がおかしいのか、あたしにはさっぱりわからない。

「え、えっと?」

「なんで空気をこねてんの?」

「……えっ⁉」

 ニャムを見る。ニャムはギリギリと歯を食いしばりながら、居るかもしれないお化けをおっかなびっくり確認しようとするかのように、視線をゆっくりとみかんのほうへ移した。それから視線をあたしに戻すと、両手を合わせて、

『……そういうことだニャ』

 あたしは顔がカーっと熱くなるのを感じた。

 あたしの今の顔、絶対に赤い!

 穴があったら入りたいような気分!

「なんでもないもんー!」

 あたしは、ニャムを抱えたまま走り出した。

「ちょ、ちょっと待ってよ! 奈子!」

 みかんが追いかけてくる。

 逃げろ、逃げろ!

 みかんと恥ずかしさをここに置き去りにして、急いで学校へ行っちゃおう!

 でも……あれ? 学校にネコを連れて行っていいんだっけ?

 いいや、考えなくてもわかる。ダメだ。

 でも、このネコはみかんには見えなかった。

 ってことは、あたしにしか見えないネコの可能性あり!

 あたしにしか見えないネコなら、別に学校に連れて行ってもいいような気がする。

 っていうか、連れて行く以外の選択肢が見つからないから、連れて行っちゃおう!

 走る、走る。

 後ろからみかんの弱弱しい「まってぇ……」って声が聞こえる。

 ごめん、みかん。あたしにも、今のこの状況がよくわかっていないの。

 だから詳しいことは話せないけど――逃げることしかできないあたしを、どうか許して!


 ニャムを抱えたまま学校へ飛び込んだ。

 校門のところにいた先生も、追い抜いた何人もの人も、みんなみんなあたしがネコを抱えていることに気づかなかった。

 どうも、ただ体の前で手を交差させながら走っている人にしか見えないみたいで、

「どうした? 寒いのか?」

 って先生に聞かれたのが、唯一の異変だった。

 あたしは確信した。やっぱり、ニャムが見えるのはあたしだけなんだ。

 廊下を走って、教室に飛び込んで、カバンを机の上に放り投げて、ニャムを抱えたままトイレへ急ぐ。

「どうした? 奈子」

 琉花に聞かれて、あたしは咄嗟に、

「トイレ!」

「はらいた?」

「そんな感じ!」

 不思議そうな目で見られている気がするけれど、そんなことは気にしない。ううん、気にしていられない!

 はやく、ふたりぼっちになれる場所に行かなくちゃ。

「あー! もう!」

 今日はなんて変な日なんだろう。


 トイレに入ったら、どの個室も空いていた。一番奥の個室に入って、ガチャっと鍵をかける。

 よし。誰かが来るまでの間は、ニャムと話しても問題なさそう。時間に余裕はない。ニャムに聞いておかないといけないことを、急いで聞かなくちゃ!

 って、あれ? 聞いておかないといけないこと? それって何? ああ、もう! 考えることがいっぱい過ぎて、何がニャンだかわからない!

『ちょっとちょっと。落ち着いたらどうニャ』

「そんニャこと言われても!」

『まぁまぁ。とりあえず、ちゃんとした話は家に帰ってからするニャ』

「そうだね。その方が落ち着いて話せるかも」

『ここは、学校。今日の授業は五時間目まであって、委員会、クラブ活動はニャし。だから、二時すぎくらいに帰りの会が終わって、それからぴーちくぱーちくしゃべって帰るニャ。まぁ、ニャムは勝手に帰れるから、どれだけぴーちくぱーちくされても別にへーきニャンだけど、歩くの面倒くさいから、ニャコのカバンに紛れたいところだニャ。そんニャわけで、ニャムは二時くらいまで自由行動しようと思うニャ。ニャムがそばに居ニャかったら、ニャコはいつも通り過ごせそうだしニャ~』

 ニャムが勝手にぴーちくぱーちくしゃべる。

 不思議なことに(出会ったときから普通に受け入れちゃっているけれど)ニャムの言葉を理解できる。

 だけど、いろいろわからない。

 このネコ、なんであたしの今日の予定をあれこれ全部知ってるの?

『それじゃあ、散歩してくるニャ』

「散歩?」

『ネコは自由気ままニャのニャ。そんニャわけで、放すニャ』

「うん」

『放してニャ』

 ……まったく、ネコ訛りはわかりづらい。

『あ、そうだニャ。どうしてもニャムに会いたくニャったら、大きニャ声で〝ニャー!〟と叫ぶニャ。そうしたら、ニャムが飛んでいくからニャ~』

「なんであたしが〝ニャー!〟って叫ばなきゃならないのよ」

『まぁ、そのうち叫ぶと思うけどニャ。ニャニャニャっ』

 ニャムがニヤッと笑った。なんて憎たらしい顔!

 文句を言ってやろう、と思った。だけど、あたしのセンサーが反応した。誰か来る!

 あたしは不満を唇で表しながら、個室から出た。

 ほら、やっぱり誰か来た。ちらっと見られた。

 まぁ、そりゃあ気になるよね。トイレに入ったらそこに、なんでかさっぱりわからないけれどイライラしている子がいたらさ。

 気にしない。名前を知らない誰かのことなんて、気にしていられない。

 今あたしがすべきことは、いつも通り手を洗って、それからなんてことない顔をしてトイレから出ることだけ。

「ねぇ」

「ふぁい⁉」

 なんてことない顔は出来ていた気がするけれど、なんてことない声は出なかった。なんだか冷たいような気がする汗が出る。

「何を抱えてるの?」

「……え?」

「いや、トイレから出てきた人で、そのポーズをしている人、初めて見たから……」

 はっ! そうか! このポーズ、たしかに変だ!

 先生に「寒いのか?」って聞かれた時点で、もうこれをしちゃいけないって気づくべきだった!

 また、顔がカーっと熱くなる。

 ニャムを見ようと視線を落としたら――抱えていたはずのニャムが、いない⁉

 いったい、いつから?

「ニャーっ!」

 今すぐに文句を言ってやりたい! と思って、ついつい叫んじゃった。

 ニャムの言うとおりに動かされている感じが、なんだかすごくむかつく!

『呼んだニャ?』

 のんびり優雅に歩きながらあたしの足元までやってきたニャムを、ぎろりと睨みつけるように見下ろした。

 声を出したら聞かれちゃうから、口をちょっと大げさに動かして、

 〝もう! あたしのそばから離れないで〟って、ニャムに命令した。

 ニャムは『しかたニャいニャ~』と言いながら、あたしのすぐ後ろにぴったりくっついて歩き出した。



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