その世界の向こう側で

カタギリクレイ

オンラインの絆とオフラインの別れ

 町の大通りを端まで歩くと、今まで続いていた店達が急になくなる。商店街の終わりに雑貨屋が見えると、遼はいつも急に寂しさを感じ始める。商店街の終わりは住宅街の始まりだが、住宅街の始まりは、別れの始まりだった。


 仲間達が1人、また1人と家に帰って行き、住宅街の最後の工場まで歩くのは自分だけだった。鉄筋で組まれた工場の手前には、工員が住むアパートがあり、工場の奥には遼と家族が住む一戸建てがあった。住宅街の終わりから工場までの道は、夕焼けが落とす赤い光に照らされ、まるで銅細工を施したように見えた。孤独な銅の道を帰るこの時間が、遼にとっては一番寂しい時間だった。


 工場を覗いて、ただいまー、と言うと、おかえりー、という声が複数返ってくる。しかし、みんな最後の集中力を振り絞って仕事の追い込み作業を続けていた。


 帰宅後のりょうは一人、みんなの仕事が終わるのを待つ。仕事が終わると工員達と親が共に戻ってきて夕食になる。だが、終わる時間はその日の作業量次第で、いつになるかは分からないまま、遼は今日もただゲームをして待つのだった。


 昔は遼の家以外にも町工場があり、同い年くらいの子も何人か居た。だが、だんだんと周りの工場は閉鎖され、よそへと引越して行ってしまった。遼もまた、工場を閉じて引越せばいいのにと思ってしまう時があった。


 海外からの部品需要が多く、工場は毎日いそがしい。周りにあった工場も、仕事は沢山あったが、後継者が居ないとか、人手不足とか、そういう組織を維持する際の問題がもとで閉鎖していった。


 周りの工場が減っていくと、遼の工場に仕事が集中していった。家業が忙しくなるほど、父も母も帰りが遅くなり、孤独な時間が長くなっていった。昔の賑やかさを考えると、夜まで続く孤独な日常を、ゲームで紛らわすのもだんだんイヤになってきていた。


 この日、みんなが帰ってきたのは20時過ぎだった。母が昼間に仕込んでいた唐揚げを仕上げる間、遼はみんなと食器を食卓に並べたり、父親達にビールを注いで回ったり、急激に忙しくなった。この慌ただしさが、実はとても好きだった。


 アパートに住み込んでいる社員達は、みんな遼の家族とともに食卓を囲む。父と祖父と母に、従業員が3人。8人で食卓を囲み、一日の疲れを労いながら、その日の出来事をみんなが聞いてくれるのはとてもうれしい時間だった。


 遼は11歳だったが、将来は大学に行くように期待されていた。工場を継ぐとかそういう話よりもまず先に、大学を出てちゃんと学ぶように、というのが親達の考えだった。毎日ゲームばかりしていたが、勉強は得意だった。


 その日の出来事を一通り話し終わったあと、アパート暮らしの従業員、しょうちゃんが口を開いた。


「遼ちゃん、最近はどんなゲームやってるんだ?」


 翔ちゃんはゲーマーで、休みの日は一緒に遊んでくれることもあるが、最近は疲れて寝てることが多く、あまり遊んでくれなかった。


 「『ファルクIVフォー』をやってるんだけど、知ってる?」


 「ああ、もう4まで出てるのか。相変わらず、半キャラずらすのか?」


 ファルクはアクションRPGだったが、バトル方法は敵に対して自分のキャラを半分ずらし、ぶつかる事で攻撃するという戦い方だった。でもそれは2までの話で、4はボタンを押すと剣を振ったり、盾を構えたり、魔法やアイテムも駆使しながら戦う、操作性の高いものだった。


 「攻撃は1ボタンで、防御が2ボタン、3ボタンがジャンプで、4ボタンでメニュー開いて魔法使ったりできる。仲間もいるから昔のとは全然違うよ」


 へえ、と興味を持ったような反応を翔ちゃんはしてくれたが、一緒に遊ぼうとは言わなかった。まあ、RPGなので一緒に遊ぶようなものじゃないしな、と思っていたら意外な言葉を告げられた。


 「今度一緒に遊ぼうぜ。ファルクじゃないけど、面白いのがあるんだ」


 なんだろう?最新のゲームは抑えてるはずだし、自分の知らないゲームはないはず。そう思って遼は言った。


 「なんてゲーム?あ!ブレイカーズとか??」


 ブレイカーズは最近人気の対戦型ゲームで、2作目から大会が行われており、3作目はなんと日本の女の子が優勝したことで話題になっていた。


 「違うよ。“O2オーツー”って言うゲーム聞いたことある?『オメガオンライン』っていうんだけど」


 「知らない……始めて聞いた…」


 「海外で大ヒットしてるオンラインゲームなんだよ。休みの日に遊びに来いよ」


 週末、久しぶりに翔ちゃんの部屋を訪ねた。相変わらず散らかっていたけど、ゲーマーらしく色んなゲーム機が置いてあった。そんな中、デスクには大きな箱があった。そこにゲームパッドが繋がっていたので、どうやらそれもゲーム機の一種のようだった。


「ゲーミングPCっていうんだ。ゲーム用に作られたパソコンで、工場の事務所にあるようなのとはちょっと違って、ゲーム用の複雑な処理とかが得意なんだよ」


 初めて見るゲーミングPCの画面に表示されたタイトルロゴは「OmegaOnlineオメガオンライン」と書いてあるようで、遼にもなんとか読めた。あとは、メーカーロゴも出てたけど、見慣れないものだった。


 早速遊ばせてもらったが、画面には沢山のキャラが居て、ウロウロしてると、別のキャラに吹き出しが表示され、そこに英語の文章が出た。


「レベル上げに行かないかって言ってるから、行ってみるか」


「翔ちゃん、英語分かるの??」


「簡単なのだけね。だいたいゲームの中だから、ゲームに関係することしか話さないし」


 そんなことより、実はもっと気になっていたことがあった。それは、キャラが勝手に話しかけてきたことだった。遼が今までプレイしたRPGでは自分から声をかけるのが普通で、逆だったことに驚いていた。


「あとさ、NPCが話しかけてくるんだね?こんなの初めて見たよ!」


 翔ちゃんは、一瞬時間が止まったように無表情になり、やがて軽く吹き出すと、大声で笑い出した。


「あははははっ!たしかに、その辺説明してなかったな。この人は人間だよ。NPCじゃないの」


 今度は逆に遼がキョトンとした表情を浮かべたが、まだ理解できていない様子だった。


「オンラインゲームだからさ、この名前が白いキャラ達はみんな人間が操作してるんだよ。名前が緑のキャラがNPC。話しかけてきたのは、海外の人が操作してて、それで一緒にレベル上げ行かないかって言ってきたわけ」


 遼はまた固まったが、でも今度は理解できて、そして衝撃を受けた。


「えええー!!じゃあ、知らない人と一緒に遊べるってことなの?!!すげー!!」


 それから、翔ちゃんはデスクにあったノートPCの電源を入れて遼に渡した。そして、O2を起動してキャラ選択画面に行くと、「Create New Character」というボタンを押した。


 遼は画面の文字はよく分からなかったものの、どうやってキャラの顔を選ぶのか、髪の色や髪型、性別に種族など、すぐに理解して自分用のキャラクターを作ると、「Ayn」と名前を付けた。


「なんて読むんだよそれ?」


「“アイン”だよ。昔居たおじさんが好きだって言ってた作家さんの名前。アメリカ人の名前あまり知らないからさ。あとは“アモン”くらいかな」


 “アモン”はファルクの主人公の名前だったので、翔ちゃんは、ああ、とうなづいて画面に向き直った。


 遼はそのままキャラクターメイクを終え、町に降り立つと、迎えに来てくれた翔ちゃんのキャラと外人のキャラと3人で冒険に出かけた。


 夢中で遊んで、気づくと半日が過ぎていた。もう辺りは暗くなっていたし、夕飯の時間だった。休日は住み込み従業員達の分の食事は無いので、翔ちゃんはどこかへ食事に行くと言った。そして、ノートPCの電源を切ると、ゲームパッドとACアダプタをまとめて袋に入れ、遼に渡した。


「なに、これ……?」


「やるよ。実はおれ、今月で工場辞めて実家に帰るんだ。だから、お別れの挨拶みたいなもんさ」


 いろいろな感情が遼を襲った。やっと久しぶりに遊べた翔ちゃんが辞めちゃうなんて。こんなに楽しいゲームを教えてくれたこの日が、楽しかった一日が、急に寂しいものに変わって行って、遼の心を満たしていた「楽しさ」の感情が一気に「哀しみ」で上書きされていった。


「これがあれば、俺が実家に帰ってもまた遊べるだろ?実家の工場を継ぐから、忙しくて遊べないかもしれないけど、でもまたO2の中なら会えるぜ」


 遼は泣きそうになり、こみ上げて来る悲しみをなんとかこらえて、必死で言葉を絞り出した。


「分かったよ……ありがとう…またね…」


 そう言って、ノートPCを受け取ると、顔を見られないように振り向き、アパートの階段を駆け下りて、家に向かった。


「おかえりー、すぐ夕飯だから、手を洗っておいでー!」


 自分の部屋へ駆け上がる遼に、母はそう声をかけたが、遼は部屋に入って鍵をかけると、そのまま布団をかぶって、こらえていた感情を溢れさせた。びしょびしょになった枕に顔を埋めたまま、目が冷めたのは次の日の朝だった。


 目覚めるとなんだか、昨日の出来事が嘘のように感じられたが、傍らに置かれたノートPCの入ったバッグが、あれは現実だったと物語っていた。


 それからしばらく経った日曜日、翔ちゃんのお別れの日が来た。もともと彼が持っていた軽トラックの荷代に色々な荷物が積まれた状態で、休みだと言うのに、みんな早朝から起きてきて、見送りの準備をしていた。


「じゃあ、またな。次はO2の中で会おうぜ!」


 そう言って翔ちゃんは遼の頭をワシャワシャとして、その後右手を差し出してきたので握手をしたが、思い切り握られて本当に痛かった。


 悲しい、寂しい、そう思っていたのに、遼はもう数日前に別れの悲しみ分の涙を流してしまったらしい。不思議と冷静なままで別れを告げた。


 みんなが手を振るなか、翔ちゃんのトラックは工場から住宅街に入り、やがて大通りに出るあたりで見えなくなった。その後、O2を何度か立ち上げた遼だったが、翔ちゃんのあのキャラに出会う事はもう2度と無かった。

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