『堕天使』と『魔物』の間で……④

 突如として訪れた『厄災』に、教室内は騒然となった。

 それは奇しくも、羽根を震わせ、カサリと音を立てながら蠢く『巨大G』の姿そのものだ。


 黒光りする外殻、やたらと長い触角、そして予測不能の高速ダッシュ。人類の本能が……『病原を運ぶ不浄なるもの』と断じる外見が……女子生徒達の嫌悪と恐怖を瞬時に引き出した。


「きゃああああ!『G』!」

「ふぇぇぇぇっ!」

「あばばばばばっ!? 何で何で何でぇっ!?」


 入口付近でお喋りに興じていた涼風茉里愛すずかぜまりあ、一之瀬きらら、矢矧瑞月やはぎみづきが、一斉に悲鳴を上げる。

 それは単なる驚きではない。幼い頃から親やテレビが繰り返し刷り込んできた「『G』=最悪の侵入者」という認識が、条件反射のように叫びを引き出しているのだ。

 三人は慌てふためきながら、机を盾にして身を隠そうと必死に足掻いている。茉里愛は友達の陰に隠れようとし、きららは椅子の上に飛び乗って足をすくめ、瑞月に至っては机の下に完全に潜り込もうと四つん這いになっていた。

 これが逆効果なのは言うまでもないが、パニックになった人間の行動は概ねこんなものだ。


「いやぁーっ!」

「こ、来ないでぇぇぇっ!」

「…………はひっ…………」


 次に悲鳴を上げたのは、ひかると玲子と同じ女子硬式テニス部でエースの一人、香坂颯月こうさかさつき。俊敏なフットワークを誇る彼女でさえ、予測不能に動き回る影を前に全身を硬直させ、パニック状態で叫び声をあげながら走り去る。

 普段なら華麗にステップを踏んで相手を翻弄する彼女が、今は恐怖で足がもつれ、転びそうになりながらも必死に距離を取ろうとしていた。


 コミュニケーションモンスターとして知られるチアリーディングチームの藤原飛鳥ふじわらあすかまでもが、血相を変えて逃げ惑う。華やかな笑顔は消え、残っているのは『不気味なものから離れたい』という純粋な生存本能だけ。

 普段は誰とでも気さくに話す彼女が、今は言葉を失い、ただひたすら後ずさりを続けている。


 そして静かに椅子に座り込み、人知れず失神しているのは、控え目で大人しい性格の女の子千早優里ちはやゆうり。凶悪な黒光りする物体が視界に入った瞬間、脳が現実を遮断し、最も安全な『意識を失う』という選択肢を取ったのだ。

 彼女の頭は机に突っ伏し、黒く長い髪が顔を覆っている。周囲の騒動など、もはや彼女の意識には届いていない。


 2年C組の教室は、今まさに混沌の渦中。阿鼻叫喚、悲鳴と足音が交錯し『暴走した闇の使徒』による学園制圧の始まりを告げる悪夢の序曲が、静かにしかし確実に奏でられ始めていた。窓際の男子生徒たちも状況に戸惑い、どう対処すべきか分からずにいる。教室全体が異様な緊張感に包まれ、まるで戦場のような雰囲気になっていた。


「君達は下がって! ここは俺が対処する!」


 恐慌状態に陥っている女子達を、まるで映画のワンシーンのように庇いながら立つ男子生徒がいた。

 瞬間、女子生徒達の悲鳴が途切れ、代わりに熱気を帯びたざわめきが広がる。

 光成学園高等部、女子人気ナンバー1の『完璧超人』『ナイスガイ』……それは在原弓弦ありはらゆづるだった。


 目の前にいる異様で悍ましい黒光りするフォルムの『G』を決然とした眼差し、ゆるぎない姿勢で見据えている。

 弓弦は、まるで舞台に降り立ったトップアイドルのように微笑み、右手を軽く掲げる。その仕草は完璧で、まるで計算され尽くしたパフォーマンスのようだった。


 彼の周囲を取り囲む女子達からは、淡いピンク色のオーラが立ちのぼり、空気ごと甘く染めていた。恐怖で凍りついていた表情が、希望の光に照らされて輝き始める。


 「キャーッ、弓弦くーん!」

 「がんばってー!」

 「私達を守って!」


 恐怖で青ざめていた女子達の顔に、希望という名のピンク色が差し込む。黄色い声援が飛び交う中、弓弦は一歩踏み出す。

 光に照らされる横顔は、自信と余裕そのもの。まるでファンに囲まれたステージ上で、次のパフォーマンスを予告するアイドルのようだった。その表情には一点の曇りもなく、完璧な笑顔が浮かんでいる。


……そう、ここに、強烈かつ見事なマッチポンプが完成していた。


 女子達に縋られながら、その背中越しに真人と理人へ視線を送る弓弦。

 そこには「俺、今めっちゃヒーローっぽくね?」という、わずか数ミリ単位の微細なドヤ顔が宿っていた。計算通りの展開に内心で勝利宣言をしながらも、表面上は完璧なヒーローを演じ続けている。


「何……だと……?」

「あり……えない……」


 状況を把握できず、その場に佇む真人と理人は、愕然とする余り手にしていたコントローラーをポトリと落とした。二人の顔には、裏切られた者特有の絶望感が浮かんでいる。

 ようやく状況を把握し、利用されたと悟った瞬間の真人と理人の顔は、もはや芸術作品である。怒りと驚愕と諦めが入り混じった、複雑な表情だった。


「おのれ……」

はかったな! 在原氏!」


 そのセリフに条件反射的に反応するのが、弓弦もまた同じ陣営の者なのだろう。


「君は良い友人であったが、君の父上がいけないのだよ」


 と、意味不明な台詞で真人と理人に応じていた。その口調は相変わらず涼やかで、まるで舞台上の台詞を読み上げているかのようだった。


「……くっ、我らは悪魔の傀儡と化したのか……!」

「おのれ反徒めっ……許すまじ……!」


 中二病全開の怨嗟の呟きは、当然ながら女子達には聞こえていない。二人は悔しさのあまり、拳を固く握りしめている。

 一方、クラスのアイドル状態になった弓弦は、完全に計算通りの展開にほくそ笑んでいた。


――これで女の子達からの評価は盤石……

  異常研・・・も存外役に立ってくれるじゃないか


 胸の内で冷静に勝利宣言をするあたり、ヒーローというより政治家のそれであった。相変わらず二人の活動名を呼び間違えているが、大勢に影響はないだろう。


「後は俺が『TypeGコイツ』を停止させて終わりだ」


 そう言いながら、弓弦はポケットから強制終了スイッチを取り出した。これは奴等には存在すら伝えていない最終装置。これで詰みチェックメイトだ。

 そこで問題が起きた。


「あれ?」


 弓弦が強制終了の操作をしても、一向に止まる気配がなかったのだ。止まるどころかむしろ更に動きが俊敏になっていく。

 実は、玲子が放ったキックは、想像以上に威力が大きすぎたのだ。彼女の繰り出した蹴りキックは『TypeG厄災G』の回路を見事に直撃クリティカルヒットし、その衝撃でシステムは物理的に破壊され、強制終了機能は無効化……いや更に活発化アクセラレーションされていた。


「まずい……」


 流石の弓弦にも緊張の色が浮かぶ。しかし、呪縛を解かれた『G』は容赦なく次の獲物ターゲットを探すべく、目を赤く光らせ2本の『触角』を動かしている。


「グポン!」


 直後、赤く光る目が一層強く凶悪な光を放った。


「ひっ、ひいいいっ! どうしてワタシなんかにぃー!」


 机の下に隠れていたが故に『触角』を向けられた少女……矢矧瑞月やはぎみずきが腰を抜かしてその場にへたり込む。



 そして……静かに教室のドアが開いた。

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