第22話 不確かな口約束 *律視点
ずっと一緒にいたいと願ったところで、すぐに契約で縛れるほど自由ではない。結局出せないまま荷物に詰め込んだ婚姻届は、未だにただの紙切れだ。
それでも、信じたくなる。こんな不確かな口約束を。
愛されることに慣れていたなら、こんな選択はしなかったと思う。この明確な言葉を当てはめることの出来ない不確かなつながりが、自分たちの全てだった。
わかっていた。
それでも、一緒にいたいと願ってしまったから。
「……かわいい」
並んだ露店に目をとめて、しゃがみながら見るアクセサリー。美尊の楽しそうな横顔を眺めながらふと気付くのは。
「あれ、耳開けてたっけ」
「はい、高校生の時に。その時は、開けたら悪い子になれると思ってたんですけどね……」
「10個ぐらい空けたらなれるんじゃねぇの」
「それ耳たぶ重くないです?」
「気にするとこ実用性なの?」
いや1個でもすごく怒られましたけど、って笑ってるのを見て、周りの人間の言いたいことがなんとなくわかる気がした。今は時間が経って馴染んでいるけれど、それでもその容姿には痛々しく映ることだってあるだろうから。
「んん、どれも綺麗……、……あの、どれがいいですかね?」
「全部買えば。……すみません、これ全部──」
「まっ、待ってください!」
「え?」
これだから富裕層は……! なんて言いながら頭を抱えられた。そんな高くもないし、どうせどれ付けても似合うだろうなと思ったから買おうとしただけ。露天のじいさんは意味ありげにニヤついてこっち見てくるんだけど、なにその訳知り顔。
「違うんです。……お金は、自分で払います。これは譲れないです。あと、一つがいいんですよ」
「なんで?」
「今日、すごく楽しかったから、形に残しておきたいんです。いつでも身に付けていたいので、律さんが選んでくれたものが一つ、あればいいなって、その……」
……あぁ、そう。
徐々に歯切れが悪くなってきて、目線すら合わなくなってくる。それ聞いてダメなんていえるヤツいないだろ。美尊にグッジョブサイン出してる露天のじいさんは分かってた、てか。
「じゃあ……」
どれも似合う気はするから、それなら俺の好みで選びたいと思って。
様々な輝きを放つ宝石の中で、一際目についたのは。
「……これ、とか」
「わかりやすいねぇ、にいちゃん」
琥珀色の、小ぶりなピアス。
きょとんとする美尊に、じいさんが余計なことを吹き込む。
「どういうことですか……?」
「この色、ねぇちゃんの目の色とそっくり。よく見てんだね」
「こ、こんなに綺麗じゃないですよ!?」
わたわたと慌てる様子を見ていると、逆に冷静になってくる。案外気付かないもんなんだな、そういうの。俺は初めて会ったとき、強烈に惹かれたきっかけだったなと思い出す。けどそれは言ってやらない。だから代わりに。
「……綺麗だよ、琥珀色」
「……っ、」
恥ずかしさからか潤んできてる瞳を覗き込んで、じっと見つめながら言ってみる。予定調和のように赤くなっていくし、眉は八の字だし、バッと下向いて顔見せてくれなくなったし。……あーあ、おもしろ。
「こ、これ……」
「ん?」
顔隠しながら震えた手で指差してんのは、別のピアス。
「おぉ、ねぇちゃんもか」
タンザナイトに似た石がはめ込まれていたそれは、紫にも青にも見える、不思議な色をしていた。
これ、流れ的に俺の目の色だろうけど。それこそこんなに透き通ってはない。どんなフィルターかかってんだか、…………アレか。俺がデレデレしてる時の目。
えぇ……なんか嫌だな、それ。デレデレ、つーか欲塗れだしな普段。琥珀と対比したときの俺の濁りようはひどいと思う。そういう純粋さ向けられると、罪悪感すごいことになるんだけど。
「あの……これ、交換しませんか?」
「交換?」
「はい、律さんの色、身に付けたくて」
なんかの儀式だな、それはもう。
それこそ互いの存在を忘れないために。付けたら消えないものだけど、いいの。そう尋ねると、消えないところがいいんですよ、だそうで。恥ずかしくはあるけど、こういうのも悪くないかもなと思い直す。
「外すなよ」
「律さんこそ」
日常の中で笑う美尊は、あまりにも儚い。だからこそ、俺のだとわかる物を身に付けてくれたことが自分にとっても、大きな意味をもった。指輪じゃないところが、俺たちらしい。
帰り際、露店のじいさんにどんな関係だとにやついた顔で聞かれたから。彼女とも妻とも違う気がして、しっくりくる関係を当てはめることができなかった。ただ、愛しい人ですと答えたら、美尊は当然のように顔を赤くした。私もですとかなんとかじいさんに言おうとしてるけど。
「俺には直接、言ってくんないの」
「こんな街中で言えないですよ……っ」
「……それさっき言った俺が常識知らずみたいじゃん」
「え……今さら気づいたんですか?」
「急にえぐるのやめてくんね?」
お前も人のこと言えないよな。
だからこそ、常識にとらわれてちゃしないままだった選択を二人揃ってやってんだけど。……アイツがバカップルって言ってたの、今になって刺さってくるわ。そこに嫌悪感を抱いていないのが、この子に染まりつつある証拠。むしろ、似てるとこあんのがちょっと嬉しいとすら感じてしまっている。
穏やかだと思う瞬間は、とても心地好い。随分忘れていた感覚。
……だからたぶん、慣れない幸せに浮かれすぎていた。
深く暗い現実が、本来俺がいるべきところはここではないと告げるように。
「……みこと……?」
翌朝、目を覚ました隣に君はいなかった。
冷たいシーツと、空のペットボトル。他の部屋も外も探してみるけれど、見つからない。連絡もつかない。
みこと。
もう一度呼んだその名前に、返ってくるものはない。
一人静かな部屋に響いて、消えた。
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