第5話 職場が決まりました

「クラブで働け」

「はい?」



 悪魔……もとい律さんは、書斎中央に配置されたガラステーブルに、タブレットを置く。


 寝る支度が整ったら書斎来て、と言われて、あらゆるドアを開け放ってどうにか参上したところに冒頭の発言。


 遅かったな、とあくびを噛み殺して対面のソファに座る律さんに、仕事内容教えてもらったけどお家の案内はひとつもしてくれなかったじゃないですか、と軽口を返す。広すぎるだろ、この家。入り口はマンションだったはずなのに、異次元空間に迷い込んだみたいに部屋が多い。



「この階全部ぶち抜いてるからな。……まぁ、俺のマンションだし」

「さらっとお金の暴力やめてもらえます?」

「節税対策だよ」

「規模がおかしい」



 そうかな、と手を後ろについて伸びをする律さんは、強烈な第一印象よりもだいぶ柔らかだ。重そうなまぶたが、会話をスローペースにしている原因と同じなのかもしれない。


 あぁそうだ、とゆるゆるポケットを探る動きも、おじいちゃんみたいな緩慢さで。



「迷ったら、電話しろよ」



 ぽい、と投げ渡された長方形の薄いものを慌てて受けとる。私のスマホ。開いて見ると、職場と同僚しか入っていなかった連絡先すら消され、一つだけ表示されている番号。メッセージアプリも同様。


 ……うわぁ。私の外界とつながる手段、警察か律さんの二択しかなくて究極すぎる。ていうかなんだ、このふざけた表示設定。



「……あの。ご主人様ってのはやめませんか」

「ダーリンでもいいよ」

「デーモンにしておきますね」

「やめろ」



 名前で大喜利やってる場合じゃねぇんだよ、と再び奪われた端末に打ち込まれたのは、結局本名。最初に始めたのあなたですよね、なんて反論は一睨みで銀河にでも飛んでいきました。



「……んで、本題だけど」



 こめかみを指で軽く揉みながら。一度消えていたタブレットを操作し、こちらにあるSNSの写真やアカウントを示される。


 ……なんていうか、宝石みたいにキラキラした、だけど高級感のあるところ。見たら目がつぶれるようなまばゆい美人さんばかりが、優雅に微笑んで手を振っている映像が流れていく。



「クラブ……Nana……?」



 その中でも一際目を惹く、目元の涼やかなほくろが艶っぽい、着物がよく似合う美人さん。この方がママ。女としては今すぐにでも弟子入りしたいくらいですけど。


 ……そういやこの人さっき、クラブで働けって言ったな?



「そう。この店で、ホステスとして働いて稼いでこい」

「……ここ、明らかに高級そうで私には場違いな気が」

「返事は?」

「ハイ」



 ホステスさん。そういうコンセプトの風俗店でもなく……? そりゃ体を売るのは抵抗があったけど、でもまたどうして急に方向転換を。


 私の疑問も想定内だったのか、こめかみに当てていた手をずらして、頬杖を付き直す。



「お前敏感過ぎだし、技術も接客も全然ダメ。体が使い物になるまでは、このクラブで妥協してやるから」



 ……え? ……いや、いやいや。

 今さらっと流しちゃいけないことあったよな?



「つ、使い物になるまでというのは……」

「俺がお前に教え込んでから、てことだよ」



 教え込む。教え、込まれる。律さんに?



「あ、れ以上があるんですか……!?」

「喜べ」

「……わーい」



 喜べるわけがないだろ。


 ついさっき地獄を見たばかりだぞ。アレをもう一度体験するとか恥ずかしすぎて死ぬ。思い出したくもない。この家に住むことからして最悪だと嘆いていたのに。じゃあこの状況はなんだ。一周回って最高とでも言えばいいのか?


 ……いいや、深まっただけの地獄なんですけど??



「どうしても体を使わなきゃだめですか……」

「それ以外に早く稼げる方法があるならな」

「…………宝くじ、」

「絞り出してそれな時点でねぇだろ」



 私のポンコツな頭じゃ思い付きもしないだろうけど。律さんだったら、何か知ってて言わないだけなんじゃないですか。怖いことしないって、言ったのに。


 そう溢せば。



「だから、怖くないようにするんだよ」



 する、と髪に触れる指から逃げるように身を引くと、少しは警戒心が身に付いたようで何より、と笑われた。



「……いや現時点で巻き返し不可能なくらい怖いですけどね」

「ひっくり返すのが醍醐味だろ」



 先ほどよりも棘の抜けた笑顔でからかう様子に、言い様のない感情が広がる。怒りや憎しみ、恐怖だけではない、何か。


 本能的に後ずさったこの防衛本能が、意図的に壊されてしまう。そんな未来を予感させるような言葉が、とても怖いと思った。



「まぁ、慣れてお前から誘ってくれりゃ安心して送り出せるわ」

「一生住み込みしてますね」

「それはそれで楽しそうだけどな」

「……やっぱり保留で」



 あっそう、と膝に手をついて立ち上がる。もう話すことはないとでも言うように、怠そうに部屋から出ていく猫背。


 シャワーを浴びていたはずなのに、乾きつつある髪が少し跳ねている。ぼけっと見ながら律さんと呼んでみると。



「……なに」



 小さかったはずなのに、聞き取ったのか振り向く表情はもう眠る寸前。



「家に置いてくれて、ありがとうございます。今日からよろしくお願いします。なるべく早くここから出ていけるようにしますね。お金、絶対完済するので。……おやすみなさい」

「………」



 どうやら悪魔と契約してしまったようだが、こうなってしまってはもう仕方がない。


 一日が濃すぎて、私も正直処理落ち寸前だから、もう何も考えたくない。だけどどんなことにも感謝を忘れるなと、子どもの頃から母に口酸っぱく言われてきたものだから、言わないともやもやして。



「……律さん?」



 下げていた頭をあげると、彼はゆっくりと一つ瞬きをする。何か言いたげに開いた口からは、……あぁ、と低めの声の返しがあったことくらい。


 そのままふいっとまた背中を向けて出ていってしまった。ほんと猫みたいだな。



「ま、いいか。寝よ」



 今日が終わるのは怖いけど、明日は明日の自分がどうにかするさ。取り敢えず野宿回避だけでも喜ばねばと、部屋を飛び出して気付く。


 ……私、どこで寝たらいいの。



「ちょっ、律さん!! 置いてかないで!!」



 振り返った律さんは、楽しそうにニヤリと笑って、さっさと部屋に入っていく。ガチャリ。扉をたたくも、どうにか見つけろと素っ気ない返し。



「そ、そうだ電話!! ……あっ、もしもし律さ───…………着信拒否すんなよッ!!?」



 あの野郎。部屋の中からヒーヒー言ってる笑い声が聞こえる。え、私おちょくられすぎでは?


 ……明日の朝食、覚えてろよ。

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