Million dollar
千景 もも
第1話 借金取りの悪魔
「───え、……?」
働いていた会社の借金の連帯保証人にさせられた。
会社はすぐに倒産した。社長逃走。オフィスの中はもぬけの殻。残ったのは、『たのむ』と不吉な赤文字で書かれた社長のメモ一枚。精神科通い量産のパワハラ社長が人に助けを求めるなんて、珍しい。
そんなことしか思い浮かばなくて、何から考えたらいいのかを探り始めた頃に現れた、とても美しい男。
「アンタが
「……………ちがいますけど」
「身分証。出せ」
「いかにも私が本田 美尊です。本日はどういったご用件で」
……現実さえ受け入れられないのに、次から次へと振りかかるもんだ。
私の名前を聞いて確信をもったのか、ふわりと笑うこのお兄さん。明らかにヤバい尋ね人じゃないですか。足音なく急に背後に立たれてたの、ホラーでしかない。
丁重にもてなさねばと本能的な指令が脳に下り、粗茶を出そうとして固まる。
……私、給料7ヶ月未払いで残金666円とかいう不吉な綱渡りやってる最中だったんですよ。そんなわけで出すお茶もないから、よければとひねった蛇口でさえ水が出ない。嘘でしょ。
いらねぇよ、と私を追い抜いて、いくつか残っていた家具の中の、一等豪奢な社長椅子に手を掛ける怖いお兄さん。圧倒的強者の佇まいが、その椅子に誰よりも相応しいと主張している。あの社長よりよっぽどその椅子似合ってますよ。
「用件な。良いニュースと悪いニュース、どっちから聞きたいか選ばせてやってもいいけど」
「良いニュースだけってのは」
「世の中そう上手くはいかねぇの、身に染みたとこだろ」
「……ですねぇ」
どかりと腰をおろした椅子の埃が舞ったことで、舌打ちをして私を睨み付けるお兄さん。
縮み上がる心とは別に、掃除してる場合じゃなかったの分かってますよね、なんて文句を押し殺す。
「んで、どっち」
「……じゃあ、悪いニュースから」
あえてのね。嬉しいことは最後にとっておくと喜び倍増するじゃないですか。彼は視線を私から持っていた書類に向け、一つ溜め息を吐いて、また私を見据えた。
「お前さ、借金どんくらいか覚えてる?」
「あ、えーっと……確か2000万?くらいだったと」
「じゃあ今は?」
「……へ?」
今? 今ってどういうことだ。
まさか、さらに借金してたってこと? それなら何か一言でもあるはずじゃないのか。次々に沸き上がってくる疑問を抱えていく私に、憐れむような目を向けたその人は。
「あのな。俺ら慈善事業じゃないんだわ。借りた金を返すだけじゃやってけねぇだろ。アンタ利子って知ってるか」
りし。りしって、あの利子ですか。
急いでポケットから取り出した端末の検索エンジンに、ひらがなのまま単語をぶちこむ。……あー、ハイハイ。これですね、紛うことなき利子。
「賃借した金銭に対して、ある一定利率で支払われる対価。……ですよ」
「Wi○ipediaいいよな」
バレちゃってるよ。いやそれは今どうでもいい。
ていうか、え? 一定利率で支払われる対価って言ったって、せいぜい3%とか、闇金でも10%とかじゃないの? 月単位で返す計算だとしても、借りてからまだ5日目なんだけど。
「残念だったなー……お前んとこのボスはお前より頭が悪かったみたいだ」
「ど、どういう……」
徐々に深くなっていく意味深な笑みと引っ掛かる物言いに不信感を抱き、理由を聞こうとすると一瞬にしてその笑みは消えた。
──バンッ!!と机に叩き付けられた紙。
「一億だ。耳揃えてきっちり返せ」
いち、おく……?
「うそ、」
──ドッ、と噴き出した冷や汗。
人生でこんなにも恐ろしい場面に遭遇したことは、思い返してみても無い。
待ってくれ。本当に頭に入ってこない。非現実な数字というのがまた処理落ちの原因で。ゼロいくつあんの。いち、じゅう、ひゃく、せん、ま、…………あ、ダメだこりゃ。
その間、男はおもしろいものを見つけた時のように悠長に眺めている。
「った、」
「現実だからな」
夢かと思ったから机に頭突きしたんだ。でも痛かった。絶対夢だと思ってたから結構強くぶつけた。無意味に細胞殺しちゃった。アハハ。
「あああ、あの、何がどうなって一億に? たった5日ですよ。元金から5倍に膨れ上がるって相当やばくないっすか。これ違法でしょ警察行きますよえぇ?!」
「心配しなくてもいいよ。パーンといくだけだから」
「カヒュッ………」
……パーン、とね。
何を、なんて聞く勇気はもうなかった。だって胸ポケットからちらつかされたそれで全部理解しちゃった。お前酒呑むって聞かれていいえと答えれば、じゃあいい肝臓なんだなとにっこり。
……いやです、臓器とまだバイバイしたくありません。
「ん、」
顎で紙を示し、ほら書けと無言のまま促される。無感情な瞳が私を捉えて、この男が心を少しでも変えてくれはしないだろうかという僅かな可能性が一瞬にしてゴミ箱へ。
「えぇ……っと、」
「なに」
心の奥底まで引きずり出すような、深い濃紺の瞳が私を捉える。逸らして一度落ち着こうとすれば、それを追うように顔を覗き込まれた。
そこからゆっくりと口角を上げたと思ったら、埃の被った椅子に体を預けて足を組む。
「サインしねぇならロクでもない風俗にでもぶち込むかぁ……」
「どこにサインすればよろしいでしょうか」
やけに大きい独り言。否、これは聞かせにきている。
クツクツと押し殺すように笑う顔が意外と可愛いのが逆に怖い。悪魔って天使みたいな見た目してるんだ。ギャップに騙されたら終わりだ。平気でそういうところにぶち込む男ぞ。こいつならやりかねん。
震えるペン先を押さえつつ、どうにか名前を書ききると、悪魔は満足そうに口端を上げる。彼が無駄に長い脚を組み替えたことで、身を乗り出すように書いていた私の前髪がぱらりと揺れた。……これ、書かなかったら顔にめり込んでいたのでは。
「はい、どーも。返済計画はまた詰めていくとして。なんか聞きたいことは?」
確認すると、満足げに笑って丁寧にしまわれていく契約書を見て、もう戻れないんだろうなと悟りつつある。代わりに渡された、ざっくりとした返済計画案はとーっても分かりやすいですよ。でも読みたくない。脳まで届けて読み込む気力もないまま眺めていると、気になる項目が。
「住み込みで働くんですか……? この賃貸人の、
「俺」
「………オレ? 外国の方はちょっとハードル高いかなって」
「ちげぇよ。俺だ、つってんだろ。諦めろ」
くるくるくる。頭がローディングを繰り返して。
「……ハハハ」
──ゴン。
もう一度机に頭突きした。
……もういいよ。誰でもいいから夢だと言ってくれ。
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