レインボーサマー
卯月まるめろ
第1話 夢と魔法
「レインボーサマー! ダイアナ、悪と戦うわよ!」
「オレを悪者にするな! あと、その変な棒は捨てろ」
「にいに、ひどい。変な棒じゃないもん! 魔法使いのステッキだもん!」
「虹夏ちゃん、将来の夢をばあばに教えて」
「えっとね、魔法使い!」
夏休みになると田舎に住む祖父母の家へ行き、兄と二人で遊んだ。
幼稚園で作った、広告を丸めた棒のてっぺんにへったくそなハートの折り紙を貼り付けただけのステッキを振りかざして、「魔法使いになりたい!」と宣言すると、祖母はとても喜んでくれた。
だが成長すれば、嫌でも現実を見る。
……語弊があったかもしれない。魔法使いになれないことが残念なのではなく。それを無邪気に信じることができた幼少期が、考え無しで羨ましい。
そう思うだけだ。
私が歳を重ねるだけ、別れも増える。私が一つ、ものを理解するだけ、不安が増える。
あれから十二年。
祖母は入院し、祖父は施設に入り、兄は大学進学で家を出た。
魔法使いになれると無邪気に信じていたあのころの私に言いたい。
――今を楽しんでおけよ。永遠なんて存在しないからな。
◇◇
ミーンミーンミーン
聞くだけで暑苦しいセミの鳴き声が、私の耳にへばりつく。どっと汗が噴き出す。
「ああ~。ガチ〇ね! 宿題出すんじゃねえよ、あのデブ教師が!」
高校の夏休みの課題を前にして、ブチ切れる私。
「虹夏ちゃん、死ねって言っちゃいけないんだ~。せいちゃんは、そうやってママに教わったよ? あと、春子先生もそうやってしずる君に怒ってた」
……しずるって誰だよ!
声のする方をぎらりと向くと、細い髪が腰まで伸びる少女が、大きな目をきゅるるんと瞬いて首を傾げる。
その姿が妙に様になっていて、すっかり毒気を抜かれる。
「……ああ、ごめんね、星良」
星良は私の言葉にニコリと笑って返す。五歳とは思えない笑顔の圧に、私は恐れおののいた。
彼女の名は
夏休みの今、星良の両親は仕事で忙しいので、うちで預かることになった。
星良は自分の家で朝ごはんを食べたあと、弁当を持ってうちに来る。それから午前中は私の勉強を見守り、午後は私が公園に連れ出す。
私の母も家にいるのだが、帰宅部で友達にも恵まれなかった私に星良の全てを押し付けてきた。
「虹夏も星良の面倒をみると、いろいろ勉強になるかもよ。星良はしっかりしてるから、虹夏が勉強サボってないか、見張っててもらうわ~。うふふ」
めちゃくちゃな言い分だ。
……まあ、お小遣いもらうから? 許容範囲っていうか、なんていうか……。
そんなこんなで、今に至る。
学校の担任に暴言を吐きながら、殺す気で課題をこなす私の横で星良は私のベッドの上によじ登って、トランポリンのようにぴょんぴょんと跳ねている。
「ぴょんぴょん、ぴょんぴょん。虹夏ちゃんみて! せいちゃん、天井に手が届くよ!」
「あ~、はいはい。すごいねー。落ちないように気を付けて」
私は課題とにらめっこしながら、ちらりと星良の様子を見て、感情のこもらない声でそう返した。
今は八月。七月から星良と一緒にいるせいで、適当なあしらい方が分かってきた。下にきょうだいのいない私は小さい子と接する機会があまりなく、最初はおっかなびっくり相手をしていたが、すぐにそれは無駄なことだと察した。
危ない事しなきゃそれでいい……とシャープペンを握ったまま再度星良に目をやると、天井に向かって手を伸ばしながらベッドの上で飛び跳ねていた星良の動きがぴたりと止まった。
カリカリと記述の問題を解きながら問いかける。
「どした?」
「虹夏ちゃん……」
星良は、ベッドの枕元をじっと見つめていた。
視線の先には、私が持っても一抱えはある、首に赤いリボンが巻かれたテディベアが置かれている。
私が生まれたとき、祖母が買ってくれたぬいぐるみだ。小さいころの私はこれがないと眠れず、いつも持ち歩いていたらしい。名前はダイアナ。
「……虹夏ちゃん、これほしい」
「はっ?」
文字を紡いでいたシャープペンの芯が、ボキッと折れた。
**
しばらく星良と見つめ合う。
ようやく彼女が何を言っているのかが理解できた私は、椅子から立ち上がる。
「ちょ、ちょっと待って。星良。これが……欲しいの?」
「うん。そうだよ」
視線をテディベア……ダイアナに移す。
さっき述べた通り、ダイアナは祖母が生まれたときに買ってくれたものだ。かなり年季が入っている。中綿こそ出ていないが、顔には汚れがあるし、何より絶妙に古っぽい。
「あの。こんなのが欲しいの?」
「うん。そうだよ?」
……どうやら星良は本気らしい。
「何で欲しいの?」
再び問うと、星良はぷくっと顔を膨らませた。
「だって、パパのしょーせつが売れないから! うちはビンボーだからって、せいちゃんの誕生日プレゼント、かば焼き次郎だけだったんだよ! みらいちゃんは誕生日にわんわんのぬいぐるみもらったのに!」
星良の言い分に、私は頭を抱えそうになった。どこから突っ込んでいいのか分からない。
星良の父。私の叔父は小説家だ。脱サラ後、すぐに何かの賞を受賞して、華々しいデビューを飾ったものの。その後は鳴かず飛ばず……ゴホン! 失礼。思うように飛躍できず、かなり切り詰めた生活を送っているらしい。そのために奥さんつまり星良の母親も仕事に出ているため、幼稚園が始まるまでの夏休みの間、星良はうちで預かることになった。
確かに一個二十円もしないような駄菓子一つは想像しただけで涙が出るが、星良はパパの前でも小説が売れないと口にしているのだろうか。
きゅるるんと輝く目で身も蓋もないことを言う。子どもって残酷。
みらいちゃんという同級生の子が犬のぬいぐるみを買ってもらったのを聞いて、羨ましくなったのだろう。
だがこちらにも意地がある。
ダイアナは私のぬいぐるみだ。いくら従姉妹とはいえ、ほいほいとあげられるような代物ではない。
……それに。ダイアナを手放したら、小さいころの思い出が消える気がする。もう、子どもじゃないんだって、突きつけられるような気がして。
今私は、十七歳だ。来年は成人。来年とは言わずもっと近い未来、進路を真剣に考えなくてはいけない時期になる。
私は夢のない人間だ。小さいころは魔法使いになりたいだのなんだのってほざいていたが、小学校中学年くらいでそれを言ったら、完全に怪しまれる。瞬きのような子どもの間だけ、それを言うことが許される。
もちろん、本当はなりたいけど言えない、という話ではない。断じてない。
だが、子どものころは良かったと切実に思う。親や周りの人に守られて、感情のまま、純粋に。白いキャンバスのような子ども時代の心が、成長していくうえでいろんな色に塗りたくられて、いつしか余白が見えなくなってしまうような。
小さいころを思い出す度、そんな感覚に襲われる。
「虹夏ちゃん、虹夏ちゃん!」
服の裾を引っ張られて、我に返る。余白でいっぱいの、星良が私を見上げていた。
「お願い、虹夏ちゃん。大事にするから!」
星良のその言葉が、嫌に胸に残る。
私は、ダイアナを大事にできているだろうか。
枕元に置いてはいるが、寝ているときの足蹴に使ったり、よだれをたらしたり、蹴っ飛ばして床に転がったまま、学校へ行くときもあった。毎日撫でで話しかけることも、いつからしていないだろう。
……私は、ダイアナのちゃんとした主?
もしかしたら、星良にあげた方が、大事にしてくれるかもしれない。
そんな考えがよぎって、思わずこう口走っていた。
「そうだね。いいよ、大事にしてくれるなら」
**
そのあとの、星良の喜びようはすごかった。
星良は麦茶を持ちに部屋に来た私の母にも、「虹夏ちゃんからもらうの!」と報告し、迎えに来た自分の母親にも「虹夏ちゃんにもらうんだよ!」と目をキラキラさせながら迫っていた。
母親ズは、「虹夏がいいなら」「虹夏ちゃんにちゃんとお礼言って」と困ったように賛同した。
「ちょーっと待って!」
嬉々としてダイアナを持ち帰ろうとする星良に、私は待ったをかける。
「星良。ダイアナさ、お引越しの準備が必要だから、夏休みが終わるまで私のお家に置いておいてもいいかな? 夏休みの最後の日にあげるから」
「えー」
「こら、星良。虹夏おねえちゃんの言うこと聞かなきゃダメ」
星良の母親、叔母さんが星良をたしなめてくれ、ダイアナはあと一週間、うちにいられるようになった。
**
「シャープペンの芯……どこやったっけ」
星良が帰ったあと、私は勉強机の引き出しを漁っていた。星良にダイアナが欲しいと言われたときの衝撃で、シャープペンの芯を折ってしまい、予備も切れていたからだ。
「あれーないなー」
リビングに下りて、母親に問いかける。
「お母さん、シャー芯ない?」
「知らないよ? 買ってきたら」
「明日にでも事務ピチ行ってくるか……」
幸い、明日は土曜日で星良は来ない。
部屋に帰り、散乱した机の引き出しの中を片付ける。ダイアナは、ベッドの上にお座りして、私を見守っている。
「ん?」
引き出しの奥底に眠っていた三十センチ定規の裏に何かが貼りついていた。裏返すと、縦に細長く丸められた広告の棒の端に、角と角が合わさっていない、ピンクのハートの折り紙がついていた。
「うわ、懐かしー」
定規からぺりぺりとはがし、上の照明にかざす。
幼稚園のころも今と変わらず友達のいなかった私が、一人でにやつきながら作った、魔法使いのステッキだ。こんなちゃちいもので喜ぶほど、当時の私は単純だった。
このステッキをダイアナとともに持ち歩き、ダイアナを相棒のように見立て、兄を悪者にして戦ってたなぁ、と懐かしく思い出す。確か、呪文が……。
「レインボーサマー! なんてね」
私の名前、
「レインボーサマーだって、ダイアナ。レインボーサマー!」
ふざけてそう唱えながらダイアナに向かってステッキもどきを向ける。
ダイアナの顔に埋まったつるりとした目のボタンは、感情の色が見えない。いつだって黒々と照明の光を映し出す。
「ぬいぐるみはいいなぁ。変わらないって羨ましい」
「はあ。まだそんなこと言ってるの? 現実見なさいよね、虹夏」
……?
どこからか声が聴こえた。部屋に母親でも来たのか。後ろを確認するが、母の姿はない。
何が起きているのか分からなかった。いつもの部屋が、まるで違う場所に来てしまったかのような違和感を覚える。
耳を頼りに声が聴こえてきた場所を探る。
……ダイアナだ。
いきなりダイアナの口がパクパクと動き始め、そこから甘ったるくて可愛らしい声が聴こえてきたのだ。
ポカーンと口をあけてフリーズする私に、ダイアナはピクピクと手足を動かしベッドの上に仁王立ちする。
「まったく。いつまでも幼稚なこと言ってる主人を置いて、新しいご主人様のところに行けないわよ、心配だわ」
……あの、状況についていけないのですが。ダイアナが動いて喋ってる。
「えっと……あの……?」
「あたしはダイアナ。あんたの夢、魔法使いなんでしょ? 本当におめでたいわね。それを叶えに来たってわけ」
「いや、そんな偉そうに言われても……」
「とにかく。動けるうちに動いておきたいの。明日からあんたに付きまとうから」
「ええ……?」
ダイアナはそう言うと、ベッドに座り直す。動いてはいるが、てらてらと光る黒いボタンの目も、ニコリとカーブを描いた口元も、感情のない「もの」、ぬいぐるみそのものだった。
なぜこのようなことになったのか。よく考えてみると、思い当たる節があった。
「レインボーサマー……?」
これだ。これしかありえない。私の唱えた呪文? がダイアナに命を吹き込んで……ってそんなわけ……。
するとその感情のこもらない目をしたダイアナが、こちらを見上げてくる。
「何? 何怪物を見たような目で見てるのよ。口を閉じなさい、アホ」
「……ほぼ怪物でしょうが! アホってなんだ、アホって!」
めちゃくちゃ可愛らしい声でめちゃくちゃ暴言を吐かれるものだから、反応がワンテンポ遅れた。
いきり立つ私を横目に、ダイアナはパタパタと手を振る。
「いいわ。信じなくても。それだけあんたが大人になったってことよね」
何気ない調子だったが、私はぐっと押し黙ってしまった。
確かに、私が五歳だったら。喜んで信じたかもしれない。
今は、それを無邪気に信じることができない。それは、ある意味で当然のことで、今でも信じていたらそちらの方が問題だ。
でも。寂しかった。子どもから大人になるとき、私たちはいつの間にか、「夢」という魔法が解け、「現実」という魔術にからめとられるのだろう。
◇◇
お読みいただき、ありがとうございます!
大人になる葛藤、という今しか書けないことを書きたいと思い、書き始めたものです。届いていたら、うれしいです。
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