第4話 勇者の真実
その夜、俺は一人でバルコニーに出た。
虚無城の最上階から見渡す魔界は、原作で描写された通りの荒涼とした景色だった。黒い大地、赤い空、遠くで蠢く魔物たちの影。
だが、不思議と恐怖は感じない。むしろ、落ち着く。
これが俺の世界だ。3年間、毎日想像してきた世界。
「陛下」
背後からノワールの声がした。
「眠れないのですか?」
「ああ」
俺は振り返らずに答える。
「明日の夜、勇者軍がここを発つ。そして翌日、決戦だ」
「不安ですか?」
「不安というより...期待だな」
俺は夜空を見上げる。
「ついに会えるんだ。勇者アレクに」
「同じ転生者として?」
「そうだ」
俺は手すりに肘をつく。
「俺と同じように、あの最終話にキレて死んだ奴と。どんな気持ちでいるのか、聞いてみたい」
ノワールが横に並ぶ。
「私も気になります。勇者の立場から、あの結末をどう思っていたのか」
「お前はどう思う?あの結末」
「最悪でした」
ノワールが即答する。
「3年間読み続けて、最後に『愛の力』で全て解決。まるで読者を馬鹿にしているようでした」
「だろうな」
俺は苦笑する。
「でも、勇者側の視点だと、また違って見えるかもしれない」
「それは...どういう意味ですか?」
「勇者アレクは、物語の主人公だ。だが、実際には魔王の方が主人公的な扱いを受けていた」
ノワールが頷く。
「確かに。読者の共感も、魔王側の方が多かった」
「そう。勇者は終始『正義』を背負わされていた。『世界を救う』という重責を」
俺は思い出す。アレクの苦悩する場面を。
「第456話、勇者の独白。覚えているか?」
「はい」
ノワールが答える。
「『俺は本当に正しいのか?魔王を倒すことが、本当に正義なのか?』」
「そうだ。あの時のアレクは、明らかに悩んでいた」
俺は拳を握る。
「だが、最終話では何の迷いもなく魔王を倒した。『愛の力』に頼って」
「不自然でしたね」
「転生者なら、あの結末に納得しているはずがない」
俺は確信していた。
「アレクも俺たちと同じ気持ちのはずだ」
その時、遠くから光が見えた。
「あれは...」
ノワールが目を細める。
「王都リベラの方角ですね」
光は複数あり、こちらに向かって移動している。
「まさか...」
俺は目を凝らす。
「もう来るのか?」
だが、光は城の手前で止まった。
「斥候でしょうか?」
「いや」
俺は直感的に分かった。
「アレクだ」
「勇者が?一人で?」
「ああ」
光が一つだけ、城に向かって近づいてくる。
「迎えに行く」
俺は魔法で身を包む。飛行魔法だ。
「陛下、危険では?」
「大丈夫だ」
俺はバルコニーから飛び立つ。
「転生者同士、話がしたいだけだ」
夜空を飛ぶのは、思っていたより気持ち良かった。魔王の身体能力は、人間とは次元が違う。
光に向かって飛んでいくと、やがて人影が見えてきた。
白い鎧を着た、金髪の青年。
間違いない。勇者アレクだ。
彼も俺を見つけたようで、剣に手をかけている。だが、抜いてはいない。
俺は彼の前に着地する。
「勇者アレク」
「魔王ヴェルド」
お互いに、原作通りの呼び方をする。
だが、空気が違う。
原作のような殺伐とした雰囲気ではなく、どこか探るような、困惑したような空気。
「何しに来た?」
俺が聞く。
「...話がしたくて」
アレクが答える。
「話?」
「ああ」
アレクが剣から手を離す。
「お前も、転生者なんだろう?」
やはりそうか。
「ああ。お前もな」
「どこで分かった?」
「行動が原作と微妙に違う。原作を知っている者の行動だ」
アレクが苦笑する。
「お互い様だな」
「本名は?」
「...それを聞くか?」
アレクが迷っているようだった。
「別に強制はしない」
俺は肩をすくめる。
「ただ、同じ境遇の者として、興味があっただけだ」
しばらく沈黙が続く。
やがて、アレクが口を開いた。
「田中...田中雄也。28歳、会社員だった」
「黒瀬透。35歳、派遣社員」
お互いに本名を名乗る。
「どうやって死んだ?」
「最終話を読んで、激怒して、ベランダから転落」
アレクが答える。
「お前は?」
「同じく最終話にキレて、スマホを壁に投げつけて感電死」
「感電死か」
アレクが笑う。
「なんか、間抜けだな」
「お前も落下死だろう」
「お互い様か」
奇妙な連帯感が生まれる。
「それで」
俺はアレクを見据える。
「あの最終話、どう思った?」
「最悪だった」
アレクが即答する。
「3年間読み続けて、最後が『愛の力』で解決?ふざけるな、と」
「だろうな」
俺は頷く。
「俺も同じ気持ちだった」
「でも」
アレクが困った表情を見せる。
「この世界では、俺が勇者だ。あの『愛の力』を使う側だ」
「使いたくないのか?」
「当然だ」
アレクが首を振る。
「あんな安っぽい力に頼りたくない。ちゃんと戦って、ちゃんと決着をつけたい」
「なら」
俺はアレクに近づく。
「俺たちで、新しい結末を作らないか?」
「新しい結末?」
「原作の『愛の力』エンドじゃない、本当の最終話を」
アレクの目が輝く。
「それは...可能なのか?」
「やってみなければ分からない」
俺は手を差し出す。
「だが、やってみる価値はあるだろう」
アレクがしばらく俺の手を見つめる。
やがて、彼も手を差し出した。
握手。
敵同士のはずの魔王と勇者が、握手。
「分かった」
アレクが決意を込めて言う。
「一緒にやろう。本当の最終話を作ろう」
「ありがとう」
俺は本当に感謝していた。
「だが」
アレクが心配そうに言う。
「俺の仲間たちは、どうする?聖女ミリアも、戦士ガイも、魔法使いレナも、盗賊ジンも、みんな『愛の力』で魔王を倒すつもりでいる」
「説得できないか?」
「難しいな」
アレクが首を振る。
「特にミリアは、『愛の力』を信じ切っている。彼女にとって、それが全てだ」
「厄介だな」
「ああ」
アレクが空を見上げる。
「でも、何とかしてみる。少なくとも、みんなには『本当の戦い』をさせてあげたい」
「『本当の戦い』?」
「『愛の力』に頼らない戦い。自分たちの力だけで、最後まで戦う」
なるほど。
「いい考えだ」
俺は同意する。
「俺の四天王たちも、『死んで当然』だと思われるのは嫌だろうし」
「四天王も?」
「ああ。全員、俺に協力してくれる」
「転生者か?」
「いや、NPCだ。だが、心はある」
アレクが感心したような表情を見せる。
「すごいな。NPCまで味方につけるなんて」
「お前もできるさ」
俺はアレクの肩を叩く。
「同じ転生者として、力を合わせよう」
「ああ」
アレクが頷く。
「では、明日の夜、いつも通り出発する。だが」
「だが?」
「戦いは、『愛の力』なしで決着をつける」
「承知した」
俺は微笑む。
「久しぶりに、まともな戦いができそうだ」
「楽しみにしてる」
アレクも笑う。
「では、また明後日」
「ああ、また明後日」
アレクが光の魔法で空に舞い上がる。
俺もそれを見送ってから、城に戻る。
バルコニーにはノワールが待っていた。
「どうでした?」
「上手くいった」
俺は満足そうに答える。
「勇者も、俺たちの味方だ」
「それは良かった」
ノワールが安堵する。
「これで、本当の最終話が書けますね」
「ああ」
俺は夜空を見上げる。
「転生者同士で作る、本当の物語だ」
明後日、決戦。
だが、もう敵同士じゃない。
俺たちは協力して、この世界の真の敌—物語の修正力と戦う。
『執念』と『愛情』と『怒り』で結ばれた、新しい絆で。
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