ラプソディin神奈川

無名

ラプソディin神奈川

駅を出ると、日がだいぶ傾いていた。官舎に着くころには真っ暗になっているだろう。

もう商店街は閉まり始める時刻だが、駅前はごった返していた。どうやら『神奈川県警解体デモ』なるものが行われているようだ。そういえば昨日、神奈川県警に特殊部隊が新設されるというニュースが流れていた。

「取締強化にはんたーい!!」

「ワシらの人権を尊重せよー!!」

メガホンを持ったおっさんたちが拳を突き上げている。僕は思わず目を伏せ、バスに飛び乗った。

「怪しいおっさんに遭遇したら」

田中士長がその話をしてきたのは、先日の飲み会の席でのことだった。

「絶対に目を合わせずに、通報してくださいね」

「そんなに危険なんですか」

僕が尋ねると、加藤曹長があきれたように溜め息をついた。

「そんなんでよく1か月無事でしたね」

そんなことを言われても、この1か月、職場と官舎の往復しかしていなかったのだから許してほしい。一度うさ耳を着けた不審者に追い掛けられたことはあるが、それ以外には危険を感じたことはない。明日が月曜日であることの方がよっぽど危機である。

そんなことをぼんやり考えていたら、降りるべき停留所を2つも過ぎてしまっていた。僕は慌てて降車ボタンを押し、バスを飛び降りた。

辺りはすっかり暗くなっていた。人通りのない道を足早に歩いていると、ふと人の気配を感じた。誰かが付けてきている。ぺたぺたという足音がはっきりと聞こえる。僕は意を決して振り返った。おっさんの生い茂った胸毛が視界に飛び込んでくる。目が合う。

「絶対に目を合わせずに、通報してくださいね」

田中の言葉を思い出したときには、おっさんがつかみかかってきていた。僕は声にならない悲鳴を上げながら駆け出した。おっさんの息遣いを耳元に感じながら、携帯電話を引っ張り出す。

「はい、110番。事件ですか、事故ですか、おっさんですか」

「おっさんです!」

叫んだ直後、肩をつかまれた。携帯電話が宙を舞う。おっさんを振り払おうとした僕はバランスを崩し、おっさん共々アスファルトの上に転がった。

「君もおっさんになるんだ!おっさんになるんだ!」

おっさんは絶叫しながら、僕のシャツをつかんだ。第二ボタンが弾け飛ぶ。

「いやだ!おっさんにはなりたくない!」

僕はおっさんの股間に膝頭をぶち込み、逃げようとしたところで、まばゆい光が僕とおっさんを包んだ。目の前に突如現れたのは、どう見ても爆発物処理車だった。助手席から、グリズリーみたいな体格の男が降りてくる。男の手にしたサブマシンガンが僕を睨む。

「ちぃーっす、神奈川県警でーす。通報したの、おにぃさん?」

男が小さく首を傾げ、僕とおっさんを交互に見る。僕が頷くと、男はまだ痛そうに股間を擦っているおっさんに近付いた。

「通報あざーっす」

言うが早いか、男はおっさんの首根っこをつかんで持ち上げ、爆発物処理車の円筒えんとうにぶち込んだ。おっさんの独特な鳴き声が、一瞬にしてけたたましいサイレンにき消される。

「それじゃ、おにぃさん、気を付けて帰ってね〜」

去っていく爆発物処理車を見送りながら、僕は二度と夜の一人歩きはしないと決意した。

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ラプソディin神奈川 無名 @mumei31

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