第3話


 一助は朝一番で市役所に電話を掛けた。少し待たされたが、当時バラの配布を行った担当者に取り次いでもらえた。当時の資料も引っ張り出してきてくれたようで紙をめくるような音をさせながら担当者は丁寧に答えてくれた。

 配布を行ったのは六年前の十一月十三日から二ヶ月間。初心者にも育てやすいグランドカバーローズの配布を行った。好評だったようで五百株を用意したものは全て配りきったということだった。色は赤、ピンク、黄があったようだが内訳は不明。誰に配ったかも記録は取っていなかったそうだ。

 礼を言って電話を切った一助は、本棚にあった園芸カタログを開いた。


 グランドカバーローズ

樹形:横に広がる低木性。高さは低く、株幅が大きくなる。

花期:四季咲きまたは繰り返し咲きで、長期間花を楽しめる。

特徴:病気に強く、管理が容易。剪定や薬剤散布の手間が少ない。

用途:花壇の縁取り、斜面の土留め、広い面積の彩りに最適。

景観性:株全体を覆うように多数の花が咲き、地面を彩る“花のじゅうたん”のような景観を作る。


写真を見る。小ぶりな赤い花が密集するように咲いている。花部分をアップにした写真も色ごとに載っていた。

はっきりとはわからないがタツヤに突き刺さっていたバラと同じものに見える。この点は後で智明に確認すればわかるだろう。

 一助はカタログを閉じた。

「とにかく動くこと」

両頬を叩いて立ち上がるとヘルメットを手に取って玄関に向かった。

空は白い雲に覆われていたが、ところどころ青い色が覗いていた。丘から見下ろした海は穏やかに凪いでいた。天気は持ちそうだ。

駐輪場に置いてあったスーパーカブにまたがりエンジンを掛ける。ギアを一速に入れ、丘を下っていった。

 

 野口雨情記念館。今日は車止めは上がっていない。営業しているようだ。駐車場にカブを停めてヘルメットを脱いだ。

嫌でもタツヤを発見したときのことが思い出される。一助は銅像の脇へ歩いていく。タツヤの遺体があった場所へ手を合わせた。

目を開けて記念館へ向かう。茶色いレンガ造り風の四角い二階建ての建物。正面のガラス戸の前に立つとセンサーが反応し、ドアが開いた。

「いらっしゃいませ」

入ってすぐ右側に受付が設けられている。ガラス窓越しにメガネを掛けた女性が会釈をしていた。

「こんにちは。あの」

「一名様ですか」

「いや、伺いたいことがありまして。一昨日、あそこに銅像のところで猫の遺体が見つかった件についてなんですが」

一助が表の方を指差すと、受付の女性は眉をひそめた。

「当日こちらは休館日でしたが、話は伺ってるかと思うのですが」

「それはまあ警察の方から、あなたは、どのような関係で?」

一助は身分を名乗った。そして警察から協力要請を受けていると説明した。間違ってはいなかろうとつとめて胸を張る。

「そうですか。私ではちょっと。館長に確認してまいりますので少々お待ちください」

怪訝な顔のまま、受付の女性は奥へと消えていった。

 五分程受付前で待っていると先程の女性が戻ってきて「どうぞこちらへ」と館内へ招き入れてくれた。

野口雨情が作詞した歌の解説が書かれた展示が並べられたスペースを脇目に階段を上がっていく。

「こちらで館長が話を伺うそうです」

一助が通されたのは二階の会議室だった。白い壁紙の広々とした部屋、窓からは磯原海岸の砂浜が間近に見える。

窓から外を見ていた男が振り返る。灰色のスーツに青い水玉模様のネクタイ。黒々とした口ひげを蓄えて、切れ長の目がきらきらと穏やかそうな光をたたえていた。

「やあどうも。館長の野口不二夫と申します」

館長は部屋に置かれた長机を囲む椅子の一つに腰掛けると「どうぞ」と促す。一助は対面の席に着いた。

「結城一助と申します。お話を伺えるということでありがとうございます」

深々と頭を下げた。館長はニコニコと微笑んでいた。

「いやあ、一昨日警察の方から電話があってびっくりしましたよ」

「ですよねえ。早速で恐縮ですが休館日は完全に無人なんでしょうか。監視カメラとかは設置されていないでしょうか」

館長は顎に手を当てて一助の目を見据えた。

「それは警察にすでに話しましたよ」

「念のため改めて伺いたく、ご面倒をおかけしますがお願いします」

一助は耳が熱くなるのを感じて耳たぶを擦る。

「そうですか?警察に問い合わせましたが、結城一助という人物に捜査協力を頼んでいる事実はないと言ってましたよ」

そう言われて一助は一瞬黙り込んだ。

選んだのは偽らないことだった。これまでの経緯を一から説明して侘びる。館長は黙ってそれを聞いてくれていた。

「友人の刑事から個人的に頼まれてね。じゃあ、あながち嘘じゃあないじゃない」

椅子の背もたれに体重を預けて笑った。

「いや、てっきり週刊誌の記者とかそんな人かと思ったよ。私はあんまり、ああ言う人達は好きじゃあない」

「すみません。最初からちゃんと説明すべきでした」

「いや良いよ。君は嘘が下手だって言われないかい」

「ええ?そんなことはないですよ。ポーカーフェイスで通ってるんですから」

「ははは。話がそれてしまったね。聞きたいのは休館日の話だったね。休館日はさすがに無人だね、セキュリティは館内だけで、駐車場にカメラは付けていないよ。今回の件で駐車場にも設置するように手配しているけどね」

「そうですか、最後に銅像の周辺を確認したのはどなたかわかりますか」

「私だよ。閉館作業をして最後に見回ってから帰ったからね。七時十分ぐらいだったかな」

「その時に不審な人物とかは」

「ははは。見てたらもう言ってるよ」

一助は「ですよね」と頷く。

「では、最近の来館者まで範囲を広げたらどうでしょうか。印象に残っている人物とかいませんか」

館長はふむ、と鼻息を漏らしてこめかみに指を当てる。

「現場の下見ってことかい?」

「そうですね。外の銅像だけ見て帰った人物とかはどうでしょう」

夜の間に来ていたり、そもそも下見なんてしていないことも考えられるが一応聞いてみる。

「それは流石に中からじゃ見えないからねえ。ちょっと待っててよ」

館長は会議室から出ていくと先程受付にいた女性を伴って戻ってきた。

「宮子さん、こちらの結城さんの質問に答えてあげてほしいんだけどね。最近、雨情像だけ見て帰っていった人がいるかだって。受付からだったら見えるでしょ」

「いえ、私の知る限りではいません。ずっと外を見ているわけではないですが」

宮子さんはメガネの縁を摘んで硬い声で答えた。

一助はどう質問したものか思案した。

「ここのお客さんってどういう方が多いんですか」

「どちらかといえば年配の方が多いかな。子供たちにこそ来てもらいたいんだけど難しいもんだ。ねえ」

「そうですね。グループで来館される方も多いでしょうか。旅行で訪れたと仰っているのを耳にします」

「じゃあ、そこに当てはまらないお客さんはいませんでしたか」

「なるほどね。普段の客層と違う人か。どうだい宮子さん」

手を打って納得する館長。宮子さんは顎に人差し指を当てて考えている。

「そう、ですね。若くて一人。休館日前の日に若い女性が一人でいらっしゃってましたね。熱心に展示を見てたのが印象的でした。後は、一週間前ぐらいですが、高校生ぐらいの男の子が来てましたね。夏休みには学生さんが来ることもありますが、この時期だと珍しいです。うーん、二人連れだと違いますか?」

「それは違うんじゃないかい。いや、複数犯って可能性もあるのか」

「なんでも聞かせてください」

一助が促す。

「えーと、若い男性と小学生ぐらいの女の子なんですけど、兄妹なのかな。妹さんがご機嫌斜めで持て余してましたね。二週間ぐらい前の来館です」

宮子さんはそこまで言って息を吐いた。

「ありがとうございます。お客さんのことをよく見てらっしゃるんですね」

一助は頭を下げた。

「まあ、一番変な来館者はあなたですけどね」

いたずらっぽく少しだけ微笑んだ。

「ははは。確かにそうだ」

館長も可笑しそうに笑っていた。

 帰り際に館長が売店に売っているお土産のお菓子を持たせてくれた。

「こんな事しか出来ないけど、一つは猫ちゃんの飼い主さんに渡してあげて。結城さんも頑張って。早く解決すると良いね」

カブに跨がるときにもう一度振り返ると、二人が手を振って見送ってくれていた。


 アパートに戻った一助はカブを駐輪場に入れると買ってきたばかりの地図を広げた。

赤ペンを片手に住宅街を周りながら今度は歩きながら丘を下っていく。赤いバラを探し求めて。

 バラが植わっている家にチェックを付けていく。赤いバラが咲いていれば二重丸。咲いていなければ丸。違う色なら三角。最近剪定された跡などがあれば個別に書き込んでいく。公園にも植えられていないか確認していった。

住人に話を聞けた家もあった。やはり六年前に配られた苗を育ててている人が多いようだ。

あまりにも効率が悪いことはわかっていた。それでもいつかは終わる。この地図が警察の役に立つかもしれない。一助は手の甲で汗を拭うと、地図に目を落とした。アパートから磯原駅近くの公園まで歩いて、確認した家は大体二百件。二重丸が三個。どれも最近剪定されたり、花を摘んだ形跡はなさそうだった。

北茨城市の人口が四万人程、世帯数で二万戸。事件が起こった磯原町に絞っても千戸はある。気が遠くなる。こんなことをしている間に次の事件が起こってしまうかもしれない。

一助はぶるぶると首を振って前を向いた。

 その後も赤いバラを探して奔走した。地図を片手にきょろきょろと歩き回る一助を、道行く人々は奇異の目で振り返った。

磯原駅前の商店街を抜けて、緩やかな坂道を登る。辺りの景色は工場地帯に変わっていく。坂道を登りきって一助は息を吐いた。

 緑色の金網の向こうにガラス張りの建物が見えた。その周辺には白い壁の四角い建物が連なっている。壁面には青いロゴが描かれている。

確か、ここが祐一さんが勤めている工場だったはずだ。一度、荒木家にも話を聴きに行くべきだろう。祐実ちゃんと顔を合わせることになると思うと、どうしても気後れしてしまう。そんなことを考えながら工場を眺めていると、傍らに立つ送電塔がジジジと音を立てた。振り仰ぐと空は暗い藍色の雲。西日に照らされてところどころ紫に色づいている。山に帰るカラス達が夜が来るぞと言い合うように鳴いていた。

 「こんばんは。何されてるんですか」

暗くなって辺りが見えづらくなってきた頃、後ろから声を掛けられた。

民家の庭を覗き込んでいた一助は振り返った。懐中電灯を顔に向けられて眩しい。掌で光を遮って目を細めた。黒い影が近づいてくるのが見える。

「あれ、あなた。結城先生じゃないですか」

懐中電灯の光が逸れる。タツヤの遺体を引き取って行った警官二人が立っていた。

先生と呼ばれてきょとんとした一助は、智明が帰り際にお前が会った警官からは話が聞けるように口利きしといてやるよ。と言っていたのを思い出した。一体どんな口を利いたんだかと苦笑いする。

「いやあ、その節はお世話になりました。申し遅れましたが私、磯原駅前交番の佐々木と申します。こっちは山田です」

ひょろ長い警官が言って、ガタイの良い若い警官もかしこまって頭を下げる。

「ああ、これはどうも」

一助は曖昧に返事をした。

「こんな所で何してたんですか。結城先生」

改めて聞かれて、地図を見せながら赤いバラを探していたことを説明した。

佐々木は赤く印がされた地図を覗き込んだ。真剣な顔つきになって言う。

「先生、ちょっと交番で話しませんか」

 磯原駅前の交番に三人で連れ立って入る。白い壁。飾り気の無い内装。指名手配犯達の写真。一助は訳もなくソワソワした。

佐々木が中に控えていたもう一人の警官に変わりにパトロールに行くように指示を出す。

「どうぞ座ってください。おい、お茶を入れて差し上げなさい」

一助は「いやあ、お構いなく」と言いながら勧められた椅子に腰を下ろした。

佐々木もカラカラと椅子を引いてきて座る。

「まずですね。あの猫に突き立てられていたバラの種類ですけど、結城先生の推察通り六年前に配られた品種と同じだそうです。高萩署の方で周辺の生花店に確認しましたが切り花としては取り扱っていないということでした」

手帳から写真を抜き出して一助に見せた。

あの日に見た赤いバラが写っている。遺体から抜き取れて白い背景に置かれて撮影されていた。茎の部分は黒っぽく血がこびり付いている。先端は差し込みやすくするためか斜めに鋭く切られていた。

「部外者に良いんですか」

「駄目ですよ。だから他言無用に願いますよ」

片眉を上げて唇に人差し指を当てる。

「千島警部補の頼みですからね。他に聞いておきたいことはありますか」  

どうやら智明は信頼が厚いらしい。

「じゃあ、なにか遺体から分かったこととか聞いていませんか」

「聞いてる限りですが、死後半日程は経っていたようです。行方がわからなくなった夜には殺されていたってことでしょうな。死因は失血死。まず首を鋭利なナイフのようなもので掻き切って殺された後、頸部を切り離したものと思われます。切り口はずたずたで、慣れていない人間が切ったものである可能性が高いとの事。まあ手慣れていたらそれはそれで恐ろしいですがね」

佐々木巡査は嘆息した。

「また、殺害現場は特定出来ていません。発見現場にはあまり血痕は残っていませんでした。首を切ったときに飛び散ったような血痕も見られませんでした」

確かに荒木家周辺で連れ去ったとしたら、雨情記念館まで生きたまま連れて行くのは困難かもしれない。別の場所で殺されたということか。

 一助が考え込んでいると、山田がお茶を持ってきて「どうぞ」と机に置いた。

礼を言って一口すする。山田はお盆を片手に抱えたまま踵を揃えて直立不動で立っている。

佐々木が咳払いをした。

「先生、これは私からのお願いなんですがね。さっきの地図を貸してもらえないでしょうか」

「え、ああ。はい」

「ちょっと書き込んでも構いませんか」

「まあ、構いませんけど」

佐々木は机に向かうと地図を拡げた。一助も覗き込む。

北茨城市は海沿いの東側に市街地が広がっている。佐々木は市街地を磯原町のある南側と大津港がある北側に分けるように線を引く。次に西の花園山側、比較的市街地の少ないエリアを切り分けた。

「この南側のエリアのバラの捜索は私達にまかせてもらえないですかね。北側は大津地区の交番に打診して頼みます。この山側のエリアは中妻駐在所があるんですが一人しかいませんので出来れば結城先生にも協力願いたいです。先生がよろしければどうでしょう」

佐々木は地図を指差しながら説明して一助を見た。

「願ってもない申し出ですが良いんですか」

「当然です。私どもの職務は市民の安心と安全を守ることです」

そう言ってチラッと傍らに立つ山田を見た。

「さすがっす」

頭を下げる山田を見て、満足そうな顔をした。

「それにこの地図はパトロールルートを考える参考にもなりますから、ぜひやらせてください」

 佐々木は地図のコピーを取ると大津交番と中妻派出所にファックスで送ってから電話を掛けた。

一助は、手際よく話をつける様子を横目に見ながら山田に話しかけた。

「いい先輩ですね」

「尊敬してます。ちょっとカッコつけなとこはありますけど」

後半は小声で言って一瞬、歯を見せて笑った。

 電話を終えた佐々木がお茶をすする。渋そうに顔をしかめた。

「後もう一手欲しいところですな。容疑者が全く絞れていないのが辛いですね」

「そうですね。有力な目撃者が出てくれば良いんですが」

しばらく沈黙が流れた。

「今考えても詮無いことですね。定期的に進捗報告と情報交換をするってことでどうでしょう」

「そうですね」

「きっと出てくるっす。俺も頑張ります」

「当たり前だ。磯原交番の威信が掛かっていると思え」

山田が押忍と返事をする。

 二人の敬礼に見送られて一助が帰路に着いた頃にはすっかり夜になっていた。雲が厚く広がって月明かりは弱々しい。

アパートへ続く暗い坂道を一助は力強く踏みしめた。

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冬を超えて 出浦光吉 @ideura-h

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