髑髏王と枇杷の姫 ㈢天使の来訪

@beniiro-tamago

一章 日常になりつつある変化

 ロウクワット一族が宵闇の城を去ってから、幾月もの時が流れた。彼らが残した泥と屈辱の跡は、ジェイドの手によって完全に拭い去られ、庭園には新しい花々が、以前よりも力強く根を張っていた。冬の厳しさが去り、春の兆しが訪れる頃、かつては死と静寂に包まれていたこの城は、微かな生命の息吹と、穏やかな温かさを帯びるようになっていた。それは、城の主であるスカーレットと、そこに住まうただ一人の娘、ジェイドの関係が、日々深まっている何よりの証だった。


 ジェイドの朝は、変わらず早かった。夜が明けるか明けないかの時間から、彼女は城の隅々まで目を配り、埃一つ残さぬよう丁寧に掃除を終える。廊下の冷たい石床を磨く彼女の動きは滑らかで、その指先からは、ほんのわずかながら、清浄な光の魔力が放たれていた。その光が触れるたび、古びた壁のくすみは消え、窓ガラスは磨かれた宝石のように輝きを増していった。城全体が、彼女の存在によって、ゆっくりと、しかし確実に生まれ変わっていく。


 朝の清掃を終えると、彼女は迷うことなく庭園へと向かう。ひんやりとした朝の空気が、彼女の顔を優しく撫でた。土に触れ、花に語りかける彼女の姿は、まるでこの場所が彼女自身の体の一部であるかのようだった。春の柔らかな日差しが差し込む庭園は、ジェイドの癒しの魔力と、スカーレットの影の魔力が互いを尊重し、溶け合うことで、この世のものとは思えないほどの幻想的な美しさを放っていた。彼女が世話をするたびに、枯れかけていた草木は鮮やかな緑を取り戻し、色とりどりの花が咲き誇るようになった。生命力に満ちた新緑の香り、そして百合や薔薇の甘い香りが風に乗って城の中まで届き、冷たい石造りの空間に、かつてはなかった「生」の気配を満たしていく。かつて「髑髏の庭」と呼ばれた場所は、今や「翡翠の庭」と呼ぶにふさわしい、生命力に満ちた場所へと変わりつつあった。彼女の癒しの魔力は、ただ花を咲かせるだけでなく、この城全体に、安らぎと活力を与えていた。


 スカーレットは、そんなジェイドの姿を、以前よりも近くで見守るようになった。彼の感情のない瞳は、ジェイドの一挙手一投足を追っていた。日がな一日、庭園で働く彼女の姿を、城の最上階から、あるいは廊下の窓から、彼はただ見つめていた。彼の心の奥底には、まるで遠い昔に聴いた歌の残響のように、微かな温かさが広がっていくのを感じていた。それは、彼の凍りついた心臓に、ほんの少しだけ血が通うかのような、不思議な感覚だった。彼が窓辺に佇めば、ジェイドは彼の視線に気づき、そっと微笑みかける。その微笑みに、スカーレットの心の奥底に宿る影の魔力が、喜びを露わにするかのように微かに揺らめいた。


 夕食の時間は、二人の間で最も大切な時間になっていた。ロウクワット一族との一件以来、スカーレットはジェイドが用意した食事を黙って口にするようになっていた。そして今では、彼らは城の小さな食堂で、向かい合って食事をとるのが日常となっていた。会話は少ない。ほとんどの場合、ジェイドが今日の出来事を静かに話し、スカーレットはそれを黙って聞いているだけだった。だが、その沈黙は決して重いものではなく、むしろ互いの存在を感じ合う、心地よいものだった。ジェイドは、スカーレットが食事を終えるまで、決して急かすことはなかった。彼が冷たい指先で銀の匙を握る姿を、ただ穏やかな眼差しで見つめている。


「スカーレット様、今日は庭に新しい薔薇の苗を植えました。きっと、来年には美しい花を咲かせてくれるでしょう」


 ジェイドが楽しそうに話すと、スカーレットは、無表情ながらも、彼女の方に微かに顔を向けた。それは、彼なりの相槌だった。彼の傍らの足元には、愛猫ミィが丸くなって眠り、スカーレットの肩には、守護聖レイブンが静かに止まっている。彼らにとって、この時間は、何よりも安らぎに満ちたものだった。ジェイドが用意する温かいスープの香りと、彼女の優しい声が、城の冷たい空気を少しずつ溶かしていった。


 ロウクワット一族を撃退したことで、ジェイドは完全にこの城に、そしてスカーレットの傍に、自分の居場所を見つけた。彼女はもう、故郷を追われた無力な娘ではない。スカーレットの庇護の下、彼女は自信を深め、その秘めたる癒しの魔力も、以前より確実に成長していた。彼女の力は、この城を癒し、スカーレットの心を癒す、かけがえのないものになっていた。この城が、彼女にとっての「家」になったことを、彼女は知っていた。


 夜更け、ジェイドは自室の窓辺に立ち、月明かりに照らされた庭園を眺めた。昼間とは違う、幻想的な美しさに彩られたその場所は、スカーレットの影の魔力と、彼女の癒しの力が溶け合い、独自の輝きを放っているかのようだった。その光景は、まるで二人の関係を象徴しているかのようだった。


 彼女は願っていた。この穏やかな日々が永遠に続くことを。スカーレットの傍で、彼女は初めて、本当の安らぎを感じていた。そして、その安らぎが、スカーレットにも届いていることを。

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