DAY01_partB

 クレゾールの薬剤っぽい匂いで目が覚める。ぼんやりとした視界がだんだんと焦点があっていき、その先に俺を連れ去った彼女が見えた。


 目が合うと、彼女はそっと瞼を伏せて、安堵したのか頬を緩め息をつく。そして、立ち上がると俺を上から覗き込んだ。


「おはよう、気分はどう?」

「……まあ、普通」


 状況がつかめない。


 俺はさっきまで、基地の廊下にいたはずだが、今は病室のベッドの上だ。内装は、いつも見る基地内の軍病院と同じだが、それにしては他の患者は見当たらない。


「ここはどこだ?それに、アンタは?」

「そうね……、まずは自己紹介からかしら。私は初明 世紬|はつあかり せつ、第8基地第7小隊所属。これが証拠よ」


 初明はポケットから軍個別識別証を差し出す。


 光で透かしたり、文字の筆跡を見たりしたが、変な所や変質したところは見当たらなかった。どうやら、本物のようだ。


「嘘偽り無くでしょう?」

「確かに、そうだな。それなら、俺は……」

「古虫 紀一君。第03基地第108小隊所属、階級は二等兵」

「お前、まさか……」


 慌てて懐を探るが、俺の軍個別識別証は見当たらなかった。


 それどころか、”遺骨”もブレードもどこにも無い。


「おい!俺の持ち物はどうした!」

「大丈夫、ここにあるわ」


 初明はベッドの隣の机を指さす。慌てて確認すると、そこには綺麗に俺の持ち物が並べられていた。全て揃っている。


「よかった……」

「君の怪我を治す為にごめんね。腕は肉が半分位なくなってたし、体のあちこち傷だらけだったから、大変だったのよ」

「……どうして俺を助けた?」

「困っている人が居たら、助けるのは当たり前、そうじゃないの?」

「道徳を聞きたいわけじゃない」

「別に、それ以上の理由は特にないわ。あーあ、君が元気そうなのを見てたら、何だか疲れちゃった」


 初明はベッドの端に座って、伸びをする。


 ふと、伸ばした腕の裾から、鉄の輪が見えた。あれはブレスレットなんかじゃない、手錠だ。


「囚人兵……!」

「この手錠が気になる?」


 噂には聞いている。


 囚人兵は、死刑や終身刑の囚人に対して、任務を終えたら釈放することを条件に戦闘に出されている兵士らしい。大抵は、一般兵が行くのも躊躇うような過酷な地域に派遣されるそうだ。


 勿論、一般兵と共に囚人兵は行動する。そのため、万が一に備えて、手錠が付けられている。なんでも、人間に危害を加えようとすると、手錠から高圧の交流電流が流れて、感電するらしい。


「おい、ここはどこなんだ?囚人兵が居るなら、基地じゃないんだろ」

「基地ではあるのだけど……そうね、”第12基地”聞いたことが無いかしら?」

「”魚影”とかいう怪異によって、3年前に一晩で廃墟になったとか言う?」

「そう、ここはその第12基地の跡地よ」

「ってことは、あんたはその基地で任務に就いている囚人兵ってことか」

「そうよ。ちなみに、さっき君を襲っていたのが、その”魚影”の分裂体よ。この基地では、今もその”魚影”関係の怪異が沢山うろついているわ」


 ”魚影”あの時遭遇した”唐舞橋の大蛇”と同程度に危険な怪異だ。噂には聞いていたが、まさかこの目でその残骸を見ることになるとは。


「ボーンハウンド作戦か」

「ええ、君たちと同じく、の回収が任務よ。よくわかったわね」

「今時、軍で外に駆り出されている連中の大半はボーンハウンド作戦だからな」

「それもそうね。それで、君は作戦から帰還途中に転移を失敗して、ここに来たのかしら?」

「そうだ。後は、遺骨を無事に届けるだけさ。なあ、転移装置を借りてもいいか?」

「勿論、と言いたいのだけど……その……」


 初明は気まずそうに視線を右に反らした。


「なんだ、何か都合が悪いのか?」

「……転移装置、壊れちゃったのよね」

「そうか」

「驚かないのね」

「よくあることだからな。なら、通信機を使わせてくれ」

「通信機も壊れてるわ」

「はあ!?じゃあ、なんだ、あんたらは遭難しているのか?」

「ええ、そうなるわね」


 地下にある基地で怪異が大量発生。それはつまり、時空間が歪んでいることを意味する。


 その場合、特殊な通信機を使わなければ外部と通信できないし、転移装置が無ければ外に出ることは叶わない。つまり、遭難ということになる。


 目の前の囚人兵が嘘をついている可能性は否定できないが、彼女だって任務を達成すれば自由の身。嘘をつく理由が無い。


「はあ……。それなら、俺を助ける余裕なんて無いんじゃないのか?」

「それについては大丈夫。食料は沢山あるし、それに君みたいに確実な人間の救助者は逆に戦力になるから」


 確実な人間、ということは遭難してからしばらくたっているのだろう。


 怪異に襲われて適切に処置しなかった人間は、怪異になる。


 だから、遭難した部隊では、怪異に変化している途中の人間と、怪異が擬態した人間、その見分けが段々とつかなくなる。


 見分ける方法としては、軍個別識別証といった身分証明書が文字化けしてないかとか見るんだが、それでも怪異の可能性を100%排除することはできない。


「俺を信用するのか?」

「帝国軍人だし、身分証も大丈夫だったから。さて、そろそろ護氏ごうしさん達が帰ってくる頃かしら」

「護氏?」

「私たちの隊長。君も会いに行く?」

「……そうだな、そうしよう」


 ベッドから起き上がり、持ち物を回収してから初明に続いて病室の外に出た。

扉をくぐった時、空気が変わってはっとした。


 湿っぽい草原のような香りの中、ビルの廃墟のような場所に軍用の天幕が広がっている。


 遠くを見ると、壁に無造作に取り付けられたような、この場所にそぐわない自動ドアが何個か見えた。


「……本当に、空間が歪んでいるんだな」

「そうね。今見えている、大きなテントが会議用のテントで、他の小さいテントは隊員たちの個別のものだから、勝手に入らないでね」

「扉はどこに繋がってるんだ?」

「A区画、B区画、C区画よ。今、怪異を倒して道を直してる途中なの」

「そうか」


 初明について行って、大きな天幕に向かう。

 

 今は夜だからか、人の気配はどこにも無かった。


「ここ、外が見えるよな。それなら、近くの通信塔を使って連絡は取れないのか?」

「勿論試したわ。だけど、無駄だったのよ。この外の空間が、私たちの知っている空間とは違うから。もし、通信塔にアクセスできるなら、君の端末は圏外になってないはずよ」


 ポケットに入っていた通信端末を開く。確かに、圏外になっていた。


「俺たちの知っている空間と違うって、どういうことだ?」

「一応、この建物の外を調べに隊の中でも選りすぐりの10人が探索に出かけたわ。そして、帰ってきたのは一人だけ。その一人は、うわ言ばかりを言っていたら、終いには怪異になってしまったわ」

「この外が帝国領では無いか、確かめようがないってことか」

「そういうこと。一応、この場所が移動しないように第12基地と接続させているから、扉が消えて取り残されるみたいな心配は無いわ」


 「ほら」と言いながら初明が指さした先には、無数の文字が壁に描かれていた。


 よく見れば、建物テントの奥の壁や地面、至る所に文字が書かれていたり、札が張られていたりしている。


 術使の連中が怪異の巣窟を探索するときに拠点に施す結界術だ。


 術について詳しくは無いが、俺が今まで見てきた術の中でも、トップクラスに大規模だし、ここの術使は相当な腕前と見える。


「凄いな」

「そうでしょう。元ではあるけど、宮廷術使の私が施した術だから、よっぽどのことが無い限り安全よ」


 宮廷術使、術使連中にとって最高位の称号だ。それを、わざわざ言うってことは、術使としての自分の腕に相当の自信があるんだな。


 それなら、どうしてそんな奴が囚人兵なんかをやっているんだか。見るからに若いし、美人で凄腕の術使ときた。なら、さしずめ傀儡化を拒んだことで敵を作りすぎて宮廷の派閥争いに巻き込まれたってところだろう。よくある話だ。


「あと20秒くらいかしら」

「待ち合わせでもしているのか?」

「そういう訳では無いのだけど」


 その時、B区画の自動ドアが開き、小柄で気弱そうな少女と、この場に不釣り合いなコスプレみたいに顔全体が包帯で巻かれたミイラ男が現れた。


「護氏さん、任務ご苦労様です」

「そちらも無事そうで、なによりだ」


 どうやら、この包帯の大男が第7小隊の隊長のようだ。包帯の隙間から見えている皮膚は全て赤黒く変色していて、質感はヒトというより爬虫類に近い。怪異化がかなり進んでいることが伺える。


「君が古虫君かな?」

「はい、そうです」

「失礼、私は綾背 護氏あやせ ごうし。こんな見た目ではあるが、ここ第7小隊で小隊長をしている。階級は少尉だ。よろしく」


 綾背は俺に向かって手を差し出した。表情が読めないせいで、何を考えているのかわからないが、声の軽さからするに歓迎してくれているのだろう。とりあえず、握り返しておく。


「はい、よろしくお願いいたします」

「話は初明君から聞いている。君の処遇等については、中で話そうか」

「はい」


 綾背に続いて、俺も天幕に入ろうとしたとき、ふと少女からの視線を感じて振り向いた。綾背の隣で青い顔で立っていた彼女だ。


「……」

「……?」


 見たところ、15歳くらいだろうか。訓練生の服装だが、可哀そうに、初同行任務で遭難したのだ。きっと、さっきも怪異と遭遇して酷い目に遭ったに違いない。


「君は?」

「わ、わ、私は……」

「……」

「……」


 彼女が言い淀んでいると、世紬が間に入って紹介する。


「彼女は青葉 藍爛《あおば あいらん》、訓練生よ。見ての通り、かなりの人見知りなの」


 おどおどしている彼女を見ていると、ふと遠い昔に飼っていた子犬を思い出した。多分、彼女のふわふわした銀髪と、チワワみたいな弱々しい様子が似ているんだろうな。


「古虫君、中で隊長が待ってるわ。藍爛、夕飯の準備をしに行きましょう」

「……は、はい」


 他の天幕に向かった二人を見送りつつ、俺は大天幕の中に入った。緑の布に囲まれたこの部屋は、10人くらいが入れそうなサイズで、中心には大きな長机が置かれている。


 机の向こう側で綾背が座っているのが見えた。


「そこに座りなさい」

「はい」


 指示された通りに、綾背と向かい合わせにテーブルに着く。


「色々と聞きたいという顔をしているな」

「ええ、そうですね」

「時間はまだある。だから、君からの質問に答えようじゃないか。さて、まずは何が聞きたい?」


 綾背は胸ポケットから葉巻を取り出すと、先を切って、火をつけた。


 これは、気軽に聞いていいという事なのか。


「遠慮はしないでくれ」


 ここは、質問をした方がよさそうだ。


「その、俺はこれからどうなるんですか?」

「話は初明からどこまで聞いている?」

「第7小隊が第12基地跡で遭難したという所までは」

「そうだな。それで、現在、我々は脱出方法を探りつつ、怪異を討伐して基地の空間の正常化を図っている。同時に、ここに遭難している我々の部下、及び3年前の生き残りの人々の救助も行っている。君もその一環で助けたんだ」

「なら、俺も救助者と同様に保護するんですか?」

「そうだ、と言いたいんだが、彼らは《人間らしき者》でね」

「なるほど」

「それに、君は”印持ち”だからね」

「”印持ち”ですか?」


 俺が質問をしたと同時に、幕が上がって初明と青葉が入ってきた。


「護氏さん、夕飯の準備ができました」

「あの、”印持ち”って……」

「さて、古虫君、お腹は空いていないかね?」


 綾背は俺の言葉を遮るように、話しかけてきた。


 まだ、この質問には答えたくないという事か。


「我々も丁度今から夕餉の時間でね。一緒にどうかね?」

「……ありがたく、頂戴します」


 運ばれてきたのは缶に入ったチキンカレーだった。


 白米の上に、黄色がかったカレールーが掛けられていて、ホカホカと湯気が立っていて、その濃厚なスパイスと甘い米の香りが鼻腔をくすぐる。


「いただきます」


 三人が席について、スプーンを取るのを見るに、俺も食べていいという事だろう。

恐る恐る、スプーンで一口分を掬い、口に運ぶ。


 散々食べてきた携帯食のはずなのに、カレーライスの温かさが、疲れ切った体に染み渡り、旨味が眠っていた食欲を呼び覚ました。


 俺は無心でスプーンを動かし続ける。


「おいしいか?」

「はいっ……」


 咀嚼して飲み込むたびに、胸の奥からじんわりと色々な思いが広がってきて、思わず頬に涙が伝った。


 俺は、今、生きているんだ。


 感覚が鋭敏になって、夢見心地だった風景が、はっきりと形をもって実感される。


「大変だったな」

「……はい……」


 あっという間に俺は全部を平らげてしまった。多分、今までで一番おいしかった飯かもしれない。


 夕食を終えた後、俺はそのまま綾背に個人用の天幕に案内された。


 そこは、小さな机に簡素なベッドがあるだけだった。


「これから、君は我々が責任をもって保護しよう。ここは自由に使ってくれ」

「はい」

「私のテントは向かいにある。もし、何かあったらすぐに言ってくれ」

「はい、気遣いありがとうございます」 

「それじゃあ、今日はゆっくり休むといい」


 綾背はそう言い残すと、ここから去っていった。


 まだ、聞きたいことは色々あったが、安心感からか急に眠気に襲われ、そのまま俺はベッドに倒れこむ。


 今日一日、あまりにも多くのことが起こりすぎた。


 エリア3での初任務、怪物”唐舞橋の大蛇”の出現、そして秀一の死。


 これだけでも大変だって言うのに、俺は運悪く第12基地跡地に遭難して、今は第8基地の第7小隊と共に行動をしている。


「……」


 目を閉じると、今でもエリア3の熱気が残っている感じがする。脳裏に、秀一の顔が焼き付いて離れない。


 みんな、俺に託して死んでいくばかりだ。


 親父も、母さんも、上官も、秀一も、みんな。


「くそっ……どうして……俺だけ……いつも……」


 思考を巡らせるたびに、後悔と懺悔の念が波のように襲い掛かって、俺はその嵐に放り投げられて溺れる。


 苦しくて、辛くて、死んだほうがマシに思えて、今日もまた起き上がって、ブレードを首筋にあてる。


 そうすると、涙が出てきて、理解する。


 俺は生き残ったんじゃない、生かされたんだ。全ては、死んだ奴らの願いを叶えるためにと。


 今、俺が死んだら、俺のせいで死んだ連中の人生が否定されることになる。


 ”遺骨”の袋をそっと抱き寄せた。


 今は、これを届けることだけ考えるんだ。


 眠れない夜が続くかと思ったが、疲労が限界を超えていたのだろう。その晩、俺は悪夢を見ることなく、そのまま眠りについた。

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