「……あれす、あれす」
次の町は大きな川を渡った先にあると聞いたアレスは、部屋の窓から垂れる雨を眺める。雫が窓を伝って下へいくさまをじっと見つめている幼女に、共感出来ないアレスはため息をついた。
店主の話だと、川の中心部に大きな橋があってそこを渡っていくらしい。だが、話はそれで終わらず、雨の日は氾濫の可能性を考慮して規制されて渡れなくなると……。
運悪く雨に見舞われたアレスは渋々宿を延長して今に至る。
「……雨が脅威になるとはな」
世界を滅ぼすため地上へ降りても、天気を気にしたことはなかった。神でも種類や能力は異なるが、自然界の
不便極まりない世界に再びため息が漏れると、視線を感じて横へ流す。幼女の大きな瞳が、アレスをじっと眺めていた。
しばらく睨み合うように見つめ合っていたが、幼女は何かを思い出した様子で自分のベッドへ走っていく。戻ってきた幼女が手にしていたのは、ペンと紙だった。
自警団の詰所で貰ったのか、暇つぶしに店主がくれたのかは分からない。だが、幼女の言いたいことは大体分かった。
「……面倒くせぇ」
思わず本音が出るアレスに幼女の体は固まり、表情は暗くなる。アレスと幼女の距離感は曖昧で、最初に会った頃を思い出した。どこか諦めたような表情で、こちらの顔色をうかがうように笑顔をみせたかと思ったら暗くなる。
父神としか話をしていなかったアレスは幼女以前に他者との関わり方を知らない。
空気を吸うように吐かれるため息だったが、幼女の手からペンと紙を取り去ると簡単な文字を書いてみせた。すると、幼女は再びパァァァと明るくなって要求してくる。
「俺の名前を知りたいとは、頭は悪くないようだな」
文字で書きたかったのはアレスの名前らしく、上の方に書いてやるとテーブルでずっと真似して書いていた。
昼食を終えたアレスは飽きずに紙の隙間なく文字で埋め尽くす幼女を見る。町へたどり着く前に食べただけで、虫はおろか草も食べていない幼女は空腹なはずだ。雨の日に家を出るなという決まりはなく、店主に雨具を借りて外へ出る。
「……確か、川は近くにあると言っていたな。暇つぶしに見てくるか」
雨のおかげで水分も一緒に補給する幼女の姿を尻目に、先を歩いていくアレスの視線は大きな橋へ向けられた。川は氾濫していないが、橋の前に自警団の姿を目視する。
「ご苦労なことだ」
面倒事の匂いがする橋には近づかず、踵を返して町へ戻った。
店主に勧められて二度目の入浴をするアレスは、心地よさに自然と顔が緩む。幼女は二度目の風呂に関しても毛を逆立て、頭を洗われると勢いよく髪を振ってアレスの怒りを買っていた。
男と女で時間帯が分かれているらしいが、なぜかアレスの入浴中に他の客は来ず、貸し切りで優雅に長風呂をしている。
「この風呂というのは、人間を認めてやってもいい」
始めて風呂を作った人間を称賛しながら脱衣所へ戻って、姿見に映る貧弱な肢体を眺めた。病的な細さのない引き締まった体にも関わらず、どこか儚げでいて筋肉はない体へ袖を通した。魔法による発展は望めず、生活魔法などはない。服の汚れが気になってきたアレスは、店主に話をして洗ってもらっていた。
そのため、仮の服として上下白の着流しを借りている。いつも以上に色気を漂わすアレスは、他の客と遭遇する度に、後ろを振り返られていた。幼女も同じく白の上下スカートで清楚だ。
荷物は極力持ちたくないアレスだったが、空間収納というのも魔法らしく一部の人間しか使えないという。しかも、この世界の魔法は精霊が与えた【魔法録】で覚える以外身に付けられない。形はさまざまで、触れることで初めて魔法を授かるという。また、【魔法録】自体も特殊で、魔法に選ばれた者しか扱えないらしい。ただ、魔法の効果が弱いものは比較的に覚えられる者は多く、商売が可能で高額取引されるほど貴重だと店主に教わった。
「この世界はとにかく不便極まりない」
タオルで頭を乾かしながら部屋に戻ると、幼女も見様見真似で髪を乾かしている。だが、頭も振ってしまうせいで床を水浸しにしているだけだった。
重い足取りで幼女からタオルを取り上げると、ベッドを指さす。首をかしげながらよじ登る幼女の前に立つと、思い切り雑にタオルで拭いていった。
髪がボサボサになった状態でしばらくぼんやりしている幼女を放置し、強くなった雨を窓から眺めるアレスは眉間にしわを寄せる。
夕食を持ってきてくれた店主の話では、深夜にかけて強くなり明日も降り注いでいるとのことだった。
「……破壊の力が使えたら、一瞬で暗雲を吹き飛ばすというのに」
雨の音がうるさくて中々眠れなかったアレスは、ベッドで寝ずにテーブルで文字を書いている幼女へ顔を向ける。店主に新しい紙を貰ったらしく、子供ならとっくに寝ている時間でもベッドへ入らない。
そのとき、不意に頭を巡ったのは睡眠の呪いだった。
「……まさかな」
人間にとって必要不可欠である、食と睡眠。これらを取り除こうとする呪いは弱い部類じゃない。危険な攻撃魔法と同等だ。
次第に雨音も慣れてきた頃。いつの間にか眠っていた。
翌日、目を覚ましてすぐ同じところにいる幼女の姿を目撃する。床に散らばった黒い紙の束が恐ろしさを物語っていた。
ゆっくり起き上がって真剣な表情で文字を書く幼女から床の紙を拾い上げて、一瞬だけアレスの肩が揺れる。黒い紙の正体は、びっしりとアレスの名前が刻まれたものだった。さすがのアレスも顔を歪ませて、幼女の腕を掴んで動きを封じる。
ようやくアレスに気づいた幼女は明るい顔で、最新版の紙を見せてきた。
最初の頃と比べ物にならないほど綺麗に書かれた『アレス』の文字。一瞬表情が緩みかけたあと、目が据わる。
「おい……
難しい言葉を理解できない幼女は首をかしげるだけだった。
そのあと、アレスの名前はマスターしたから他の文字を書くように指導する。店主も狂気的な幼女に影響されたようで、昔子供が使っていたという勉強道具をくれた。
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