「……たべたくない」

 アレスは父神の言葉を思い出していた。確かに『呪われた子供を育てろ』と――。

 つまり、呪われた経緯を知っている可能性と、なんらかの手段で呪いをかけた可能性。ただ、神は本来人類の味方だ。なぜなら、すべての生命は神が作ったと言っても過言じゃない。

 それに、アレスを改心させるにしても幼い子供を贄にはしないだろう。


 幼女は初めて遭ったとき、言葉を話そうとした。元々話せないのならそんなことはしない。


 幼女の視線にすら気づかず一人で考え事をしていると、隣町が見えてきた。すでに辺りは暗くなり、無数の星が輝いている。

 それすら気づいていなかった様子で首をひねるアレスは、開かれた町の門から中に入った。


 町の中は仄かに家からこぼれる光、宿屋や酒場の明かりで足元は照らされている。

 魔物との境界線によって町の中は比較的安全だった。それもあって、幼女より前を歩き出したアレスは突風に襲われ乱れた髪を直す。その刹那、耳にゴンという鈍い音が聞こえてきて振り返った。


 何もないところで額を押さえる幼女は無表情で思考停止している。視線を少し横へずらすと元凶だろう物体が転がっていた。


「……なんだそれは」


 金属で出来た水汲み用の桶にしか見えない。幼女の額に当たったことで変形して、くの字に曲がっている。

 当の本人は当たったことに驚いて停止しているだけで、額に傷や痕すらない。さすが人類で最強と謳われる竜人だった。


 ピクリともしない幼女の側に寄ると、長い足で邪魔な桶を軽く蹴り飛ばす。その音で肩の揺れる幼女は思考が戻って顔を上げた。

 七歳の子供なら泣いてもおかしくないのに、幼女は笑ったり驚いたり暗い表情はするが、いまのところ泣き顔を見せていない。


 幼女の身に起こったことは、呪い師から教えられた呪いの一つだと分かるとアレスは頭を押さえた。不運が小さいのは良い……ただ、迷惑極まりない。世話をする気はないのに、何かしらする必要性が出てくるからだ。


「……この呪いをかけたヤツは、相当な暇人だろう」


 他の呪いについても大したことじゃないと思っているアレスは、動かない幼女の腕を強引に掴むと宿屋へ向かう。

 そもそも呪いをかけたヤツの動機などアレスにとってはどうでも良かった。必要なのは、どうしたら解呪出来るかだけ。


 だが、宿屋に入って少ししてから二つ目の呪いの恐ろしさへ気づくことになる……。


「もう日が暮れたから、今日は宿に泊まる。軟弱な人間はそうするものらしいからな」


 迷惑な体はそれだけじゃないことも音で告げていた。神だった頃は一度も感じたことのない不快感と『ぐぅぅう』となる腹の音――。

 明らかに幼女ではなくアレスの体から聞こえてくる。


 宿屋の店主にもバッチリ聞かれてしまい、口元を押さえながら「夕食付きね」と微笑まれた。アレスは顔の良さに加えて浮世離れした雰囲気から、良くも悪くも人の目を引く。

 ただ、威圧に加えて目つきも悪いため視線が合った瞬間、短い悲鳴と共にそらされた。


 だが、亜人種といえ幼女を連れていても怪しまれないのは顔のおかげである。


 一階は食事処らしく、カウンターの横には簡易的なテーブルや椅子が置いてあった。食事は部屋に運ぶと言われ階段を上がって二階へ行く。大人二人ほどが通れる廊下から、左右に六つの扉があった。

 一番端の部屋と言われ、鍵を開けて中へ入ってすぐ簡易的な家具に視線を向ける。


 ベッドが二つに、ソファー、小さなテーブルと棚。小ぶりな窓が一つある。天井は低くなく、二人部屋にしては悪くなかった。


「本当に人類は不便で仕方ねぇな……特に、この人間からだだ」


 丈夫で体力もあると思っていたが、部屋に入ってベッドを見たときからだるい。

 背中に大きな石でも乗っている感覚がして眉間を寄せた。


 幼女も初めての場所で戸惑っているのか視線が迷子になっている。

 店主は夕食が出来るまで少しかかると言っていたのを思い出し、扉を閉めてから幼女の脇を持ち上げてベッドへ座らせた。

 自分は窓際のベッドへ腰を下ろすと、急に視界が揺れる感覚に襲われる。

 何者かの襲撃かと辺りを警戒するが、きょとんとした幼女の姿しかなく、次第に瞼の重みを感じて意識を手放した。


 トントンという、なんとも間の抜けた音で意識を浮上させたアレスは、扉が開いて幼女と店主が話している姿に気づく。もちろん幼女は言葉を話せないため、肌色の顔が少しだけ赤くなったまま首を上下左右に忙しなく動かして応えていた。


「おや、お目覚めかい? 可愛らしいお嬢さんだね。野暮なことは聞かないから、安心しておくれ」


 パタンと閉まる扉の前で佇んでいた幼女の手には、二人分の夕食の乗ったトレーが握られている。扉が閉まったことでジューシーな肉の焼けた匂いと、ハーブの香りに思わず目を細めた。

 子供でも好きな匂いだと思ったが、幼女は無反応なままテーブルにトレーを置く。


 ベッドに突っ伏して眠っていたアレスは、乱れた服を直してからソファーへ座った。配膳係のように立ったまま料理を眺める幼女へ、ため息混じりでソファーを叩く。

 意図を理解していない幼女は怒られたと思ったのかペコペコと頭を下げた。


 「面倒くさい」と言う言葉が顔に張り付いたアレスは立ち上がり、再び両脇を持ち上げてソファーへ座らせる。


「貴様……オレの手を煩わせるな。食え。人類には必要不可欠だ」


 人間のように食事を取ることがないアレスだが、器用にフォークとナイフを使って肉を口へ運んだ。肉汁で満たされた肉は柔らかく、思わず表情が崩れる。

 それをジーッと見つめる幼女に、悪態つきながら切り分けてからフォークを握らせた。


 所作などまったく知らない赤子のように、思い切り肉へ突き刺す幼女は狂気的に見える。そのまま口に運んだ幼女の反応を横目に料理を食べていくアレスは、カタンという音で視線を向けた。

 一口食べてフォークを置いてしまった幼女の顔は沈んでいる。


「……おい。美味しくなかったのか?」


 小さく首を振る幼女は、何か言いたげにアレスを見るが伝えられず、ゴクンと肉を飲み込んだ。美味しくないわけじゃなけれど、食べたくなさそうに見える幼女は異常である。

 食事を終わらせたアレスは腕を組んだ。自分よりも育ち盛りの子供が、腹が鳴らないのもおかしい。そして、幼女は一口で食べるのをやめてしまった。


 頭に浮かんだのは【空腹の呪い】と【無匂むこうの呪い】である。


「……嘘だろう」


 空腹の呪いは、空腹になる恐ろしいものではなく……空腹を感じないもの。そして、無匂むこうの呪いはあらゆる匂いが感じられないこと。人間は一説によると、匂いによって美味しさを感じているとも言われている。竜人である幼女は、人一倍嗅覚が良い亜人種だ。匂いが分からないことで美味しさを感じられず、食べたがらないという大事件の始まりである。

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