「……のろい?」
隣町についてすぐ、噂の
呪い師は町から少し離れた丘の上に家を構えていると聞き、幼女を連れてすぐ町から出ようとしたときだった。
不意に何かの気配を感じて、横を歩いていた幼女の腕を掴んで引き寄せる。
バシャっという音がして幼女がいた場所から、声の聞こえる頭上へ視線を向けた。
「ごめんなさーい‼」
声を張る女性が手にしていたのは水の入ったバケツで、地面には濡れた跡がある。植物に水を与えようとしたら、誤ってぶちまけてしまったらしい。
謝罪に対して特に言うこともなかったアレスは無言で立ち去る中、幼女だけはペコリと頭を下げた。
少しして目的地にたどり着くと、黄色い屋根の小さな家がある。窓ガラスから中を覗き込むと、長椅子に腰掛ける男の姿があった。
聞いた情報を確認して、扉の前に立つと軽く叩く。すぐに中から声がして、扉が開いた。
見た目は四十代くらいで、肩の少し上で揃えられた茶髪の髪に瞳。厳かな黒いローブをまとっている。いかにも、魔法使いという風貌だった。
「えっ……と、お客さんかな?」
反対に、貴族風の男が幼女を連れて訪ねてきたことで、明らかに戸惑っている。
だが、人間ではないアレスが小さなことを気にするわけもなく、男の内面を見透かすような視線を向けた。
「単刀直入に言う。この
人間と話すのは苦手なのか、後ろに隠れていた幼女を有無を言わさず前に出す。
仕事の依頼だとすぐに判断した男は、幼女を見るなり瞳を大きく見開いて中へ入るよう促してきた。
扉から覗き込んだ部屋の中は、必要最低限の家具だけで、生活感はあるが小綺麗にされている。平屋だが、一人暮らしなら狭くはなさそうだ。
先ほどまで男が座っていた長椅子の方から良い香りがしてくる。小さなテーブルの上に紅茶が置かれていた。
頻繁に人の出入りはない部屋だということが、手に取るように分かる。
「ああ……呪い師と言っても、この世界に呪いは多くないからね。月に一人か二人くらいしか訪ねてこないよ」
笑顔を向けてくる男は先に奥へ歩いていくと、長椅子をソファーが置かれている部屋の中央に引き寄せていた。動かない幼女を押しやり、一歩踏み出して中へ入るアレスは扉を閉める。
「……そうか。それで、貴様の見立てを聞かせろ」
「ははっ……今まで呪い師をしてきて、こんな幼い子供が複数の呪いを宿しているのを見たのは初めてだよ……」
唾を飲み込む呪い師の男にソファーへ座るよう促されたアレスたちは、長椅子に座る男を見据える。男は考え込むような顔で、真剣な眼差しを幼女へ向けて話しだした。
男の話を聞いて驚いたのは、呪いの数……。
「――その子は、
「……八つ、だと?」
想定外の多さに思わず言葉が漏れるアレスは幼女へ顔を向ける。呪いについて分かっていないのか、首をかしげる幼女の外見からは何も感じ取れない。
加えて、呪いの数は見えたが判明したのは五つだという。ただ、最初に言われた呪いは心当たりがあった。
「不運の呪い、
男が口にした呪いを復唱してつらつらと述べていく。復唱したことで元神であるアレスには理解出来ない内容ばかりだった。
数秒の間を置いたあと、なんだそれはと言いたげな疑いの眼差しに、男はポケットから取り出したハンカチーフで汗を拭きながら答える。
「その……呪いというのは、魔法の中で一番弱いんですよ。なので、この五つなら強くはありません」
男の口から初めて【魔法】という言葉が飛びだした。アレスも良く見聞きする単語である。
整った顔立ちは、口を閉じていると同性でも美しいと感じられる美貌を持ったアレスだが……。それを持ち前の威圧感で屈服させる視線に負けたのか、男は知らず知らず敬語になっている。
腕を組んで黙るアレスは、先ほどから頭の中でチラついている呪いについて質問した。
「不運の呪いは、どんな呪いだ」
「ああ、それは一番初歩的で小さな悪いことが起きるんです。例えば……転んだり、水をかけられたり」
一番初めに訪れた町で、何もないのに幼女が転び、先ほどは頭上から水が降ってくる不運。
完全に思い当たるものである。
ただ、アレスが目撃したのはどちらも町の中。真剣な眼差しで聞いている幼女も男の言っていることが理解出来たのか、何回も瞬きをしている。
あれは呪いだったのだと……。
「不運の呪いは、限定的なのか?」
「いや、どう……でしょう。でも、規模は小さいと思います。それと、他の三つですが……多分、私が知らない呪いだと思います」
男が言うに、呪い師が判別出来るのは初歩的なものと、使うところを見たり、魔法文字を解読したものだけらしい。疑う眼差しを向けてくるアレスに、男は立ち上がって後ろの棚から分厚い本を取り出した。長机に置かれた本の題名は【世界と魔法について】と言うもの。
一番分かりやすいという理について書かれたページを開く。それは、この世界の歴史で重大な魔法について。元神であるアレスのように神格化されている存在は【精霊】だった。魔法は、条件の下で扱える限定的なもので、世界に溢れているわけじゃない。その中で、精霊でもどうすることの出来ない人間の感情が影響を及ぼす
簡単にいうと、この世界の魔法は精霊の力を分け与えたものだということ――。
呪いに関しても、魔法自体も意外と不便なことに眉を寄せるアレスは男を睨みつける。人間にされたとはいえ、他人の嘘を見抜くのは得意だった。
「……それで、貴様が見える呪いは解けるのか?」
確信をつく言葉に男は下を向く。
――駄目らしい。
たどたどしい男の話を聞くと、巧妙に練られた魔法文字で複雑化されていて、分かることは一つだけ。
――呪いをかけたのは、同じ呪い師か、あるいはそれ以上の存在だと……。
アレスの表情からは面倒くささが滲み出ていて、人の顔色をうかがっている幼女も暗い顔になった。
「王都へいくと、呪い師の中でも一握りの者だけに国王陛下から与えられる“マイスター”の称号を持つ者がいます。その者なら、残り三つの呪いや解呪方法も分かるはずです」
日が暮れた頃、男の家を出たアレスは赤く染まった空を見上げて目を輝かせる幼女にため息をつく。
なぜなら、目的地の王都は此処から町をいくつも通りすぎた先だと聞かされた。
完全に幼女のお守りをしなくてはならない。
それから、幼女が言葉を話せないのも呪いか問いただしたら「それが呪いなら相当強い魔法だ」と返される。
煩わしいのが嫌いなアレスにとって、話せないのは好都合だった。ただ、それが呪いだとしたら……相当厄介なはず。
天界へ帰るのも、奪われた
「……誰だか知らねぇが、オレに挑戦したことを地獄の釜で焼かれるほど、後悔させてやる――」
幼女以上に口から火を吹き出しそうなほどギラついた双眸で、高らかと宣言する。
父神から出された難題である意味の分からない呪いに踊らされ、怒りで拳を握りしめるアレスに幼女は首をかしげるだけだった。
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